御荷鉾山
御荷鉾山(みかぼやま)は西上州を代表する山稜である。三株山とも日野山とも云われ古くから信仰の山として名高い。西上州の山域には藪山が多く、夏場には余り登られないようだが、初冬の柔らかな日射しを浴びた御荷鉾の峰には何とも云えぬ風情がある。
御荷鉾山は、二つの峰である。東側に位置する「東御荷鉾」と、西の峰「西御荷鉾」からなる。そして西端にある「おどけ山」を含めた三山が御荷鉾の山と呼ばれている。古い山域だけあって数々の伝承も多い。この山に住んでいた鬼が、弘法大師に追われて逃げたというのもその一つである。その時、鬼の持っていた石棒を投げ捨てた場所が投石峠、石が割れて落ちた所が鬼石だという話が土地の民話として語られている。また神流川、鮎川、三波川に囲まれた深い懐でもあるところから、御荷鉾に雲がかかると雨足の早い夕立が来て稲を三把束ねている間もないということから「御荷鉾の三束雨」とも云われた。今では、林道が山並みを囲繞し昔日の面影こそないが、初冬の晴れた日にすっきりと立った西御荷鉾の山には美しい令夫人を見る趣がある。まさに西上州の霊峰であろう。
この御荷鉾山域を含めた神流川流域の山々が登られるようになったのは、もう随分昔の事だ。この山域を愛した詩人「尾崎喜八」の碑が西御荷鉾直下の林道脇にある。白樺派の詩人であり、ロランやヘッセの翻訳者でもあった尾崎の「父不見、御荷鉾も見えず神流川、星ばかりなる万場の泊まり」の歌が刻まれている。 「ほのぐらい杉の植林地へ入ったり明るい雑木林の斜面に沿ったりしながら緩い勾配と楽しい静寂との中を登って行く」(神流川紀行/「雲と草原」所収)。如何にも自然と音楽を愛した詩人らしい名文である。初冬の木立ちの中を登っていくと頭の中でモーッアルトの曲が流れるというエッセイを山の雑誌で読んだことがあるが、まさに、西御荷鉾の雑木林には、その名曲が溢れているような気にすらなる。山登りには、やはりモーッアルトがいい。
この山域は神流川沿いに万場町から登るルートが比較的登られているようであるが、私は甘楽町那須の奥から会場をへて名無村からの道を行く。車で行けば50分ばかりの、林道を利用した最短コースとも言えるのだが名無村から林道への登りがかなりの悪路で、出来れば四輪駆動車がお薦めなのである。この道は、富岡、万場線として地図上に記された県道なのだが、とにかく狭いのである。ところが、会場から林道への道路が開通になるらしいのだ。喜ばしいことである。あの熊の出そうな悪路から解放されるというだけで御荷鉾は近くなる。
今年の夏の大雨で、那須地区は随分崩落した所があったらしい。甘楽町側から会場へは行けなくなっているのだ。そこで、今回は鬼石から三波川沿いに登る道を紹介する。少し遠廻りになるが、万場線が通過可能になるまでは、たぶんこのルートが一番近く安全である。 鬼石の町から桜山公園の標識を見て「鬼石〜会場線」に入る。(右に登ると桜山に行くのでまっすぐ会場方向に)。直に神流湖方向への標識と分岐があり、それを左下方向に降りて橋を渡り、道なりに急坂を登りあげればスーパー林道の分岐に出る。林道に突き当たったら神流湖方面には行かず、ただひたすら登り上げ、トンネルを抜ければすぐ雨降山、そして東西の御荷鉾山へは少し走る事になる。道は舗装されているのだが、所々崩れている場所もあるが、土、日曜には結構県外の車などが通過する。おどけ山の先は、少し道が悪くなるから赤久縄山へのトライは諦めた方が利口だろう。なにせ、林道のことだから何が起きても不思議はない。すべては本人しだいということになる。では、無事を祈る。
また、見に来て下さいね。お待ちしてます。
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