第1話




「はあ……」
 ベッドに横になった早々憂鬱なため息が漏れる。今日起こったことを思い返しても信じることが出来なかった。というより出来るはずがない。今でもはっきりと分かる。「夢」じゃ
なくて「現実」だってこと。
「いつの間にか傷もなくなっちゃってるし」
 あの時あったかまいたちのような傷。持っていた手鏡で見ると途中から痛みはなかったものの、そのときの傷口は見当たらなかった。それが幻ならあんなに恐ろしいものの
姿なんか今になっても思い出せるはずがないもの。
「おばあちゃんは……知っていたのかな……」





EPSODE1 扉と守護者・道を知る流れのはじまり





「起きていられたのですか」
 こちらを見て一人の少女が微笑みかける。巫女装束に身を包み、陰陽師の用いる護符を書いている。
「あなたこそ、まだ寝ていないとダメですよ。霊力が大きい分、あなたの負担は常にかかっているのですから」
(これって……昨日見た)
「でも、じっとしているのは時の流れがゆっくりとなってしまいますから、少しは何かしないと」
 そういって彼女はまた護符を書き始める。
「ダメだ。貴女は私にとっても彼女にとっても大切な仲間なんだ」
 後から聞こえた声に振り向くと、同じく巫女装束に身を包み、お払いや鬼の封印に使用する特殊な数珠を首飾りにしてかけている。
(え……恭子…ちゃん?)
「過保護かもしれませんがもう少し休んでください、瑠璃」
(なんでだろう……)
 いきなりすぅ、と体に重さが増す。
「なんか……すごく懐かしく思える……」
 不思議な気分のままゆっくりと体を起こす。時計を見ると既に深夜3時を回っている。いつの間にか寝ていたことに気がつく。明かりもつけたままで。
「なんなのよ……これって……」
 見知った顔が出てきた夢に、何か意味があるのだろうか。思わずあたしはそんなことを考えてしまった。でも、考えるよりも眠気が強かった。
「気になるけど、まともな夢が見れますように!」
 そうつぶやくと、電気を消して眠りについた。


 夜の中に浮かぶいくつもの街明かり。高層ビルの屋上から一人の少年が街を見下ろしている。
「たった1000年の間に森よりも高い鋼の屋敷が出来るなんてな」
 憂いに満ちた瞳で、誰に言うでもなくつぶやく。
「そんなんいうても仕方おまへんでっしゃろ」
 いつの間にか人のよさそうな青年がいた。ちらりと少年は一度青年を見るとすぐに街の明かりに視線を戻す。
「いい加減そのしゃべりはやめろ。腹が立つ」
「ホンマに代わらんな、人の喋りに腹を立てる性格」
「余計なお世話だ。…ただ堺のしゃべりは陽気に聞こえるから嫌なだけだ」
 何時までたっても片意地張った子供やな、と青年は胸のうちにだけ留めた。口にすれば八つ当たりにするのは目に見えている。
「京でなくても脈が大きく乱れてきてやがる…アイツが目覚めるのも時間の問題だな」
 静かにつぶやくと少年は闇に消えた。
「ま、否定はせえへんけどな。…けど、失われた知識を取り戻させなあかんの分かっとるんやろか」
 消えた闇に一人、青年はまだ眠ることを知らない街明かりを見つめながらつぶやいた。


 翌朝、あたしは一人部屋の掃除をしていた。レイジは早くから友達と出かけ、父もいつの間にか出かけていた。母屋だけでも大変だ。二階建ての古い建物の一部を改修して
いるため、ある程度は楽だけどやっぱり広い。全部の部屋に掃除機をかけるだけでも30分はかかる。それでもせっせと終わらせるとお昼の準備に取り掛かる。とはいえ一人
なので簡単にそうめんで済ませることにした。側に古い本を訳したノートを見ながらあたしは考えていた。昨日の出来事を。
「昔の人の言葉で言えば悪しき夢、それが何であたしだけに見えたんだろう…」
 あんまり食べる気にはなれないけど、この暑さじゃ何か簡単なものでも口にしたほうがまだマシだった。
「考えてるだけで日が暮れそうね。……早いけど夕飯の買出しに行こう」
 後片付けもそこそこにあたしは自転車を引っ張り出し、街へと繰り出した。掃除の際に巻いていたバンダナがちょうどいい感じに帽子代わりとなっている。
(今日はにぎわっているみたい)
 昨日の公園の中を自転車で駆けながらそう思う。昨日のことが何もなかったようにはしゃぐ子供達に。世間話をしているお母さん達。どれもがよく見る光景だった。
「暢気なものだな」
 突然聞こえた声にあたしは自転車を止めた。周りを見渡しても誰なのかわからない。
「空耳かな…?」
「どこ見ている。こっちだ」
 よく通る声がしたほうを見るとレイジと同じくらいの少年がこっちを見ていた。
(なんか、懐かしい感じがする……)
 その少年を見たときあたしはそう感じた。心を許してもいい、思わずそう想いたくなる。
「…知識はあっても『記憶』はもたない、か…つくづく人間の転生は不憫だな」
 何を言っているのか分からない。記憶とか転生とか、それが何を意味するのかさえ。
「『器』も『気』も完全でないのに『見える』のはさすがだな」
「さっきから何を言ってるのよ。こっちは全然分からないんだけどね」
「知る必要はない」
「!?」
 いつの間にか少年はあたしの目の前に立っていた。
「醒めれば分かる事だ。不安定な状態の阿須葉(あすは)…お前に答える義理もない!」
 それだけを言うと目の前から少年の姿が消えた。周りを見渡してもどこにもいなかった。
「阿須葉って誰のことよ……」
 周りの喧騒にかき消されそうな声であたしはそうつぶやいた。


「あのバカは…」
 一人青年がベンチに腰掛け、アスカと少年のやり取りを見ていた。
「いくらなんでも早過ぎや…あんたらもそう思うやろ」
 寄ってきては肩や腕に止まっている鳩たちに話しかける。
「おじちゃんすごいね」
「お、おじちゃん…」
 普通なら逃げるはずの鳩が警戒することなく止まっているのを不思議に思った何人かの子供達がやってくる。
(一応20前半の姿やけど、子供には邪気がないからまる分かりかも知れへんな)
 あえて怒ることもなく、普通に子供達の相手をしていると母親達が警戒するものだが、どこにでもいる一般人と化していた。
(ま、一応用心しておいたほうがええやろな)
 このあと彼の予感は当たることになる。


 2日後、アスカは学校に来ていた。今は夏休み中であるものの、スポーツ万能であるため時々応援を頼まれることがある。その声がかかり体育館に来ていた。
「おつかれーアスカ」
「助かったよ。今回の相手って全国トップだったし」
「そんなことだと思ったわよ。こっちの手ごたえが全然感じられないから」
 クラスメイトの二人と話しながら少し乱雑にユニホームを脱ぐ。それと一緒に怪我防止のテーピングを外していく。今回はアスカの得意スポーツであるバレーの応援だったの
だ。
「へえ、アスカがそんなこというなんて珍しい」
「あのねえ、あたしだって全国トップなら苦戦するって」
「でもさすがだよね。助っ人とはいえさすがサービスエース」
「褒めてもなーんにも出ないわよ」
 ほとんど変わらないやり取りをしながら制服に着替えていく。
「じゃ、また何かあったら呼んでね」
「今度は…ひめっちおすすめのクレープでどう?」
「…のった!」
 もちろん助っ人料としてアスカには一応食べ物で取り決めをしている。もちろんこれは顧問の先生も知らないことだ。彼女達の中での暗黙の了解でもある。
「ってちょっと、今回の報酬まだだけど」
「ごめーん、悪いんだけど今日あたしが夕食担当だから」
「ええーっ。せっかく今買いに出てるんだよ」
「ほんとにゴメン。今回の埋め合わせは必ずやるから。じゃね」
 それだけを言うとアスカは更衣室を後にした。
「……本当はちょっと体重増えてきているのよね。はあ…」


 公園に差し掛かった頃、あたしは違和感を感じ始めていた。いつも見ている景色なのは変わらない。けど、この前のような地獄絵図を見ているわけでもない。
(なんなの、これ……気持ち悪い…)
 吐き気はないものの、あたしは嫌のものを捉え始めていると思った。
「っ!?」
気がついた時には既にあの時の景色が広がっていた。周囲には動物の骨や朽ちかけのもの、そしてこの前と違うのは木々が倒れていることだった。軽く見ただけでも1ダース
は折られている。斧などで切ったというより、強い力によって折られたという表現が近い。
「何で、こんなのが見えるのよ…」
 吐き気を抑えつつ、そうつぶやく。この前はいつの間にか元に戻っていたのは襲ってきたのを倒したからだけど、ここには襲ってきたものもいないしどうしてこうなったのか分
からない。
「どうすればいいのよ…」
 こんな所に一人居でたくはない。けど、どうすればいいかまったく分からない。刹那―
(何か来る…!)
 そう感じた時、あたしの視界は反転していた。何かの衝撃によってはじかれたということに気がついたのは地面に叩きつけられた時だった。
「かふっ……」
 衝撃で体の言うことがまったくきかない。指一本動かすことすらままならない。こんな状態でまた分からない異形のものが襲ってきたりしたら、と思うと怖くなる。この前のよう
にはいかないのは分かっている。今あたしの手元には唯一の有効手段であるブレスレットがないのだから。


「はあ…ほんまにあのバカは加減をせんから」
 遠くから見ていた青年は呆れていた。
「とはいえ、彼女を死なせるわけにはあかんからな」
 そういうと温和な表情からは感じられなかった鋭い殺気を放っていた。
「また近づいとる…今度はじいたらさすがに死んでまうな」
 何かの気配を感じ取ると迷い込んだ少女の側へすばやく近づく。
「この…大バカもんがぁ!!」
 床や机なら強く叩きつけた音が聞こえそうなほどの勢いで手を地面につけた途端、地面が幾重にも割れ,隆起する。それが何かを捕らえる。
「大当たりや」
 そうつぶやいた時は元の温和な表情を見せていた。


「う…」
 なんとか動くようになった体をゆっくりと起こす。まだ叩きつけられた衝撃が残ってはいるものの、何とか立ち上がれそうだった。
「なんか…慣れ始めちゃってる」
「どうやら起きられるようでんな」
「…とうとう人がいる幻覚まで見てるとなると、もう長くないわね」
「残念やけど幻覚やおまへんで」
 やや現実逃避を始めた自分に対してそう男が告げる。まだ、あたしの悪夢は終わっていないと言うことだ。
「ふむ…」
「な、何よ。いきなりじっと見て」
「あんさん、意外と痩せ型ひまべら!?」
 何か言いたいのか瞬時にわかった時には、思いっきり鳩尾にボディブロウを叩き込んでいた。
「てっきり助けるようなことをしてくれるのかなと期待させといて、初対面の女性にそういうことをさらっと言うわけ?」
「いや、冗談。冗談やから」
 そんなことを言われてもあたしは無視していた。人が気にしていることをさらっというこの男は信用出来ない。もしこの場に恭子ちゃんがいたら問答無用で全治一ヶ月の重傷
を負わせているだろう。あたし達は意外とこういうことを根に持つ性格だし。
「それよりあんさん、無双の剣術『閃桜』の熟練者やな」
 その言葉にあたしは驚いた。閃桜―正確には「無双閃桜流」と言うあたしの家に伝わる無双式古武術の一つ。体術の『狼撃』、柔術の『空牙』の三つで構成されている。一
応一通りの無双式は使いこなせるが、彼の言うとおり閃桜という疾風の剣戟を主体としたこの武術に精通している。
「まあ、無双式の技は本来このためのものや。あんさんにはその覚悟があるか目を見たら分かる。この現実を知り、きちんと受け入れられないといったところやな」
 そういわれて何も言い返せなくなる。いきなりこんなものが見えるようになったから余計にそうだろう。それに無双式の技は本来ああいった異形の相手対策というのが信じら
れなかった。
「…何を知っているの?」
 必死に言葉を紡ぎ出す。けど、まだ頭の中は混乱しているのは自分でも分かる。
「色々と教えてやりかいとこやけど、まずはあれを黙らせてからでな」
 そういったとき、あたしが問い返す前に彼は右腕を突きだし、頭に響くような甲高い声が聞こえた。
「!?(まったく気づかなかった…)」
「反応しきれとらんのも無理あらへん。無双式の使い手はこういったものの気配を読めて始めて一人前ってことや。最もその鍛錬法は今じゃ失われとるからな。あ、はよどいて
や」
 どうやらあたしに攻撃できないようにしていると分かって、すぐに彼の後ろに回る。彼が抑えていたのは鳥と人、あと鬼を混ぜたような異形のものだった。
「あのバカのせいで大分暴れさせてしもうたみたいやが、わいはそういかへんで」
 そういったとき、彼の右腕に小さな光が集まっていき爆発した。
「よう見ときや。前みたいに中途半端はあかんからな」
 今度は両手に光が集まっていく。しかし、よく見ると左手のほうの光は若干大きくなっている。だが、異形のもののほうもそれを察知して空へ羽ばたく。
「遅いわ!」
 集まる光をそのままに手を合わせる。瞬間、一条の光が異形のものを貫いた。絶命の悲鳴が響くとそのまま光に飲み込まれて消えた。そして、その中にきらりと光るものが
落ちてきていた。
「これは?」
「まあ簡単に言えばあれを倒したという証拠や」
 あたしが手に取ったそれは3、4センチのガラス片みたいだった。
「さて、とりあえずこれで一件落ちゃぐぶ!?」
「こっちを巻き込んでおいて良く平気でいえるな、玄武」
「あんたは!」
 いきなり現れた少年にあたしは見覚えがあった。2日前変なことを言っていたあの少年だった。
「あんさんのことやさかい、こうなることは予想ついとったわ」
「知っててやったとは思えん」
「そんなんやからいつまで経ってもガキなんや」
「黙れジジイ」
「あ、えーと…」
 言い争いをしている二人を見て、思わず声をかけるのをためらった。あたしとレイジもケンカするほうだけど、ここまでひどくはない。いや、周りから見たらこうなのかも知れない
けど…。とりあえず適当に棒切れを拾って二人の頭を思いっきり叩くことにした。


「いやあ、見苦しいとこ見せてもうてすんませんな」
 あたしが叩いたところをさすりながら、柔和な青年が挨拶をする。少年のほうはどうやら打ち所が悪かったらしく、起き上がりそうにもなかった。ちなみにあたしの視界に広が
っているのはいつもの公園だ。
「ワイは玄武。古い言い方やけど、鬼門に当たる南門の番人で、こっちでまだ寝取るのが朱雀や」
 「玄武に朱雀…確か平安京や平城京の門にそういう守り手が入るという話は授業で習ったけど…からかってる訳じゃないわよね?」
「ワイは嘘をつかへん。まあ今の人には信じられへんからな」
 確かに彼の言う通りだ。今の時代にそういうのは一種の昔話になる。
「まだ信じられないけど…それよりも、一つ聞かせて」
 彼らにはこれから聴く必要があるとあたしは思った。
「何でいきなりああいうのが『見える』ようになったのか」
「なるほど。まあこれは人によって差はあるんやが、誰でも『見える』んや。ただ、あんさんの場合は元々感応力が強いんや。だからありのままを受け入れていることもあるや
ろ?それも『見える』とこに関わるんや」
「そんな…」
「それに、あんさんの友達には『あるはずのないこと』を起こしたことがあるやろ?」
 その言葉に思わず息を呑んだ。確かにあたしは小さい時に一度だけ見たことがある。髪の色と同じ真っ赤な炎を作ったことが。



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