この日、派閥の宿舎に泊まることにしたリエルはフィリィと一緒に寝ていた。そのリエルの異変の前に、目が覚めたフィリィはもう一度眠りにつこうとしていた時だった。 静かにリエルの目がひらいたとき、すべてが始まった。 「大丈夫、リエル?」 声をかけるが、リエルの返事はない。 「リエル・・・?」 そっと覗き込んだとき、フィリィは何かいやなものを感じた。 「リエ・・・」 ビリィッ― 一瞬何が起こったかわからなかったが、来ていたパジャマに三つの割いた後が残る。そのリエルの爪は異様に長く、鋭かった。そして、月明かりが照らすリエルの姿は凶暴 な動物という印象だった。特徴的な鮮やかな空と同じ色の瞳が朱に近い赤と無気味な色になっていた。 「ひっ・・・」 フィリィはやっと理解する。何が起こったかを。 「グルルルル・・・」 リエルの低いうなりとともに、フィリィは体が硬直して動くことができなかった。恐怖が支配する中、それを破ったのはリエルだった。いきなりひと飛びで窓ガラスが割れ、その 音と共にミニスが入ってくる。 「大丈夫、フィリィ!?」 まだ仕事が残っていたらしく、普段着のままだった。フィリィの姿を見た途端、ミニスの鼓動が早まる。 「お・・・母さま」 「・・・何があったの?リエルはどうしたの?」 「リエ・・・リエルが・・・」 「リエルがどうしたの?」 「リエルが、いきなり・・・」 「そんな・・・」 フィリィの言っていることはなんとなく分かる。ミニスは信じることができなかった。しかしそこにリエルの姿はなく、耳を澄ませば悲鳴のようなものも聞こえる。 「ミニス、急いで戻って!」 「ユエル?」 何の前触れもなく、ユエルが慌てて入ってくる。 「本部が、襲われているんだ!」 「何ですって!?」 一瞬にして最悪の光景がミニスの頭をかすめる。 「いい、絶対ここから出たらだめよ。いいわね?」 そうフィリィに言い聞かすとこくりとうなずいたのを見てミニスは本部へ急ぎ戻った。 派閥の本部内は惨劇が続いていた。中に残っていた召喚師は何が起こったのかわからないまま倒れ、血にまみれていた。 「うう、ひどい血のにおいだよぉ」 「どうやったらこんなことできるってゆうの・・・」 壁や床に飛び散った血や召喚師だった者達を見たミニスとユエルは吐き気を抑えつつ、奥に進んでいた。特にユエルには地獄だった。メイトルパの召喚獣は嗅覚や聴覚が 発達している。そのため普通の人より特有の血のにおいが鼻にまとわりついている。 「いた。あれね」 ミニスたちの視界にその人物が現れる。 「・・・うそ」 「そんな・・・なんで・・・」 そこにいた人物を見て二人は絶句した。特にミニスは信じたくなかった。そこにいたのはリエルで、服は血にまみれ、爪がユエルのように鋭くその爪も血が染み付いていた。 そして特徴的な鮮やかな空色の瞳が狂気に満ち、朱より濃い赤に染まっている。 「フウウウウウゥゥゥ・・・」 「ミニス、危ない!」 低いうなり声が辺りを包むと同時にとっさにユエルが何かを感じ、ミニスを突き飛ばしリエルに突っ込む。それと同時にリエルがユエルに飛び掛る。ちょうどミニスがいたところ へ。 ザシュッ 尋常でない速さで二人が重なると共に、何かを切り裂くいやな音が流れる。 「まさか・・・」 ミニスの脳裏に最悪の光景がよぎる。 「きゃううっっ!!」 突如ユエルが右肩を抑え、悲鳴を上げ倒れこむ。 「ユエルッ!!」 我に返ったミニスはユエルのほうに見入る。ユエルの肩口からとめどなく大量の血が流れる。その声に気づいたのか、リエルはミニスのほうへ歩みを進める。 「ミニス・・・逃げてええっ!!」 あらん限りの声でユエルが叫ぶ。しかしリエルが飛び掛っていた。だが― 「・・・・・・シルヴァーナあっ!!!」 一気に高めた魔力を解き放ち、ミニスの友―ワイバーンを呼び出す。その影響でリエルはまともに吹っ飛ぶ。 「はあ、はあ・・・」 ミニスに膨大な負担が一気にかかる。今までにない魔力の構成を短時間で行ったのだ。今までも誓約をしていても呪文を使わず短時間で呼び出すことはしていた。しかし今 回やったのは通常の召喚術の増幅版。通常の倍以上の魔力を使うことで一時的に召喚獣の誓約により抑えている力を解き放つのだ。 「ユエル、しっかりして」 リエルを吹き飛ばすと同時にミニスはユエルの元へ駆け寄っていた。 「ミニス・・・大丈夫だよ」 苦痛に耐えながらミニスに笑顔で答える。 「今傷をふさぐから」 そういって治療を始める。そのころには月も隠れ、狂気に満ちたリエルは現れなかった。 「あのあと、俺を運んで事情を聞いて思い処分になるところをなんとか止めたっけ」 部屋の前でリエルはそんなことを思いだしていた。何度となくその戸を開けようとしたが、拒否していた。 「・・・バカ」 ドア越しにフィリィの声が聞こえる。一気にリエルは息を飲む。 「そこにいるの・・・分かってるんだから」 今にも泣きそうな雰囲気の声でフィリィはドアの向こうにいるリエルに言った。 「・・・・・・やっぱり覚えてたんだ」 リエルの口がようやく開く。 「当たり前でしょ?あんなのはいくらなんでも忘れようにも忘れられないもん」 「・・・そうだな」 「・・・どうして黙っていたの?」 「・・・傷つけて・・・離れていくのが怖かったのかもしれない」 その言葉を最後に、沈黙が辺りを包む。 「・・・そうかもね」 フィリィが沈黙を破る。 「誰だって不安はあるし、言うのは怖いって思うのかもしれない。・・・でもリエルはずっとそのことで悩んでた。あの時、お母さまも気を使って話を打ち切らなくてもよかったの に・・・」 「じゃあ・・・」 「うん・・・気づいてたよ、あの時。でもその前にそう思っていたけど信じたくなかった。あたしもそんなのを信じるのが怖かったと思う。だから・・・」 「フィリィ・・・」 「もう悩まないで。あたしは力になりたいの。今はまだそんなの無理だけど・・・リエルの力を支えたいの」 その言葉にリエルから何かが脳裏をよぎる。 「・・・それがいつか危険な目にあうとしても?」 「・・・もう決めたから」 強い決意の彼女の言葉。それはリエルの意を固める決意ができていた。 「・・・ありがとう」 そう言うと、リエルの目から自然と涙があふれていた。 「なあ、お祭り行かないか?」 「お祭り?」 やや経ってリエルは涙をぬぐい、フィリィに問いかける。 「お祭りかあ・・・行きましょう、いろいろあったからゆっくりしたいもん」 「そうだな」 二人はいつもと変わらぬ会話をしていた。 「なんかこうしていると逢ったころを思い出すわね」 「まだフィリィが召喚術を覚える前だったよな」 「あの時も自然と話ができた」 「ああ、なんていうか・・・」 ずっと前から知っていたみたいに―― 二人の声が重なり、同じことを言った。それがドア越しでもお互いの気持ちは伝わっていた。 その日の夜、二人は街に出た。いつの間にか自然とお互いを見ながら昔のように、無邪気に遊んでいた。 「あの子達、ちゃんと乗り越えたみたいね」 「ああ、もうあたいたちが心配しなくたってこれからもうまくやっていけるさ」 モーリンとミニスは遠いところから二人を見ていた。二人ともリエルたちに気づかれないように簡単な変装をしていた。ミニスは簡単に焦げ茶色のリボンを髪に結び、モーリン は珍しく女性の服装でまとめた髪をほどいている。 「そうね。でも、モーリンがそんな格好するなんて思ってもみなかったわ」 「そういうミニスだって懐かしいもの引っ張ってきたじゃないか」 いつの間にかこの二人もあーだこーだ言いながらこのお祭りを楽しんでいた。 幾つもの屋台を巡り、二人の手には景品と食べ物でいっぱいだった。 「ずいぶん使っちゃったわね」 「うーん、まさかこれほどになるなんてな」 それぞれ買った食べ物を口に運びつつ手にしたものを見た。 「あたし達、お金があると結構つぎ込みやすいのかも・・・」 「ははは・・・」 リエルから乾いた笑いが聞こえる。このことから彼も自覚していたのかもしれない。 ヒユウウゥゥ――ドオオォォン 二人が空を見上げると、大きな花火が夜空に咲いた。 「ね、あそこに行きましょう?」 そういってフィリィが指差した場所は小高い丘だった。 「あそこならよく見えそうだな」 リエルも納得したようにその場所を見る。そこは昔ファナンの祭りで訪れた水道橋に似ていた。近づくとそこには人の姿はほとんどなかった。 「あの時と同じ。こんな綺麗な感じだった。いつ見ても綺麗・・・」 花火に見とれていたフィリィはリエルがほとんどしゃべっていないことに気がついた。 「リエル・・・!?」 リエルのほうを見ると彼は小さく震えていた。しかもその爪がわずかに鋭くなってきている。 「なんで、こんな時に・・・」 空の月はまだ満月のまま。あの時とは違い、花火の上がる近くに満月が見える。その影響がふたたびリエルに現れだしたのだ。 「リエル、しっかりして!」 しかし、リエルの震えは止まらない。それどころかわずかに覗く空色の瞳が朱に染まっていく。 「・・・」 意を決したフィリィは、そっとリエルを包み込むように抱きしめた。 「フィ・・リィ?」 「恐れないで。もしかしたらそれが今のリエルの力を扱えない原因かもしれないよ」 「・・・・・・もう、大丈夫だ」 「まだ、少しだけ震えてる」 雲ひとつない月夜。しかし、リエルの変化は止まったままだ。それでも爪は少しずつ元にもどっているが、瞳は空色と朱色が半々だった。 「今はフィリィがいてくれるからまだ自我を失わないのかもな」 「そっか・・・」 抱きしめたままのフィリィはどこか落ち着いていて、リエルもだいぶ体の震えや異変はほとんどなくなっていた。 「これを忘れずにいれたらいいんだけどな」 「できるよ」 「・・・!?」 リエルの唇に暖かい何かが触れた。それがなくなるとフィリィはリエルから離れ、その頬は真っ赤に染まっていた。それを見てもリエルは何が起こったか理解するのに時間が かかった。それに気づくとリエルの顔は真っ赤になり、二人ともそろって目線をそらした。 「えと、その・・・」 「あ、あの・・・」 急に二人とも口数が減ってしまった。 「・・・そ、そろそろ帰ろうか?」 「・・・う、うん」 そういってリエルは手をつなごうとしたが、途中で止まる。フィリィも手をつなごうとしたが、その手を引っ込めた。 結局、何もしゃべらずそのまま宿に戻った。 なんであんなことしちゃったんだろう・・・自分でも分からなかった。自然とあんなことしちゃうなんて。 この日、なかなか眠ることができず、結局朝まで寝返りを打ったりしていた。それはリエルも同じで、妙におかしかった。人って時々そんな風に大胆になれるのかなあ?で も、リエルの気持ち、すごくつらかったって今でも思う。今でもあの時ああいったけどその不安は消えない。でも信じたい、リエルの支えになれるって。 まさかフィリィがあんなことするなんて思ってもいなかった。いくらなんでもやり過ぎって気が・・・そのせいで目がさえて眠ることはできなかった。それはフィリィも同じだったらし く、数分おきに寝返りを打っていた。こっち側を見たときはすぐ反対になっていた。 結局朝になってもまともに顔を見ることはできなかった。顔を見ると一気に真っ赤になってそれぞれ反対に顔をそらしたりしていた。 ・・・本当は気持ちだけで十分だ。俺の支えになりたいって想い。それはかなりの時間をかけ、その決意が果たされる。そのとき、俺達の関係は変わっていた。 6話へ続く
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