まえがき
免許はある、バイクは持っている。にもかかわらず、ほとんどバイクに乗っていなかった平成10年夏。偶然読んだ1冊の本からこの物語は始まった。職場の先輩が読み終わったMr.バイク BGの9月号を借りて読んでいると、読者のバイク紹介のページにフロント廻りがTZR、リア廻りがFZRに換装されているFZ400Rを発見。その時は足廻りにそれほど関心はなかったが、FZという高校生の頃の憧れがまだ現役で動いている感動と、当時乗れなかった悔しさがふつふつと沸いてきた。と同時に、今なら乗れるじゃん、と思っている自分がいた。どうして6年前に免許を取った時に思い出せなかったんだろう。当時の(今も?)ネイキッドブームに流された自分を思い返した。まあ、過去の話と割り切って、行動を起こすことが先決だ。次号の発売を心待ちにし、14日になると朝一番でコンビニへダッシュし、まだ梱包されたままの本の山からBGを抜き出し、家へ戻って個人売買の欄を読みあさる。これは運命だと思えるほど、あっけなく見つかる。しかも同じ県で同業者の知り合いだった。当時トランポがなかったので、先輩の軽トラックを借りていそいそと引き取りに行った。不動状態のFZと部品取りのFZを荷台に押し込むように2台載せると、尻下がりの軽トラックが出来上がった。あとは、これから始まる悲劇と苦労など知る由もなく、ただ手に入れた喜びだけが先行し、軽トラックの中で口笛を吹きながら帰路についている自分が、そこにいるだけだった。
家に着き、軽トラックからバイクを降ろし、ホコリだらけのバイクを2台並べてニコニコしながら見ていたが、ふと我に返り、これからのレストア代を考え、今乗っているバイクを売りに出す事にした。これもあっけなく買い手が見つかり、職場の後輩に破格値で売ってしまった。が、この時の高く売るよりも早く現金化する事を優先した破格値が、後で重大な決心をさせる事になるとは、この時考えもしなかった。購入時、どうしてもこれが欲しいと、大枚はたいて買ったCB400SFだったが、たいした思い入れもなかったのか、売ると決めてからの行動はあっさりとしたものだった。やはり、整備すらバイク屋まかせではこういうものなのかもしれない。
平成10年10月、不動状態のFZと部品取りのFZの2台を購入し、レストアを始める、というか始めてもらうはずだった。レストア代に充てるはずのCB400SFを破格値で売ってしまい予算が足りなくなってしまった。もう金に化けるものは持っていない。仕方なく自分で作業することに決めた。しかし、CBの頃、オイル交換すらした事のなかった自分にとって、それは重大な決心だった。とりあえず、バイク整備の手引き本を2冊買い、にらめっこしながらの作業が続いた。幸い、前オーナーが途中までレストアしてあったので、ホコリを取る事が一番最初の作業だった。しかし、隣の箱にはバラバラになりかけたキャブレターが入っている。前オーナーにとっては普通の作業だったらしく、「ここまではやってあるんだけど」と言われて貰ってきたのだが、いきなり困ってしまった。頼みの手引き本にさえ、動かないフロートの対処方法なんて何も書いてない。ジェット類を外して掃除するくらいしか載っていなかった。意を決して、フロートピンを抜く作業に入ってみたが固い。釘を使って打ってみるかと、挑戦してみるとバキッといい音がした。何の音だろうと思った次の瞬間、疑いたくなるような光景を目にした。フロートをつける足が折れている。少しの間、呆然とするしかなかった。しかし、折れてしまったものは仕方がない。接着剤で付ける訳にもいかなので、このキャブレターはあきらめて策を練ろうとした時、部品取り車が目に入った。「何だ、もう1個キャブあるじゃん」とそそくさと外した。そしてフロートチャンバー内を見てみるかと4番側から外しにかかると、ネジは簡単に外れたがフロートチャンバーが張り付いている。ドライバーの柄でコンコンと叩くとあっけなく外れたが、そこにあったのはまた折れている足だった。この現象は今現在レストアしているFZのキャブにも現れたのだが、今もって原因は謎のままである。何故か叩いてから開けると足が折れている。それも4番だけに現れる現象なのだ。1〜3番は叩いてから開けても何ともないのに。話を戻すと、手持ちのキャブを2つも失い、やっぱり俺にはレストアは無理かなと思いかけた時、前オーナーから「これが使えるかもしれないよ」とXJRのキャブレターを貰っていたのを思い出した。取り付けてみると、寸法がバッチリ合う。しかし開けてみるのはもう怖かったので、そのまま近所のバイク屋へ持って行きオーバーホールを頼んだ。とりあえず、これでキャブレターはOKだ。次にタンクのサビ取りを行った。これは、市販品のサビ取り剤で大体キレイになったが、漬け込んでいる間に少し液が漏れてしまい、タンクの給油口辺りに少しサビが残ってしまった。また、この時外したフューエルコックのストレーナーがボロボロだったので、思い切ってフューエルコックは新品にした。どうせ新品を注文するなら一緒に頼もうと、ガソリンがかかってコチコチになっていたインシュレーターも全部新品にした。エレメント類、プラグやバッテリー等も新品にしたのは言うまでもないと思いますが。何年も動いていなかった割りには、タイヤ、スプロケット、チェーンはそのままいけそうだったので、予算面で少し助かった。本当はチェーンくらい新品に変えるべきなんだろうけども。キャブレターもオーバーホールが無事済んだが、タンクのサビ取りが今一つ信用出来なかったので、ホースの間にフィルターを割り込ませ取り付けた。ドキドキしながらセルボタンを押してみたが、なかなかエンジンがかからない。10回くらい押してみると、白煙とともにエンジンが目覚めた。長い間エンジンをかけていなかったから仕方がないのだろうが、まるで2ストのバイクかと思うほどの白煙だった。この時、季節は秋から冬を通り越して春になってしまっていた。どうも前述の呆然としていた時間が、自分の記憶よりも長かったらしい。これでやっと乗れると思い、近所に試運転に出掛けた。当然、ナンバーは無いのでそれなりの所だったのだが、これが幸いした。少し走ってみると、リアブレーキが引きずっているみたいだった。おかしいなと思っていると、突然ブレーキパッドがディスクに張り付き危うく転びそうになった。またまた走行不能状態になってしまった。なんとか借り物の軽トラックに乗せ、家にたどりつく事が出来たが、調子に乗って一般道で試運転しなくてよかった、と痛切に感じた。結局ブレーキはリアマスターシリンダーの不良という事が判明し、新品にすることで解決出来た。これでやっとナンバーが取れる。平成11年6月、購入から8ヶ月かけてレストア終了。実動車となり、堂々と公道が走れるバイクとなった。
車検は取ったのだが、実はまだ問題が残っていた。XJRのキャブレターだと、何故か6000回転までしか回らない。これではレッドゾーンの半分だ。どんなにキャブ調整をしても6000回転で頭打ちの現象は直らない。これはノーマルキャブを付けるしか対処方法はないと判断し、今度はパーツBGを読みあさるがなかなか見つからないので、ダメで元々と思いながら地元のガレージサプライに相談してみると、要OHの状態だけどあるという。こんなチャンス逃してはならないと速攻で買いに行き、帰りの足で近所のバイク屋ヘまたオーバーホールをお願いに行った。キャブレターOH恐怖症は今だに継続中の難病だ。結局、完調となったのはノストラダムスの話題も過ぎ去った、平成11年の8月となってしまった。丁度、本を読んでから1年が経ってしまっていた。その後、部品取り車からバックステップとセパハンを移植し、パーツBGを読んでダイシンのマフラー、新品のタンクとシングルシートカウルをGETし、ご機嫌で乗っていたのだが(写真@)、そこへタダでバイクをくれるという話が舞い込んできた。聞けば、物置の中で何年もホコリを被っているFZRで、邪魔になり困っているという。これは人助けだ、と自分に言い聞かせ、菓子折りを持って早速引き取りに参上した。すると、軽トラックとセットで処分してくれと有り難いお言葉を頂いた。幸い、自分の家の庭はスペースがあるので、保管場所にも困らない。こんな形でトランポもGET出来るとは思っていなかった。丁重にお礼を言って、2台引き連れて帰路についた。足廻りがタダで手に入ったのだからと色気が出てしまい、ブレーキホースはメッシュに、スプロケはゴールドが格好いいからAFAM、FマスターはNISSINの別体がいいなあ、長距離だと腰が痛くなるからアップハンにするか、と勢いだけで部品を買い揃えてしまった自分がそこにいた。しかし、まだバイクのイロハどころかイの字すら怪しい覚え方で、整備の腕は超初心者の自分にとってカスタムは業者の仕事のはずでした。なのに何故か、また自分でやることになってしまった。理由は彼女に大ボラを吹いてしまったことが始まりだった。彼女がバイクのことをよく知らないのをいい事に、全然動かないバイクを全部自分で直した、なんて言っちゃったから、今更引っ込みが着かなくなってしまった。自業自得とはいえ、これはさすがにまいった。レストアと違い、付くか付かないのか分からない移植カスタムを、自分でやるなんて考えてもいなかった。しかし、こうなった以上は仕方がないと思い直し、とにかく始めようと思ったが、フロントから始めるかリアから始めるかでまず悩んでしまった。しかし、悩むほどに楽天的になる性格が災いして、リアからと選択してしまった。これが悲劇の始まりだった。まず、リア廻りのノーマル部品を全部外すことから始めた。昔からバラバラにすること(壊す?)は得意だったので、これはすんなり終わった(写真A)。FZとFZRのスイングアームは、ピボット部の取り付け幅からシャフトの太さまで同寸法だったのですんなり入ったのだが、サスの取り付け方法が違った。何とかしてFZRのサスを着けたかったのだが、上部の取り付け部を新設しなければならない。溶接して作れば何の問題もないのかもしれないが、溶接機なんて持ってない。コンプレッサーを衝動買いしてしまったので買うほどの余裕もない。またまた考え込んでしまった。FZのスイングアームに戻してカラーの調整でFZRのホイールを入れる方法も考えたが、それだとFZRの足廻り移植と言えなくなるような気がしたのでやめた。悩んだ末、FZRのスイングアームにFZのサスで、リンクアームを自作すれば大丈夫じゃないかと結論を出した。旋盤やボール盤はないが、切断機とドリルで何とかなるだろう、と安易な考えではあったが、一番リスクの少ない方法を選んだつもりだ。良いアイディアと思ったが、作業に入ろうとしていきなり行きずまった。FZのサス取り付けボルトが14φだったのだ。ホームセンターへ行っても、14mmのドリルなんてどこにも売ってない。作業の進まない日々が続いたある日、幸運はひょんな事から訪れた。犬小屋の屋根を直そうと、ステーを買いに行った時見つけたんです。ちょっと薄いけど、元々14φの穴が空いている鉄板を。長さも十分ある上にその穴が両側にあるので、一枚買えば1セット出来るなど願ったり叶ったりのものでした。失敗してもいいようにと何枚か買い、家に帰ると犬小屋のことも忘れ、早速作業に入りました。穴間をノギスでしっかり計れば良かったのにメジャーで計ったもんだから、最初に作ったリンクアームでは、見事なまでの車高短バイクが出来上がりました。反省を踏まえ今度はノギスでしっかり計り、サスとスイングアームが当たらない位置で、車高も十分取れる位置を計測。今度は大丈夫、と思ったのですが、取り付けてみると何かちょっとまだ車高が低い気がする。というか坂でサイドスタンドを立てると、バイクが垂直に立っている状態だった。しかしリンクアームの穴間は、あと3mm詰めれば限界だ。でも、タイヤサイズをアップすれば大丈夫だろう、と楽天的に終了するはずだった。ブレーキホースを付ければリアは終わりと思ったら、マスターシリンダーの角度が合わない。バックステップの付属品でも、FZRのサポートでも全然ダメ。これは作るしか解決方法はない。でも、そんな手頃の鉄板もない。と思ったら、職場に割れたマンホールの蓋があったので、家に持ち帰りグラインダーで加工してみることにした。まず格子状の突起を平らに削り、キレイに磨き上げた。そして、型取りをした紙を当ててドリルで取り付け位置に穴を空け、またグラインダーで形を整えた。このままでは錆びると思いクリア塗装で仕上げ、とても前世がマンホールの蓋とは思えないほどに出来上がった。少し薄いのが気掛かりだったが、早速バイクに付けマスターシリンダーも取り付け、ネジを増し締めすると割れた。えっ、割れた?見事に真っ二つにサポートは割れていた。少し湾曲が残っていたため、無理な力がかかったようだった。せっかくキレイに作ったのに、と落胆しながらトボトボと、犬と傷心旅行(世間では散歩と言う)に出掛けて行った。近くの空き地で犬を放してやると、道向かいのゴミ山に飛び込んで行ってしまった。呼んでも帰って来ないので、仕方なく迎えに行った次の瞬間、自分の犬が童話にでてくる犬かと錯覚してしまった。そこのゴミ山に、厚さ十分の鉄板の切れ端が落ちていたのだった。迷う事なく家に持ち帰り、マンホールの蓋の時と同じ工程で作業を行った。今度は厚さも十分あり、何の不安もなく取り付けは完了した、と同時にリア廻りの移植は終了した。この時既に年は明け、春も終わりかけていた平成11年の5月だった(写真B)。
残りはフロントだけだと気合を入れ直し、まずノーマル部品を外す。ところが外しながら、またショックを受けることになってしまった。FZのステムベアリングがボールだったのだ。FZRは既に外してあり、テーパーという事は確認してあった。どうしようかと思ったが、大した問題ではなかった。ステムシャフト径は一緒だったので、FZ用のベアリングに変えれば解決した。どうせならとFZ用のテーパーベアリングにしてもらった。してもらったというように、圧入の道具はもちろん持ってないので、バイク屋にお願いした。これさえ解決すれば、後は組み上げるだけなのでチャッチャと仕上げていった。が、組み上げてからハンドルストッパーが合ってないのに気が付き、全部組んだ状態でヤスリで削るという面倒な作業が加わった。こうして、オイル交換もしたことのなかった奴が、パッド交換やらエア抜きまでして完成したのは、平成11年の7月だった(写真C)。
カスタムと呼ぶには大袈裟かもしれないが、整備すらした事がなかった自分にとって、この一連の作業は本当に大変だった。通常のメンテナンスをすることさえ初めての体験なのに、バイク屋の仕事と思っていた事にまで手を出してしまった。その分、得たものは大きかったし、今まで以上にバイクが好きになってしまった。非常に貴重な良い体験をしたと思う。しかし、人間の欲は恐ろしいもので、次は本当に全部自分でやろうと考えている自分が今ここにいる。こうしてみんな個人改にはまっていくのだろうか。でもその前に、キャブレター恐怖症を直すことから始めていかなければならないのだが。
あとがき
7月の第1次完成以降、カスタムした箇所はヘッドライトをシビエデュアルヘッドライトにしただけである。これは8月20日の相模湖ピクニックランドで買った物だが、FZ用と言われて買ってきたのに、家に帰って見てみると何とGSX−R用だった。その場で確認しなかった自分を責めても今更どうにもならない。何とか取り付けられないかと箱を開けてみたが、明らかにステーの形が違う。シビエに問い合わせてみたが、廃盤で部品は無いと言われた。しかし、このまま物置の肥やしにするのは勿体ないし悔しいので加工を始めた。失敗した時の事を考え、買ったライト本体には加工を加えず取り付ける方法を考えた。まずノーマルのライトケースを注文し、シビエのライトが入るように削っていった。そのケースにシビエのライトを入れ、金属製のバンドで締め付けて固定した。簡単に考えた方法だったが、バッチリフィットした(写真D)。これで、ライトが暗くて夜はなかなか乗り出せなかった生活に終止符が打てる。
段々思いつきの加工方法でも、それなりにうまくいくのが嬉しくなってきた。このまま個人改にとっぷり浸かっていきそうだ。このFZに乗ると決めてから、純正部品以外がそのまま取り付けられた事が少なく、これは神の導きだとさえ思うようになってしまった。何故こんな楽しい世界に早く気が付かなかったのだろうか。かなり勿体ない時間を過ごしてきたのかもしれない。でも、それを今から取り返していこうと考えている。不安もあるのは事実だが、失敗を怖がっていたら何も出来なくなってしまう。それも勉強と考えて、これからのバイクライフを楽しんでいこうと思う。手初めに先輩のFZを現在レストア中だが、早速洗礼を受けている。まだまだ道程は長いようだ。