Episode

芸能人が北海道の地を訪れた時の冬にまつわる話。

松任谷由実
1975年頃、12月のコンサートで旭川を訪れ運悪く「吹雪」に見舞われたのですが本人曰く、これほどの猛吹雪は
初めてだったらしく大変な時に来てしまったと思うより初めて見る猛吹雪を楽しい光景として覚えているそうです。
その時の言葉で「雪と雪の粒の間がこんなに狭いのを初めて見ました。」と話されていたのを聞いて
吹雪のことを雪と雪の間が狭いと表現する松任谷さん。アーティストは表現方法が違います。
(ブーリーザード♪、ブリザード♪)

松たか子
2001年2月頃、ドラマの撮影で美瑛を訪れた際のエピソードで2月の美瑛は寒さ真っ盛りです。
その時に1粒の雪が自分の手袋についたのを見ると肉眼で「雪の結晶」を初めて見たとのことでした。
本人曰く、雪の結晶は顕微鏡でしか見ることができないものと思っていたらしく自分の目で結晶を見られたことが
大変、感動したそうです。(肉眼で雪の結晶が見える事、知ってました?)

レア現象

何十年も北海道で生活する人でも このレア現象に遭遇した人は少ないはずです。

カーペットロード
この道路の製造過程は氷点下の真冬日が続いたアスファルト路面に新雪(パウダースノー)が10cm程度降り
グレーダにより除雪されたその直後の路面は2.3cmの圧縮新雪路面でこれが「カーペットロード」です。
この路面は新設アスファルト路面より凹凸がなくグレーダによる圧縮新雪であるため車で走行するとタイヤが
心地よく路面に食い込んで、まるで車と路面が一体化したような錯覚にとらわれ毛足の長いカーペットの上を
走っているような感じがたまりません。あくまでもグレーダによる除雪直後の路面でなければなりません。
何十台もの車が走行したあとではもう「カーペットロード」は無くなっています。
気象条件をはじめとする運のいい人しか出会えません。


洗車雪
洗車雪とは文字通り洗車してくれる雪ですが、これも様々な気象条件の一致が必要です。
雪の状態は「みぞれ」より少し堅いくらいの状態で上空の大気が冷たくて陸地の外気温が0℃前後か
またはその逆かのいずれかでなければこの「みぞれ」は降りません。同じみぞれでも全体が凍る寸前の堅い「みぞれ」
でなければなりません。それが強い風によって吹雪のように横なぶりに降りつけられる雪が「洗車雪」です。
これにかかればドロだらけの車もきれいになります。欠点は1方向からしか洗車できないことです。
風に向かってグルッと一回りすれば車はピカピカです。セルフ洗車代300円得します。


季節はずれのアイスバーン
1980年頃の雪が消え去って1ヶ月くらいたった5月下旬の早朝のこと当然、夏タイヤで富良野から国道38号線を
新得町に向かって狩勝峠を走らせていた時、2回目の大きなカーブを曲がった時のことです。目の前の路面は
太陽の光で銀色に輝いていました。一瞬、なぜ銀色の路面なのか理解できませんでした。次の瞬間「アイスバーン」
だと理解すると背中が凍りつくような感覚になり、アイスバーンの上を夏タイヤの自分の車がすべって峠の底に
落ちてゆく映像を想像してしまいました。運を天に任せエンジンブレーキのみでステアリング操作に集中しました。
運良く対向車がなく、150m程のアイスバーンを通過し無事にアスファルト路面にたどり着きました。
通過した後、考えたことですが峠の山側から雪解け水が流れ出し通常は山側と道路の間には排水用の側溝があり
路面も側溝側に勾配がつくられそこへ流れ込み路面を濡らすことは無いのですが、何らかの要素によって1ヵ所
から流れ出た雪解け水が例年にない低温続きと当日、晴天となった為に放射冷却現象で雪解け水を凍らせで
その源の凍結した部分があとから地中から湧き出る雪解け水をアスファルト路面全体に広がる導き路を形成
したのだと考えました。その後友人にそのことを伝え通過する際、気をつけるように教えると1時間後の路面は
濡れていただけで凍結していなかったとのことでした。

激寒エピソード

芸能人

毛布が真っ白
1970年以前、まだ住宅の断熱がされてない古い家(1950年頃の建築)に住んでいた頃マイナス25℃に
冷え込んだ朝、頭が痛くて目が覚めました。断熱材の無い住宅は居間のストーブは炊きっぱなしにしているので
ストーブの近くは暖かいのですが、寝室と居間が離れている場合は寝室の温度と外気温がほとんど変わらないのです。
体は毛布と布団に覆われているので何とか大丈夫なのですが頭は出ているので冷えすぎて痛くなり起きるのです。
その時ふと毛布を見ると顔に近い部分が真っ白になっていました。自分の吐いた息が毛布の表面で凍っていました。


激寒で学校がお休み
朝6時の各地の気温(NHK天気予報発表)で学校の始業時間が変わります。
−20℃で1時間遅れ、−25℃で2時間遅れ、−30℃で休校というように各地域や学校で決められている基準が
あり、最近は温暖化のせいかあまり聞かなくなりましたが道東方面の小学校ではまだあるようです。
同じように猛吹雪の時も臨時休校や下校時間に吹雪いたりすると同じ方向に帰宅する児童同士を一緒に帰らせる
集団下校などがあります。


−5℃はあったかい
旭川や帯広など内陸地域でも朝の気温が−20℃になることは少なくなりましたが1シーズンに1.2度あります。
−20℃程度が2.3日続くと体が3日目には激寒に慣れてきて初日のような寒さの感覚がうすくなります。
そんな状態で寒気が緩み4日目が−5℃位になると、春を迎えたようなとても温かく感じる体感に驚きます。
テレビコマーシャルで東京の孫が北国のお爺ちゃんに携帯で「そっちの気温は?」と聞かれ、じいちゃんが
「ー6℃だ。あったかいぞ」と答え、孫が「それって寒いよ」と笑うコマーシャル。あのじいちゃんは正しいのです。


生足女子高生
真冬でもストッキングを履かずに生足で制服のスカートをミニにして登校する女子高生がいます。
−15℃でもコートを着ないで足を真っ赤にして寒そうにしています。見ていて痛々しいです。
彼女らにはファッション的にポリシーがあるらしく寒い朝には母親に「コートを着るかパンストを履きなさい」と
怒られるのですが、それには耳を貸しません。それと対称的なのは「はにわルック」と呼ばれるスカートの下に
ジャージをはく女子高生で見た目が「埴輪像」に似ていることからそう呼ばれています。こちらはファッションは
どうでもいいらしく学校に到着するとジャージだけ脱ぐようです。大人の目としてはは呆れています。
しかしながら−15℃、−20℃となるとかなり着込んでいても寒いのですが、生足での寒さは想像できません。
ある意味かなりの根性の持ち主達です。(男じゃ無理かも)

スキーのエピソード

北海道に住んでいると小さい時からスキーは身近な遊びです。北海道の子ども達すべてというわけではありませんが
近くに山やスキー場があり冬を迎えるとスキーは子供にとって絶好の遊び道具です。
私も2.3歳位から近くの空き地でミニスキーをはいて雪と戯れ、それで満足できなくなると自然と山へと向かいました。
小さい頃からやっていると小学校1年生の頃にはスタイルはどうあれある程度の傾斜の山はこなせるようになっていて
その当時、かっこよくターンするよりいかにスピードを落とさずに(ビビらずに)早く山を下りてくるかが勝負でした。
ある冬休み前の土曜日、午前授業が終わって昼食後いつものように友達とスキー場に行って5.6回
リフトに乗っておやつを食べようとロッジに向かう途中で、大人の男性がへっぴり腰でスキーの練習をしていました。
北海道で暮らす小学生から見ると大人である父親からスキーを教わるので大人はスキーの先生です。その大人が
おかしな格好でスキーの練習をしている姿は不思議でおかしくて思わずみんなで笑ってしまいました。(バカにしてた)
そんな子ども達の反応を見て、その男性は「へたでしょ〜」と同じく笑って見せ「スキー教えて?」と頼まれました。
我々クソガキは偉そうに「いいよ〜」と鼻高々でした。それから1時間位その男性と緩やかな傾斜にて戯れました。
何せ小学1年生ですので言葉でうまく説明できず、身振りで「ちがう ちがう こうだよ」というような授業でした。
それが終わって、その男性と別れる際に本当に喜んでくれて子供にこんなに感謝する大人も珍しいなと思いました。
そして、「また教えて欲しい」と言うのです。我々小学生は必要以上に感謝され天狗になりきっていたので
「いつでも教えてあげるよ」と偉そうに言葉を放ちその日はそれぞれ帰宅しました。
冬休みに入ったある土曜日、朝からスキー場に行くとあの男性がいました。それも友達2人を連れてです。
私の顔を見るなり大きな声で「お〜先〜生」と叫び近寄ってきました。周りに人がいたのでとても恥ずかしかったです。
その男性は2人の友人に「この子が俺のスキーの先生だ」と紹介されると顔が真っ赤になってしまいました。
その日の3人の姿を見てすぐに解りました。彼らは自衛隊員だったのです。九州から赴任してきて雪やスキーとは
全くの無縁でありながら仕事で雪中訓練というものがありスキーを覚えなければならなかったのです。
その日は1日中、3人にスキーを教えました。たくさん会話するうちに身振り手振りだけでなく言葉で
「膝に力を入れない」とか「腰を下げて」とか さだかではありませんが意志疎通が早くなりました。
お昼のロッジではラーメンをおごってくれて4人でスキーの事について話したように記憶しています。
それから3回位、彼らにレッスンしました。2回目からリフトに乗れるようになり、1人だけ覚えの遅い人
がいましたが、2人は立派に頂上から滑ってくることが出来るようになりました。その頃の私はレッスンの度に彼らは
私におやつを持ってきてくれて半分おやつ目的もありました。しかし、こんな小学1年生に必死で教わろうと
している自衛隊員3人に感動し、自衛隊ってスゴイ人たちが働いているところなんだなと私の記憶に刻まれています。

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