おねてぃ聖地巡礼ツアーレポ
第92回 2004年7月31日(土)〜8月1日(日)

「おねてぃ」や「おね☆2」の聖地と言っても、いっぱいある。
木崎湖やあがたの森公園、城山公園、軽井沢など長野県に集中しているが、
沖縄、秋葉原、ゲーセンのある新宿、リカちゃんキャッスルのある福島県小野町など、長野県以外にも聖地はある。

その中に、琵琶湖も含まれる。
おねてぃ第12話に、鳥人オリンピックの会場として登場しているからだ。
鳥人オリンピックが、鳥人間コンテストのことであることは言うまでもない。
だから琵琶湖では大雑把であり、滋賀県彦根市にある松原水泳場と言ったほうがより正確である。
沖縄は遠すぎてさすがに巡礼しにくいが、琵琶湖はいつか行きたいと思っていた。
しかし琵琶湖は巡礼する日がいつでもいい訳ではない。
やはり鳥人間コンテストが開催されている、夏の2日間限定の聖地といえよう。
昨年は鳥人間史上に残る好記録続出の大会であったため、行かなくて非常に後悔した。
そこで今年は、ぜひとも行きたいと思った。

7月31日午後8時20分。ついに鳥人間に向けて出発。
今年の鳥人間コンテストは、7月31日と8月1日の2日間開催であり、
初日に滑空機部門、2日目に人力プロペラ機部門が行われる。
7月31日は仕事のために行けないが、より観たい人力プロペラ機部門は観ることができる。
土曜日の夜に出発し、その夜のうちに琵琶湖に到着してしまい、現地で車中泊という予定をたてた。

しかし群馬から琵琶湖は遠い。必然的に高速を使うことになり、それは金がかかってしまう。
吉井I.Cから上信越道に乗り、長野道〜中央道〜東名〜名神と乗り継げば高速1本で彦根まで行けるが、
それだと片道9000円近くかかってしまうため、少しでも節約するルートを選んだ。
吉井I.Cから上信越道に乗ったが、下仁田I.Cで降りてR254内山峠を越えて長野へ。
夜にもかかわらず交通量があったため、いつもの昼間の木崎湖行きと所要時間はかわらなかった。
その後R142新和田トンネル有料道路を600円払って通り、長野道岡谷I.Cから再び高速へ。
これで2000円ほど浮かすことができた。

岡谷I.Cには出発から2時間12分後の午後10時32分に着いた。ここまでは予定通り。
岡谷JCTから中央道に入り、ひたすら東名を目指してひた走る。
夜にもかかわらず交通量はかなりあったが、順調であった。
あとの問題はは台風のみ。
琵琶湖に出発する前から、西進していた台風による影響を懸念していた。
下手すると鳥人間コンテストが中止になる可能性すらあるため、
そうなってしまったら何のために琵琶湖に行ったのかわからない。
出発前の情報により、最悪の事態は避けられそうな模様であったが、
それでも近畿のほうは雨風が強いことが予想された。

中央道に入ってもまだ雨は降っていなかったが、ハイウェイラジオを聴くと関ヶ原近辺で雨が降っていることがわかった。
まだまだどうなるかわからなかった。
恵那山トンネルを抜けて岐阜県に入ったが、ここで眠気が襲ってきたので恵那峡S.Aで休憩することに。
午後11時39分恵那峡S.Aに到着。
店なんかやっていないと思っていたら、ここは深夜も営業していた。
ラーメンが食べられるのがわかると、恵那ラーメンというのに惹かれ、つい食べてしまう。


深夜の恵那峡S.A

8月1日午前0時ちょうどに恵那峡S.Aを出発。
0時30分に小牧JCTに着き東名に入った。そのまま名神に入り、さらに進むと大垣あたりで雨が降り出した。
関ヶ原になるとものすごい大雨になり、それこそ琵琶湖の天候を心配するほどだった。
それでもなんとか滋賀県に突入、彦根I.Cが近づくと雨も小降りになってきた。
そして午前1時17分、彦根I.Cに到着。
目的地の松原水泳場に車を向けると、やがて鳥人間コンテスト駐車場の看板が。
それに従ったが、駐車場がわからず15分くらいさまようことに(苦笑)。
ようやく駐車場に着いたのは、午前1時43分であった。

すぐに寝た。明日は午前6時からフライトが始まるので、1分でも休んでおきたかった。
それでも車中泊なので、何度か目が覚めてしまったが、3度目の目覚めでは既に外は明るかった。
時計をみると午前5時。明るい頃は駐車場も車でいっぱいかと思ったが、そんなことはなく、
着いたときより車はあったがまだガラガラであった。
それでも早くも会場に向かう人の姿が見られた。さすがにもう寝られなかったので、私も会場に向かうことにした。
実はまだ、駐車場から会場までどのくらいの距離があるのか知らなかったのだが、
先に歩いている人達の後をつけていくと、ものの5分ほどで大通りにでて、
そこから念願の鳥人間のプラットホームが見えた。

かなりの感激で、いきなりはしゃいでしまった。
今までTVでしか観たことのないプラットホームがそこにあるかと思うと、やっぱり来てよかったと思うのだった。
プラットホーム近くの岸には、各チームのテントが立ち並んでいて、機体も見えた。
反対側には観覧席も設けられていて、大きなモニターもあるようだった。
とりあえずここからの景色を撮影し、プラットホームのほうに向かっていくことにした。


初めて観た鳥人間コンテストのプラットホーム

こちらの岸に、観覧席や本部などがあった

92回目の聖地巡礼。
浜辺に出ると、ホントにプラットホームは目の前であった。
雨は降っていなかったが、風はあった。防風林によって浜辺は無風であったが、上空は風があるようだった。
とりあえずプラットホームを正面から撮影することにした。
さすがに警備員がいてプラットホームには上がれなかったが(当たり前)、正面からの撮影はすることができた。
プラットホームのすぐ近くのチームは、既に機体が組みあがっていた。
遠くにテント村とも言うべきものが見えたので、そちらに向かってみることにした。


プラットホームを正面から撮影

テント村のほうから撮影

テント村のほうには、多くのチームが既に機体を組み上げていたが、中にはまだ組み立て中のチームも見られた。
せっかくなので、機体を撮影させてもらうことにした。
私のほかにも機体を撮影している人はかなりいて、やはり皆考えることは同じのようである。


その間に、各チームのパイロットと代表者は、プラットホームの下見のために本部に集合しており、
遠くからプラットホームに上がっていく姿が見えた。
ひととおり各チームの機体を見終わった私は、再びプラットホーム前に戻ると、
パイロット達は下見を終えて戻っていて、健康診断を受けているところであった。

さて、まだフライト開始の午前6時まで20分以上ある。
今日はどこから観戦するかを考えていたのだが、各チームの一喜一憂を見るのも楽しいと思い、
このまま浜辺にいてもいいかなと思ったが、
でっかいモニターや観覧席があり、TV放映向けの実況や解説も聴く事が出来ると思う、
向かい側の岸に行ってみることにした。


警備員が写らないように正面を撮影


会場マップの看板も

観覧席の方に行くと、既に席は半分埋まっていた。
実況のよみうりテレビの三浦アナや、解説・ゲストの方も既に観覧席の中央に設けられたブースに座っていた。
ここからだとプラットホームを真横から見る格好になり、やはり一番プラットホームからのテイクオフが見やすい。
私もここから観覧することにし、適当に座った。

2日目の今日は、昨日消化できなかった滑空機部門のフォーミュラクラスの残りから始まるとの放送があった。
フォーミュラクラスとは、今年新設された部門であり、
翼巾、全長、重量などに制限がない今までのオープンクラスに対して、
翼巾12m以内、補助車輪を付けられない、などの制限をつけて、新たな出場の可能性を広げたのだそうだ。
またテイクオフに関しても、機体を補助するスタッフをつけられないそうで、1人で飛び立たなければいけないそうだ。
これはなかなか難しいようで、昨日最も飛んだ機体でも30mとのこと。
今日はこれを抜くことを目標にしたフライトになる模様。
なおオープンクラスは昨日終了しているようだが、結果は風の影響で芳しくなかった模様。


大会本部と観覧席

観覧席横の巨大ビジョン

フライトプログラムの看板

そうこうしているうちに午前6時になり、いつのまにかプラットホームにも今日1番機が運び込まれていた。
今年もプラットホームにはタレントの今田耕司がいて、パイロットにフライト直前の心境などを聞き始めていた。
いよいよ初めて見る鳥人間が始まろうとしていた。

今日の1番機は、「北海道工業大学 航空研」。
初めて見るフライトは、10mちょっとの飛距離であり、落下というのが正しい感じ。
その後も3機フライトしたが、どれも10m台で終わり、昨日30m飛んだチームがそのまま優勝となった。

やや時間をおき、いよいよ人力プロペラ機部門になった。これを見るために来たようなものだからね。
昨年は日本大学理工学部航空研究会が、琵琶湖大橋まで到達し、まだ飛ぶ余裕がありながら、着水命令により着水。
その飛距離は、34654.10mという、信じられない歴代最長記録を打ち立てた大会だった。
今年はそのためルール変更があり、25km以上飛行すると引き返すことができるようになった。
これによって昨年の記録を更新できるようになった。
そこまでの大フライトは要求しないが、10kmを超える大フライトは生で見てみたい。

そして人力プロペラ機部門1番機は、昨年32177.99mの大フライトをしながら、惜しくも2位に終わった、
「東京工業大学 Meister」。
いきなり昨年2位チームの登場とあって、観覧席も大きな期待に包まれた。
しかし、テイクオフからいきなり高度を下げた機体は、その後持ち直すことなく、あっさり着水してしまった。
記録、218.67m。

いきなりの大波乱。応援団も観客席も、大きなため息がもれた。
理由は、風であった。台風の影響で、5mちかくの追い風が常に吹いている中でのフライトは、
経験豊富なチームであっても非常に難しい。今年は非常に厳しい条件であるといえよう。


「東京工業大学 Meister」のフライト

そのいやな雰囲気を変えてくれたのが、2番機の「早稲田大学宇宙航空研究会 WASA」であった。
今回18回目の出場でありながら、過去最高は910.92m。
いまだ1000mフライトを達成いないチームであり、それがチームの目標であった。
そのWASA、先程の東京工業大学と違い、テイクオフは成功。
安定飛行に入った感じで、どんどん飛行距離を伸ばしていった。

徐々に小さくなっていく機体に、観客席からも大きな声援が起こり、私も興奮してしまった。
この雰囲気は、絶対生で観覧しなければ味わえないものであり、
「このまま大フライトになってくれー」
と願う私がいた。
しかし、機体は徐々に高度を下げていった。それでも湖面スレスレになってから持ちこたえ、
会場も大きな盛り上がりとなった。そして着水。

記録、944.11m。
チームの記録は更新したものの、1000mにはわずかに届かなかった。
救助されたパイロットはボートの上で記録を聞かされ、やはり悔しかったのだろう、
チーム記録の更新には笑みを浮かべず頭を抱える姿が、私の胸を打った。


「早稲田大学宇宙航空研究会 WASA」のフライト

言ってしまえば、この早稲田のフライトが、今日のハイライトであった。
今だから言えることだが、この条件の中で、チーム記録を更新する944mも飛んだものだと、拍手を送りたい。
もちろんその時の私はそんなことはまったく思っておらず、このあとさらなるビッグフライトがあるものと思っていた。

3機目は、「愛媛大学 二宮翔会」。
昨年初出場を果たしながら、主催者側の判断により無念の棄権。
涙の無人飛行から1年、再びこの琵琶湖に戻ってきた二宮翔会。
しかし、悪夢は繰り返されてしまった。
折りからの強風は、機体の背後から襲いかかり、フライト直前の翼を折ってしまう。

解説していた東昭さんによると、機体の前方からの風にはある程度耐えうる強度があるのだが、
後方からの強風は計算していないとのこと。
そのため翼が風によって持ちあがり、損傷を受けてしまうのだそうだ。

無念。今年も二宮翔会は、プラットホームから機体を落とすことになってしまった。


無念にもプラットホームから機体を落とす、「二宮翔会」

4番機は、過去4度の優勝を誇り、昨年日大に抜かれるまでは、23688.24mの大会記録を持っていた、
「チームエアロセプシー」の中山浩典さん。
今年6年ぶりの復活出場が話題を集めていたが、なんとフライト順の変更とのこと。
うーん、なんか機体に問題があったのだろうか。

そんなわけで5番目に飛ぶ予定であった、「武蔵工業大学航空研究部」が4番機に。
しかし、これまたプラットホーム上で強風によって、機体に損傷を受けてしまう。
仕方なく翼を固定して無理矢理テイクオフ。しかし機体はまっさかさま。
記録、18.04m。

5番機は、「金沢工業大学 夢工房」。
独創的な先尾翼、二重反転プロペラの機体であったが、これも機体はまっさかさま。
記録、28.36m。

ほとんどチームがテイクオフに失敗していた。
無理もない。時速5mほどの追い風が吹いているわけだが、
そもそも通常テイクオフするときの速度が時速5m程度なのだから、
倍の速度で飛び立たなければ頭を押さえられて失速してしまう。
本当に厳しい条件である。

そして6番目に登場したのが、「東北大学 Windnauts」。
昨年対岸に到達、着水命令による着水でありながら、24823.01mという大会新記録を打ちたて、
「もう優勝間違いなし」と思われながら、日大、東京工業大学に抜かれて結局3位に終わってしまったチームである。
北ルートを選択してしまったのがすべての敗因であり、今年悲願の優勝を目指して再び琵琶湖に戻ってきた。
それだけに期待は大きく、この嫌な雰囲気を吹き飛ばす大フライトを見せてくれ、との願いは大きかった。
しかし、願いはかなわなかった。
素人の私が見ても、明らかにわかる失敗テイクオフ。
その後も持ちなおすことなく、あっさり着水してしまった。
記録、134.47m。
もうこのまま早稲田が優勝してしまうのではないか!?、という雰囲気になってきてしまった。


「東北大学 Windnauts」のフライト

ここまで6機が飛び、1時間に3機というペースで進み、午後9時をまわった。
7番目は、「横浜国立大学 横浜エアロスペース」。
前翼機という珍しい機体で挑んだのだが、
記録、131.92m。

8番機は、「広島大学工学部 HUES」。
過去2回双胴双発機で出場したこのチームは、ゆくゆく二人乗り双発機を目指すそうで、
今年はその過程として、一人乗り双発機でのチャレンジとなったが、
なんとまたプラットホーム上で機体が強風によって損傷を受けてしまった。
今度は修復も無理とのことで、2機目の棄権となってしまった。

9番機は、「東京都立科学技術大学 T−MIT」。
来年都立4大学が統合されて、首都大学東京となるため、今年がチームのラストフライト。
その最後を飾らせてあげたいと思っていたのに、
チームはプラットホーム上で延々と待たされることになった。
10時を大きくまわり、いいかげん痺れをきらした私は、観覧席を離れて付近の様子を見に出かけた。
プラットホーム近くまで行ってみると、桟橋上で順番を待っているチームが、
必死に機体を支えている光景があった。
なんとかしていい条件で飛ばせてあげたい、そう願うしかなかった。
そうこうしている間に、ようやくフライト許可が下りたようで、
私は観覧席以外の場所から初めてフライトを見守った。
記録、28.74m。
やはりダメであった。強風の影響はものすごく、またこの風がおさまる気配すら、今だ感じられないでいた。


プラットホームへ向かう桟橋上で、順番を待たされるチームの機体。

10番機は、「東京大学 F−tec」。
機体がプラットホームにあがったのは、まだ午前10時40分頃であったと思う。
いきなり待たされたが、パイロットのインタビューも始まりフライト出来るのかと思われたが、
その後一向にフライト許可が下りなかった。
上の写真で、一番プラットホームに近い機体が、その東京大学の機体である。
なお真ん中の機体は、独創的な複葉機の11番機「つくば鳥人間の会」、
一番手前の機体は、12番機「芝浦工大 Team Birdman Trial」のである。

私はいろいろ場所を変えて動向を見守っていたが、それでも飛ばず、
鳥人間コンテストの公式ガイドブックを購入し、それをじっくり熟読し読み終わっても、まだ飛んでいなかった。
それでも暇を持て余した私は、大通りを走る車を眺め、鳥人間のプラットホームを見つけて指をさす乗客の様子を観察。
これがなかなか面白く、ちっとも飽きなかった。
お昼をまわり、かき氷を食べる頃になると、プラットホーム上にいた東京大学のチームが、
機体をもって坂を下り始めているではないか。
いよいよ競技も強風のために、中断を余儀なくされた模様。
再開のメドはまだたっていないようで、私がいる間にディフェンディングチャンピオンであり、最後にフライト予定の、
日本大学理工学部航空研究会のフライトを、観ることが出来ないことが確実となった。

当初の予定では、午後2時頃家に帰ろうと思っていたのだが、
この様子では1時間程度では再開されないと思われたので、これで残念だが引き上げることにした。
この後万が一に風が治まれば、競技が再開されてビッグフライトがあるかもしれないが、
もうそこまで待っていたら、家に帰りつくのが何時になるかわからないし、明日は仕事がある。無理はできなかった。

午後0時27分出発。
帰りは北陸道の米原I.Cから高速に乗り、米原JCTで名神に。
いきなり睡魔に襲われたので、尾張小牧P.Aに寄って尾張ラーメンを衝動食い。
13分の休憩ののち再出発。
午後1時32分に小牧JCTに着き、中央道へ。
恵那山トンネル付近までいくと、反対の下り車線に大型トラックを含めた大事故現場に遭遇。
その後ろには道路を寸断されて動けなくなった後続車が連なりすごい状態に。
恵那山トンネルを抜けて再び反対車線を見ると、トンネルの中で渋滞させないように信号が赤になっていた模様。
ここからまたすごい車の列であり、もうあきらめて車の外に出ている客まで見受けられた。
ラジオの交通情報を聞くと、この区間で通行止めになっていて、直前の飯田I.Cはまたすごい料金所渋滞になっていた。
この事故が上り車線で起きなくて本当に良かったと思いながら、
事故にあった方が無事か心配でならなかった。

私も改めて運転に気を使い、小黒川P.Aで再び休憩をとったのち、
午後3時19分に岡谷I.Cに到着。
行きと同様に新和田トンネルを通って、R254経由で群馬へ。
家に到着したのは、午後6時ちょっと前であった。

家に帰ってから、鳥人間についての情報を調べ始め、
あのあと結局1機もフライト出来ずに、午後4時頃中止が決定。
人力プロペラ機部門はフライト機数が少なかったために、ノーコンテストとなったそうである。
来年はいい天候のもと、開催して欲しい。
そして来年も、また観覧に駆けつけたいと思う私であった。

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