<2>−6


 ガラッ!ピシャッツ!……バタバタバタ……
 「ただいま帰りましたっ!」
 玄関の引き戸が立てる盛大な物音と、八戒の切羽詰った、それでもきちんと帰宅の挨拶をする声が同時に響いた。

 「ど、どうしたのっ!八戒!」
 そのまま茶の間に飛び込んだ八戒に、布巾を持った悟空が目を丸くして、台所から飛び出してくる。
 「今、丁度飯が終って…………」

 「悟空!お風呂沸いてますかっ!」
 悟空の言葉など頭から無視して、凄い勢いで問い掛ける八戒に、悟空は慌てて大きく肯いた。
 「バケツにお湯を持ってきてっ!」
 「……う、うんっ」
 有無を言わさぬ八戒の言葉に、悟空は布巾を放り出して風呂場に向かった。それと入れ違いに、やはり台所で皿洗いをしていた三蔵が、不機嫌そのものと言った顔つきで茶の間に足を踏み入れる。
 「随分遅かっ…………」
 先ずは、夕飯に間に合わなかった八戒に、その理由を問い質そうと口を開く三蔵。けれどその言葉が終らないうちに、八戒は畳み掛けるように大声で叫んだ。

 「三蔵っ!バスタオルっ!」
 「は、はいっ!」

 思わずそのキャラに似合わぬ返事をして、三蔵は反射的に洗面所に飛び込んでいった。
 「……………な、何で俺が?」
 自分の行動がどうにも腑に落ちない三蔵だが、八戒の滅多に無い焦った物言いには逆らえないのだ。普段の威厳は何所へやらで、そそくさと八戒のバスタオルを探す三蔵。ついさっきまで皿洗いをしていたその姿は、和服の上にたすき掛け。その後ろを、バケツを下げた悟空が通り抜けてゆく。
 「お、あった………これだな」
 三蔵は、いつも八戒が使っているバスタオルを選び出すと、先ほどちらっと見た彼の姿を思い出して渋面になった。傘も差さなかったらしい、ずぶ濡れの姿。風邪を引くじゃないかと呟いて足早に茶の間に戻る三蔵。先ほど彼に有無を言わさず命令されたことなど忘れてしまっているのは、結局は娘が可愛くて心配な親父の心故なのだ。

 
 「………………八戒、これ、捨て犬?」
 「ええ、多分…………すっかり冷え切ってて、心臓の音も弱いから………」
 三蔵が茶の間に戻ると、畳に敷いた新聞紙の上で、バケツに張ったお湯に子犬を入れて、暖めている八戒と悟空がいた。
 「……………おい、バスタオルだ」
 早くお前の頭を拭け、と続けようとした言葉は、再び八戒のきっぱりとした言葉に遮られた。
 「三蔵、注し湯っ!」
 バケツのお湯じゃ温いのだと、言外に訴える八戒に、三蔵は柄にも無く慌ててキョロキョロとしてしまう。
 「台所の魔法瓶ですっ!」
 「あ………う、うむ………」
 せめて少しでも威厳を取り戻した返事をと、三蔵は鷹揚に肯いて踵を返した。けれどその足取りは、八戒の意を受けてあたふたとしている。やがて三蔵が持ってきた魔法瓶のお湯を足したバケツは、充分に熱くなって、仔犬の身体は少しずつ温まっていった。

 「あ、八戒、コイツ動いた!」
 悟空の嬉しそうな声が上がる中、八戒は仔犬を湯から上げて丁寧にバスタオルで拭き始める。それを見た三蔵は、タオルが汚れるだろうがと文句を言いかけたが、やはりそれも八戒の言葉に遮られてしまった。
 「悟空、牛乳残ってますか?」
 「あ、うん。風呂上りに飲む分があるけど…………いいよ、コイツにやって?俺、暖めてくるから」
 八戒に負けず、動物好きな悟空は、気軽に腰を上げて台所へと向かった。その背中に礼を言って、八戒は炬燵布団の端を捲り上げながら、三蔵に向かって二回目の命令を出す。

 「三蔵、スポイト持ってきてください。この間、予備の分って渡したのがありましたよね?」
 「あ、ああ…………わ、解った」
 今この状況で何を言っても無駄だと解った三蔵は、諦めたように自室に戻る。そして、いつも仕事用に使っている机の前にしゃがみ込むと、引き出しの中からハトロン紙の封筒を取り出した。
 仕事柄、毛筆で物を書く機会が多い三蔵だが、道具に関しては酷く無頓着で、書ければ良いというスタイルを貫いている。なので、筆も硯も近所の文房具屋で売っている小学生用のものだし、硯の水差しも1個五円の安物スポイトだ。けれど、無頓着なだけに物を無くしやすい三蔵であるから、八戒はいつも予備を用意しているのである。
 そんなちっぽけなスポイトを一つ持って、三蔵は茶の間へと戻った。捲りあげた炬燵の中で暖められていた仔犬は、再び八戒の腕の中に抱かれて、悟空が用意したミルクをスポイトで貰っている。

 「…………飲む?…………飲めるかな、こいつ………」
 心配そうに覗き込む悟空の声に、八戒のホッとしたような言葉が返った。
 「……………あ、大丈夫。飲んでます…………うん、飲んでますよ、悟空」

 必死になって仔犬を助けようとしている八戒と悟空の姿を、立ったまま見ていた三蔵は、黙って風呂場に行くと、今度は自分のバスタオルを持ってくる。そして、ある程度のミルクを飲んで眠り始めた子犬を確認すると、三蔵は八戒の頭にバサリとバスタオルを被せた。
 「後は悟空に任せて、お前は直ぐ風呂に入って来い」
 未だに濡れたオーバーを着たままで、髪もぐっしょりと濡れている八戒である。そんな彼に、厳しい顔つきで睨みながら言う三蔵。すると八戒は、座ったままその顔を見上げて、どこか泣き出しそうに眦を下げると、囁くような声音で言葉を紡いだ。
 「………三蔵、この子、うちで飼っちゃダメですか?」

 基本的に、あまり動物好きではない三蔵である。決して嫌いではないのだが、周囲が騒がしくなるのが嫌で、面倒を見たりするのが厄介だと思っている。けれど、八戒のそんな表情を見て、即座に却下の声は出ない。
 「…………………む………しかし………」
 「世話は僕が責任もってしますから。躾もちゃんとしますし……………」
 縋るような眼差しで言い募る八戒に、三蔵は言葉に詰まってしまった。すると八戒は、これは脈ありだと見て、軽く俯くと更に言葉を続ける。
 「だって昼間、悟空と三蔵が出て行っちゃうと、僕は家の中に一人なんです。そりゃ、することはそれなりにありますけど、でもやっぱり寂しいって言うか…………この子の餌代なら、僕が昼間働いても良いですし、外に出るのがダメなら内職だって………」
 「おい!」
 八戒の言葉に、三蔵は思わず口を挟んでしまった。

 確かに、昼間家に一人きりになる八戒は、話し相手も無く寂しいのかもしれない。大して広くも無いこの家の家事など、その気になれば朝早いうちに終ってしまう。目が真面目な八戒は、一切手抜きをせずにそれらをこなして、余った時間は庭弄りをしてみたりして過ごしているようだ。けれど朝から夕方まで一人と言うのはやはり可哀想だったか、と今更ながらに気付く三蔵である。
 しかも、時には自分の出張や悟空の合宿等で、八戒がこの家に一人で留守番をすることもままあるのだ。それは無用心だと、常々思っていた三蔵でもある。この場合、八戒が成人男子であることや、強盗が狙うほどの家でもないと言う事は念頭に無い。

 「俺の稼ぎが、犬一匹養えないほど少ないってのか?お前がわざわざ働くことは無ぇ」
 とうとう三蔵は、苦々しげにそう答えてしまった。
 「えっ……………じゃぁ、飼っても良いんですねっ」
 仏頂面で、婉曲に八戒のお願いを許した三蔵に、八戒は喜色満面と言う表情でパッと立ち上がる。そして、三蔵の返事も待たず、それはそれは綺麗な笑顔を浮かべると、そのまま三蔵に抱きついてしまった。

 「ありがとうございます、三蔵っ!大好きですっ!」

 ガバッと抱きつき、何とも嬉しそうな声を上げる八戒に、三蔵はどぎまぎする心を必死で押し殺すしかない。ともすれば、でれんとにやけそうになる顔を、腹に力を入れまくって引き締める三蔵。
 そして、本当はいつまでもこうしていて貰いたいのだが、何とか八戒の腕を振り解くと、根性で作った厳しい顔で、きっぱりと言い渡すのだった。
 「良いから、風呂に入って来いって言ってるだろうが。後のことはしておいてやる」

 そして、無理やり八戒を風呂場に押し込むと、悟空が炬燵の傍から離れないのを良い事に、そそくさと彼の着替えを用意して、カレーを温めに台所に立つのである。三蔵の頭の中からは、八戒の帰りが遅かったことに対する不審や苛立ちは、綺麗さっぱり消えてなくなっていた。
 今日一日の不機嫌なぞころっと忘れ、幸せな親父気分をこっそり堪能する三蔵であった。


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八戒さんの親父転がし(笑)。さて、故意か天然か?
でも、娘を溺愛する親父なんてこんなもんでしょう。
取り敢えず今回のデートはばれずに済みましたが、次回から少しずつ……