雪の中の三人男

しかし彼はじっとがまんしてドアをしめ、天窓をあけて空を仰いだ。大きな雪がヒラヒラと小さな部屋に落ちてきて、ベッドの掛布団の上にそっと腰をかけた。
〈蹴とばすのは早すぎる〉と、枢密顧問官トーブラーは言った。〈蹴とばすのは貯金箱にしまっておこう〉

原題 DREI MÄNNER IM SCHNEE
著者 エーリッヒ・ケストナー (Erich Kästner)
訳  小松太郎
出版 創元推理文庫

 ケストナーは「エーミールと探偵たち」とか「二人のロッテ」などの児童文学で有名な作家だけど、最近の読書傾向調査などを読むと、こういった世界児童名作的なものは、子どもたちにまったく人気がないですね。児童書をめぐる状況が、日本では貧困だなあと感じます。スピルバーグのETの中で、お母さんが子どもにピーターパンを読んで聞かせる場面があって、ほのぼのしたムードを醸し出していた。あれがキティか何かだったら興ざめだね。
 さてケストナーは、ドイツ本国ではアバンギャルドな詩人で有名だったらしく、体制批判にも熱を入れていたから、折しもナチス台頭期で相当ひどい弾圧を受けたらしい。ナチスは公序良俗を乱すという理由で、何度か焚書を断行した。ケストナーの本も焼かれ、ドイツ国内ではケストナーは出版禁止の扱いだったという。
 そんな中、一見政治とは関係ない気楽なユーモア小説としてスイスで出版されたのがこの「雪の中の三人男」だ。なぜユーモア小説なのかも気になるけど、そこらは伝記作家たちに任せるとして、紹介に移ろう。

 物語は、一見本筋とは関係ないような二人の男のやりとりから始まる。一人はこの物語の作者でもう一人はその友人だ。この友人はガールフレンドに気に入られたいがために、遠い街の彫刻を見に行くと言い張る。ガールフレンドは美術史家で、その彫刻がすばらしいので、ぜひ見るようにと勧められたからだ。結局この恋は不調に終わるのだが、彫刻を見に行く短い旅の間に、列車のコンパートメントで聞いた話がこの物語という発端なのだ。ここまでの前置きがけっこう長い。
 前置きが長くて、登場人物の紹介などがしつこいのがケストナーのスタイルになっていて、これはドイツあたりの昔話などの伝統なのかケストナーの独創なのか不勉強でよくわからない。だが、このしつこい前置きにおもしろみを感じるかどうかで、ケストナーを好きか嫌いかの別れ目になると思う。この物語の登場人物たちは、みなディック・ブルーナの絵本のようにくっきりしたキャラクターで、善人は善人、悪人は悪人とかなり誇張した味付けがされている。だから、せっかちに本編に入ると、ちょっと絵本的で単純すぎて、現代人にはなじめないかもしれない。だから、長々とした前置きは、そんなおとぎ話的な世界に読者をなじみやすくされる作者の工夫だったのかもしれない。

 本編の物語は、巨大企業グループの会長である大金持ちが(彼はおじさんの遺産を受け継いで悠々たる暮らしをしている)、自分で提案した宣伝コピーコンテストに匿名で応募し、偶然一等に入賞してしまうという発端から始まる。一等の賞品は豪華ウィンターリゾートホテル旅行なのだ。彼はこのチャンスに全く別人になって旅行をしたらおもしろいだろうと思いつく。その上、貧乏人の振りをして豪華ホテルにいったらもっとおもしろいだろうと考え出す。彼は、わざわざぼろぼろの古着を買い集めたり、学生時代の古いトランクを屋根裏から引っ張り出したりして、変装に熱中し始める。そして家族の反対を押し切り、貧乏人として意気揚々と旅行に出発する。念のため執事を大金持ちに扮装させて、知らんぷりで付き添わせるというわがままもあり、いたずらの反面その小心ぶりもなかなか笑わせる。
 さて、ここまで読めば「ははあ。これはいわゆるシュチュエーションコメディだな」と見当がつくと思う。実際ディズニーあたりが目をつけそうなストーリーで、後書きを見るとMGMが映画化権を取得したと書いてある。実際に映画化されたのかどうか知りたいところである。

 ホテルでは、上流階級の客たちが暇をもてあまして、世間話とパーティに汲々としている。案の定、主人公はホテルの支配人から毛嫌いされて冷淡な扱いを受けるのだが、このホテルのロビーでばったり出会うのが、もう一人の第二位入賞者。これが現在失業中の正真正銘の貧乏人。二人はみじめな境遇に意気投合してたちまち仲良しになる。この失業者はハンサムな若者なのだが、この錯綜したシュチュエーションに輪をかける勘違いが加わる。主人公の娘が、父に内緒でホテル支配人に電話をしていたのだ。それは、貧乏人の入賞者がまもなく着くが、彼は大金持ちなのにいたずらがしたくて、そちらに向かうはず。芝居に乗った振りをして、適当に相手になってほしいと頼む。ところがその電話の最中に、主人公が近づくので娘はあわてて電話を切ってしまう。そう肝心の名前を言い忘れてしまうのだ。
 そしてコメディの原則通り、主人公はホテルの人々から勘違いされ、本当の貧乏人と取り違えられてしまう。こうして、貧乏人だと思われている大金持ちと、大金持ちだと思われている失業者が、高級リゾートホテルに大混乱を巻き起こす。

 あらすじを読めばわかるように、シュチュエーション自体がちょっと現代離れしていて、50年代頃のハリウッド映画の雰囲気がある。今となっては、ちょっと時代錯誤の感は否めないが、しかし、作者自身が「大金持ちは時代遅れか」とふれているように、実際時代設定は1930年ごろかそのあたりということで、古き良きヨーロッパを舞台にしたお話なのだ。ホテルにエレベーターこそあれ、スキーは木製だし、お客は皆タキシードかドレスといったいでたちだ。様々な情景ものんびりしたもので、この小説はいわば時代物として楽しむべきだろう。今ならレトロなムードがあって、けっこう受けるのではないかと思うんだがどうだろう。

 さてケストナーはこれ以降も二つのユーモア小説を立て続けに書いている。どちらも同じ創元文庫から出版されている。「消え失せた密画」「一杯のコーヒーから」という作品で、題名の直訳風がなんともクラシックでいいなあと思うのだ。
 「消え失せた密画」は、小さな名画をねらう窃盗団と絵を守ろうとするヒロイン、彼女に近づく謎の青年とお人好しの肉屋の親父の珍道中といったお話。
 「一杯のコーヒーから」は、ある夏のザルツブルグ音楽祭を舞台にした、しゃれたラブコメディで、可憐な小品といった趣がある。

おすすめ

 フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースのミュージカル映画あたりが好きな人。
 古風な物語を、おいしいコーヒーなどと一緒にどうぞ。