春秋の檻−獄医立花登手控え−

 登がそう言ったとき、松波の上体がふっと沈んだ。次の瞬間松波の腰をはなれた刀が、流星のように登を襲って来た。刃うなりするほど速い抜き打ちだった。
 だが登は、松波の肩が沈んだとき思いきって前に踏みこんでいた。胴を薙いで来た白刃を、一髪の差で峰の方に回り込んでかわすと、すれちがいざまに、村雨と呼ぶ頸の急所に当身を打った。だが次の瞬間、登は総身に水を浴びたような気がした。
 当身は確かに入ったが、浅い気がしたのである。浅かったのは、登の技に狂いがあったわけではない。相手がかわしたのだとわかった。
−利いていない。

著者 藤沢周平

出版 講談社文庫

 ぼくの出た高校は、質実剛健を校訓としていた学校で、男子校だったせいもあるけど、体育の授業で剣道と柔道があった。ぼくは運動関係は苦手で、中学の部活も早々にリタイヤしたぐらいだったから、この武道の授業にはまったくお手上げだった。特に柔道の先生は、もしかしたら現役の選手だったんじゃないかと思うくらい厳しい先生だった。今でも東北弁の先生のかけ声をよく覚えている。
「それじゃ、かるくすくわっといごか?」でスクワットが100回、これが準備運動代わりだから、本番の授業はさらにすごかった。おかげで授業が終わった後は、ちょっとした段差にもつまずくほど足がガタガタになったものだった。
 柔道というと柔ちゃんのイメージで、切れのいい立ち技が決まるとかっこいいという感じだけど、自分でやってみると実に過酷な武道だとよくわかるよ。

 さて、この春秋の檻だけど、主人公は青年医師であるとともに、柔の達人という設定になっている。時代小説というとちゃんばらというイメージだけど、わざわざ柔術にしたところが斬新だ。
 物語は主人公の日常描写から始まるが、主人公の周囲の人物にも一工夫がされている。主人公立花登は、田舎から名医になりたくて江戸にきたばかりの青年医師だ。江戸に行くのにあたり頼りにしてきたのは、江戸で立身したと聞いていた叔父さんで、さぞかし立派な家かと思いきや、ぼろい一軒家で叔父さんははやらない町医者をしていた。その上内職として、小伝馬町の牢医までやっていた。牢医というのは牢に詰めていて、受刑者が病気になったとき診察する医師で、幕府に雇われている身分だ。叔父はこの牢医になったことを、まるで将軍家の医師になったかのように故郷で話していたというわけだ。叔父の一家もなかなかのもので、叔母さんは美人だがけちできつい性格、登のことを迷惑な居候ぐらいに思っている。いとこのちえは年下なのに「のぼる!のぼる!」と使用人のがわりにつまらない用事を言いつける。なんとも居心地の悪い家だが、登はいつかはもっと勉強して立派な医師になるチャンスもくるかと、叔父一家にこき使われながら堪え忍ぶ毎日が続いている。
 叔父さんは登を引き取ってくれたのはいいが、酒好きが高じて、面倒な牢医の仕事を登に押しつけて、友達の所へ酒を飲みに行くことが多い。
 こんな状況だが、登は機械的に割り切って診療を続ける先輩牢医に反発しつつ、罪人の医療に精一杯の仕事をしようと努める。

 物語は連作の形を取り、登が牢内でふと気がついた事件などを元に無実の罪人を助けようと奮闘したり、またその熱血漢ぶりを逆手に取られて悪人に利用されかかったりする話が続いていく。なにしろ初々しい青年医師が牢医という制度のあり方に悩みつつ生きていく姿に、現代の医療にも通じるような葛藤があって、なかなか深い味わいがある。
 立ち回りもすばらしい。時代劇だから当然侍やならず者と戦う場面が出てくるが、登はつねに素手で悪漢と立ち向かう。刀や匕首対素手だから、そのスリリングな描写は今までの時代劇とはひと味違う切れ味を持っている。

 さて、この立花登シリーズは全四作。それぞれの巻には各短編をつなぐ連続したエピソードが隠し味のように編み込まれていて、巻を追うごとに登場人物たちの関係が少しずつ変化していく。第一巻ではいとこのちえとの関係が各短編をつなぐ役割をしている。ちえは年上のいとこを使用人代わりにこき使うぐらいだから、十六、七歳にしてなかなかの不良娘だ。酒は飲むし、いかがわしい男友達もいるらしい。そのちえの遊びがだんだんひどくなり、ついに何者かにかどわかされる事件が起きる。登は身内が巻き込まれて、冷や汗をかきながら、何とかいとこを取り戻そうと苦戦を強いられる。

おすすめ
 人情話の好きな人。
 江戸の人情が堪能できます。
 立ち回りの鋭い味もピカイチです。