シカゴ・ブルース

 ぼくはパパがどこかにいるかと思って、部屋じゅうを見まわしたが、いなかった。ママの靴がベッドと反対の隅にころがっている。ベッドから投げとばされたらしく、二つが離ればなれに落ちていた。
 だが、パパはいなかった。
 パパはうちに帰らなかったのだ。

原題 The Fabulous Clipjoint
著者 フレドリック・ブラウン(Fredric Brown)
訳 吉田 勝
出版 創元推理文庫

 フレドリック・ブラウンは1906年生まれ72年没で、50年ごろから65年あたりに活躍した作家だから、アメリカSFが一番輝いていた時代とちょうど重なっている。日本では当時唯一のSF雑誌「SFマガジン」がアメリカの「ファンタジー&サイエンスフィクション」と提携していたせいもあって、ブラウンの短編がたびたび紹介された。ブラウンの小説はどれも風変わりな設定やひねりの利いたプロットで人気があったんだ。
 ぼくも「火星人ゴーホーム」や「発狂した宇宙」などハヤカワ文庫から出た代表作を夢中で読んでいた。その頃ぼくは彼のことをてっきりSF専門の作家だとばかり思っていたから、本屋でこの作品を見つけたときは、「あれっ、ブラウンは推理小説も書くのか?」と思ったものだった。後書きを読むと、この作品が彼のデビュー作でしかもアメリカ推理作家協会賞を受賞している。ミステリ作家として堂々たるデビューを飾っていたのに、ぼくは全然知らなかった。

 物語は、主人公のエド・ハンターが目を覚ます場面から始まる。エドは植字工見習いで父親の勤める印刷会社に入ったばかりだ。植字工見習いというところが時代を感じさせる。植字工っていうのは印刷機にかける活字を組む職人のことだ。夏のことで、シカゴの下町にあるエドのアパートは朝の7時なのにもう暑くなっている。アパートの中はいつもと同じ光景だ。義理の母親(エドの父は連れ子をして再婚したのだ)はまだ酒のにおいをさせて、ドレスのままベッドで眠りこけている。義理の妹も目覚めていない。でも父親の姿だけがなかった。父が帰った様子のないことに気づいたエドの不安が高まる。
 外の様子を見に階段に出たエドは警官と会う。そっと戻ると警官はエドの部屋へ向かった。母が出てくると、警官が、
「奥さん、気の毒だが悪いニュースです。彼は・・・死にました」
と告げているのをエドは聞いてしまう。

 ぼくのへたくそな要約を読んでしまうと、「まるで2時間ドラマじゃないか!」とあきれると思うけど、この小説はしょうもない2時間ドラマとヒッチコックの映画位違うと思う。エアコンなんてなかった時代、安アパートの早朝の空気感とか、エドの家族に対する曰く言い難い感情など、ほんの数ページ読んだだけでぐぐっと伝わってくる。よくできたシナリオの映画を見ているよな気がするんだ。

 エドは義理の母や妹のことをどう受け止めていいかわからないでいるけど、実は父親に対しても屈折した感情を感じている。愚痴一つこぼさず家族のために働いている父、でもあばずれの母にはもうちょっとビシッとした態度を取ってもいいんじゃないかといういらだちを感じ続けていたんだ。父が死んだ。エドはどうしていいかわからず、父の弟を訪ねていく。叔父のアムブローズはカーニバルでショーをやっていた。エドを慰めたアム叔父は「俺たちはハンター(姓に引っかけている)だ!二人で親父を殺した犯人を見つけだそう」とエドに持ちかける。アム叔父は兄を殺した犯人に復讐するために、エドは父親はなぜ殺されなければならなかったのかを知るために、二人は捜査を開始する。
 この捜査の過程で、父の昔の暮らしぶりや息子エドに対する父の気持ちなどがだんだん明らかになってくる。

 ブラウンがこの作品を書いたのは、彼が40歳くらい。年を取ってからのデビューという点では、藤沢周平に似ている。藤沢周平も人情を淡々と描写するのがうまかったけど、ブラウンもさりげない描写が実にうまい。エドは会社のロッカーから父の私物を持ち帰る。その中から、ジャグラーの使う手玉を見つける。エドの父は若い頃、曲芸や手品をしながら外国を放浪していたのだ。アム叔父からそんな話を聞きながら、エドは色とりどりの手玉を手にして、ある光景を思い出す。幼い頃エドのベビーベッドの上で、きらきらした丸いものがくるくると回っていた。お金はなくとも、そうやってエドの父は息子をあやしていたんだ。
 さてこの後エドとアム叔父はいろいろと勘違いしたり、危ない目にあったりしたあげく父の死の真相にたどり着く。さて、その真相とは・・・・・。あとは実際に読んでみてね。

 この物語の主人公はエドであって、アム叔父ではない。でも途中まではアム叔父がストーリーを引っ張っていく。ハードボイルドとしてはアム叔父こそ探偵役にぴったりだけど、あえてエドを主人公にすえたところがいい。大人の入り口にさしかかったエドの視点から物語が進められるために、謎解きだけでなく、仲違いした父子の和解のドラマ(父は亡くなっているけどね)、親子の絆を再発見する青春小説にもなっているのだ。読み終わってさわやかな気分になれること、うけあいだ。

おすすめ

 思春期の子どもを持ったお父さん。ぜひ読んでみてください。深夜に読み終わって、ふと気づくと家族はすっかり寝静まっている。とってもしみじみした気分になれますよ。

P.S.
 作者のブラウンはこれ一編だけのつもりだったと思うけど、エドとアム叔父は実に魅力的だし、人気も相当あったみたいで、この小説はシリーズ化されていく。二人はコンビを組んでカーニバルで各地を回り、さらに続く作品ではついに本物の私立探偵を始める。完成度ではシカゴ・ブルースがダントツだと思うけど、他の作品もみなしゃれた会話が楽しくて、二人のコンビもますます息があってくるから、ぜひ読んでみてください。