原子力潜水艦シービュー号

 クレーンはちらと腕時計を眺め、それから、コントロール・パネルのクロノメーターを見、もう一度、頭を振って、上のほうへ向かって呼びたてた。「司令官殿、どうしたんですか」答えがなかったので、艦長は自分もはしごをのぼって行った。
 提督は、すでに外のデッキに出ていた。クレーンは、そのそばに並んで、黙って突っ立ち、眺め渡した。下のほうから、だれかが呼びたてたが、ふたりともその声を無視した。やがて「いったい、これは」とチップ・モートンが展望塔の尖端からいった。「そ・・・・・・そらは火事だ」
 空を横切って、大きな弧を描き、ぎらぎらと燃える光の帯が横たわっていた。その光帯は震え、きらめき、黄色やオレンジの光の斑点がゆらめき、青い閃光が現れたり、消えたりしていた。

原題 VOYAGE TO THE BOTTOM OF THE SEA
著者 シオドー・スタージョン Theodore Sturgeon
訳 井上 勇
出版社 創元SF文庫

 「気まぐれ図書館」のライインナップははっきり言って「へそまがり」。有名な作家だと誰もがベストだという作品はたいがい取り上げていない。一方作家に関しても、マニア受けする特異な作家はあまり取り上げていない。ぼくが職人的なストリーテラーが好きなせいなのだ。
 スタージョンという作家は、SF界ではフィリップ・K・ディックやレイ・ブラッドベリなどと並んで熱狂的なマニアがいる、いわゆる「奇妙な味わい」の作家だ。ミュータントや超能力などSF的ガジェットをよく取り上げるわりに、それらを物語を盛り上げるために使おうとしない。スタージョンの作品では特殊な能力を持っていても、その能力を発揮することより、主人公の実存的な悩みに焦点が当てられることが多い。ぼくはスタージョンの作品を読むとすごく宗教的なものをいつも感じてしまうのだ。

 さて、この作品はアーウィン・アレン監督の「地球の危機」という映画のノベライゼーションだ。映画のほうはパニックSFで、幻想的な作風が持ち味のスタージョンとはミスマッチな気がするが、小説のほうは、どうしてどうしてなかなか堂に入ったサスペンスでどんどんページが進んでしまう。
 物語は映画のストーリーそのまま。大富豪で退役軍人のハリマン・ネルソン提督は、深海の探検と海洋実験を目的とした原子力潜水艦シービュー号を開発する。世界中の子どもたちの寄付金と私財を投じて最新の科学技術を詰め込んだ潜水艦だ。艦長はアメリカ海軍のリー・クレーン。30歳代で艦長に就任した海軍きってのエリートだ。はでな進水セレモニーの後、議会からはパーカー下院議員、心理学者のスザン・ヒラー博士等々お偉方を乗せて北極海へ向けて初航海へ出発する。
 さて北極海で氷原の下を潜行中、シービュー号は突然下から突き上げられ海上へ浮上する。なぜか北極海の氷原には亀裂が入り、氷山がどんどん溶けている。冒頭の引用はその場面で、空一面に火の帯が出現し、気温は熱帯のように上昇している。
 どうやらシービュー号が航海中に何か天変地異が起こっていたらしい。ネルソン提督はさまざまなデータからバンアレン帯に微粒子が混入して大気を加熱し、大気中にこもった熱がさらにバンアレン帯の作用を加速していると分析する。
 ただちにニューヨークへもどったネルソン提督は国連でこの現象を解消するためには、バンアレン帯の帯磁バランスを崩す必要があると訴える。その手段として、ポラリスミサイルに帯磁した粉末をしこんでバンアレン帯に打ち込むことを提案する。この手段に対して高名な物理学者ヅッコは、「そんなことをすれば、地球はさらに燃え上がってしまう」と主張し、国連は大混乱になる。ネルソン提督は不毛な議論に見切りをつけて、艦ごと脱出し、ミサイル発射地点へ向けて急ぐが、全世界の海軍はシービュー号の暴走を止めようと追跡を開始する。
 艦内では、不安と緊張が高まり、さまざまな事故が発生し、ミサイル発射のタイムリミットまでに発射地点までたどりつけるかどうか、ちゃんちゃん。

 さて、ストーリーは典型的なパニックサスペンスSFみたいだけど、ところがどっこいスタージョンだから、シービュー号のチームは科学特捜隊みたいなヒーロー集団じゃあないんだな。身重の奥さんに会いたくて水兵がパニックを起こし、士官の間には緊張が日に日に増し、ついに殺人事件まで発生する。また、北極海で救助された謎の男アルバレスは奇妙な終末論でみんなを不安に陥れる。
 一番スタージョンらしいのは、いい男で美人の婚約者までいる超一流エリート・クレーン艦長だ。彼は何事にも自分がトップなのだという確固たる自信を持っている反面、そのうぬぼれに対して神の罰が下るのではないかと不安を抱えている。アルバレスとの関わりから、この地球焦熱事件そのものが、自分自身に対して神の与えた審判なのだと恐れおののくのだ。
 唯我論をもとに、人間誰もが持つ不安感をじわじわとストーリーに織り込むことで、単なるパニック物が深い味わいの小説になっているのだね。

 サスペンスの常道でうまくいくかなと思うと突発的な事件が起こって、間に合わないんじゃないかと冷や冷やさせる。事件の場面など非常に簡潔な描写で、こんなうまい語り口ができたんだとスタージョンという作家の意外な一面にびっくりさせられる。密閉された船内で起こる事件には、スパイによるサボタージュの匂いがあり、誰がスパイなのかという布石の置き方もなかなかのものだ。
 ちょっと古くなってしまったけど、一級品のサスペンスSFだと思う。現在絶版中で手に入りにくくて残念だ。古本屋で見つけたらぜひ買ってください。損はないです。

おすすめ
パニック物やハラハラドキドキが大好きな人。
海軍ものらしいせりふが満載で、にやっとさせられるところもいいです。
あと、スタージョンらしい一編としては、「雷鳴とバラ」という短編がいいです。これも核戦争をテーマにした人類愛をさりげなく描いたもので、泣けます!