唐獅子株式会社

「だれや?」
送受器を受け取りながら小声できくと、チャボは黙って太い親指を示した。
−黒田です・・・・・。
私の声はふるえていた。
−哲か?
嗄れた声がきこえた。
−へ・・・・・・。
−きのう、出たそうやな。
−おかげさんで。
−達者でよかった。須磨組代紋入りの煙草を江崎に託したから、吸うてくれ。
−ありがとうございます。
−それから、少し重たいものも奴に渡してある。下腹を冷やさんように。
−・・・・・・・・・・。

著者 小林信彦
出版社 新潮文庫

 ぼくは映画も好きだけど、原作を読んでいると映画を観てがっかりすることが多い。この本も一度映画化されたことがあって見に行ったけど、後悔の度合いで言えば「ベルサイユのばら」と双璧だった。ベルばらを見に行ったのもつらい体験で、若気の至りといっていいだろう。原作者の小林さんはショービジネスにも詳しいはずだから、この映画の出来をどう思っていたか聞いてみたいね。でもよく考えてみると、この本を映画化するのはとうてい無理な気がする。それはなぜか。内容の紹介をしていこう。

 お話は主人公の黒田哲夫が刑務所を出所して、所属する暴力団事務所に戻ってくる場面から始まる。彼は組長の罪を背負って服役していたのだが、いざ出所の日が来ても組からは迎え一つこない。内心腹を立てて組事務所までやってくると、自分のいない間に様子が一変している。二階堂組の看板は無くなり「唐獅子通信社」になっていて、組長は社長に、弟分は常務に、すべてが中小企業風に変わっていたのだ。
 実は上部団体の大親分から、組織のイメージアップを図るため社内報作りを命じられていたのだった。お調子者の組長は組本来の業務(かつあげ・覚醒剤の密売・売春などなど)をそっちのけに社内報の編集に熱中している。そのあげく、大親分の掲げる「平和主義」スローガンを鵜呑みにして、組内の武器をすべて売り払ってしまう。大親分は暴走し始めた組長に手を焼き、務所帰りの黒田に対して、ひそかに組長を始末するように命ずるのだった。

 ぼくは会社に勤めたことがないのでよくわからないのだけれど、社内報というのは中企業が少し大企業へと発展し始めたころ、社長さんが会社のステータスのために作りたくなるものらしい。この冒頭からわかるように、全体はやくざ映画のパロディになっている。しかし、そのギャグの量が半端じゃない。巻末にギャグの一覧表が載っているのだが、ざっと見て見開き2ページに少なくとも1つ。会話が続くところでは、7から8こ位ギャグが連発される。たぶん発想されても没になったギャグもあるだろうから、作者の発想力は並大抵の物ではない。
 冒頭の引用は、黒田が大親分から組長殺しを命じられる場面だが、いかにもやくざ映画の中に出てきそうなせりふのやりとりで、そのテンポがまた微妙に一本はずされていて、読んでいてふきだしそうになってしまう。解説では、ここに出てくる「組の代紋入りのたばこ」とは天皇陛下の「恩賜のたばこ」のパロディとある。

 この作品の映画化が失敗したのは当然だと思う。映画化で意図したのはパロディとして映像化されればいいという曖昧な目的だったんじゃないだろうか。出演者の服装やキャラクターがやくざ風に見えて、動きがドタバタになればパロディになると考えたのだろう。それだけでは不安だったと見えて、映画には人情話風な筋立ても持ち込まれている。原作の良さが生かされないだけじゃなくて、シナリオ自体曖昧なものになってしまっている。
 この本のおもしろさはもっともらしい大阪弁(正確には南河内弁というらしい)のやくざのやりとりが、ワンテンポずれて醸し出すおかしさであり、そのやりとりの内容だけでなく、間のおもしろさなのだ。だから漫才の呼吸のような演技と映像が生かせなければ、何の意味もなかったのだ。

 ともかく読んでみる。そうしなければ、この本のおもしろさは絶対にわからないだろう。

おすすめ
 やくざ映画が好きな人。大阪弁が好きな人。
 そして、漫才が好きな人。
 笑えます!