パリ 旅の雑学ノート

 カフェに入り、おもむろにテラスの席に陣取るとする。
まあゆっくりと歩く人々を眺めたり・・・・・・。
でも、いくら待ってもギャルソンは注文をとりにこない。
そのうちにイライラしてきてしまう。
ということが往々にしてあるが、テラスにすわってイライラしたりしてはサマにならない。

著者 玉村豊男
出版 新潮文庫

 ぼくが初めて海外へ出かけたのは結婚した翌年で、少し遅れた新婚旅行のようなものだった。往復の飛行機とホテルの予約を手配して、移動は鉄道でする旅行でバックパッカーに近いものだった。
 なにしろ日中の予定はまったく自由だったから、毎日朝食を食べながらその日に行く所を決めてバスや地下鉄でウロウロと迷いながら行くという、のんきだが考えようによってはかなり無謀な旅だった。こんな旅だったから自分の身は自分で守るしかなく、スリ対策にフィッシングベストを着用し、大事なものはすべてポケットに収納して守ろうと考えた。アイデアはなかなか良かったが、なにしろヨーロッパとはいえ夏の盛り。半袖シャツでもベストを重ね着すると暑くてたまらなかった。これだけ用心していたのに、ローマの骨董市に出かけていったとき、まんまとスリにやられた。
 ガイドブックにはスリが多いから注意と書かれていて、実際行ってみると怪しげな黒ずくめのジプシーらしき人々がウロウロしている。彼らはさりげなく近づいてくると、何度追っ払ってもなかなか離れていかない。そのうち目の前に新聞紙がばさっと広げられて思わずのけぞると、さっと逃げ出す人影が目に入った。あっと思ってベストを探ると、胸ポケットに入れていた手帳が無い。
「こらー!まてー!」と日本語で(当たり前だとっさにイタリア語なんてでるはずがない)叫びながら追いかけると、母親らしい女が手帳を放り出して逃げていく。その時は胸ポケットに手帳を入れていたのだが、その手帳の上が2センチほどポケットからはみ出ていたところを見逃さなかったのだ。黒いので財布だと思ってすったのだが、手帳だとわかって放り出していったに違いない。ちゃっかりしている。
 しかし驚いたのはこの後で、このスリの一団いったんは逃げ出したのだが、この後もこりずにつきまとうのをやめない。結局用心していたのでこの後は被害にあわなかったのだが、彼らのしつこさにはあきれたものだ。
 ところが次第に気づいたのだが、スリの一団がつけ回しているのは、ぼくのような旅行者だけなのだ。市には地元のローマ市民もいるのだが、どうやら狙われないようだった。地元のおばさんが後ろ向きにつけていたぼくのウエストバッグをつついて、「前に回しておきなさい!」と手振りで教えてくれた。このおばさんにもぼくはお上りさんに見えたに違いない。スリにはスリのやり方というのがあり、地元の人からは盗まないというのがルールなのだということらしい。
 ちょっと怖い思いもしたけれど、こんなことも地元の人たちと交じってみないとわからないことで、いい経験をしたものだと思う。

 この本を見つけたのは、旅行から帰ってからで、行く前に読んでおけばパリも計画に入れていたかもしれない。
 本の内容は、パリの紹介だが、ルーブル美術館もエッフェル塔もルイヴィトンもまったく出てこない。出てくるのは、
・カフェでパリジャンのように勘定を払うやり方
・トイレの少ないパリで、ただでおしっこをする方法
・なぜパリジャンは路上にゴミを捨てるのか?
・フランス人ぽい煙草の吸い方
等々。いわゆる観光にはまったく役に立たない情報ばかり。
 怒ってはいけない。著者は前置きできちんとその点にふれている。
「パリについて書かれた本は山ほどあるが、本書ほどくだらないどうでもいいことばかり、それもこれほどしつこく細密に書き並べた本はない・・・」
 まさにその通り!でもそのくだらないところが最高におもしろい。
 パック旅行には誰でも一応安全に海外に行けるというメリットがあるけど、逆に言えば、自分の身を地元の人々にさらしていないから安全なのであって、ふれあいという面から言えばとてももったいないことなんだね。
 この本は著者が長年パリで一見むだな日々を過ごした経験から、日本人にしか見えないパリの人々の暮らしぶりを詳細に記録したもので、外国人だからこそ書けた部分もたくさんある。
 カフェ一つ取ってみても、カウンター料金とテラス席の料金が違うということは初めて知ったことだ。著者の玉村さんは鋭いなあと思うのは、そこにフランス人の合理精神を見いだしている点だ。カウンター席は純粋に飲食物の料金、テラスは飲食物の料金プラステーブルチャージ。だからテラスに座るということは別料金を払っても心ゆくまで座っている権利を手に入れるということだという。チップに関する考証もすごく研究されていて、しかも自分の体験で検証してあるから説得力が違う。

 この本は最近はやりの雑学本のようだが、実は、毎日の暮らしぶりに隠された文化をうまくあぶり出したすごい眼力の本なのです。ぼくはこの本を読んでフランス人と日本人の考え方や習慣の違いを知ることができて、とてもよかったなあと思っているのだ。

おすすめ

 自力でパリの街を歩いてみたいという人は必読。
 たぶん現在はだいぶ変わっているんじゃないかと思うけど、フランス人のことだから、まだまだこの本の通りがんこに暮らしているんじゃないだろうか。
 ほんというと、自分でもパリに行ってみたいなあ。