新版 貧困旅行記


著者 つげ義春
出版 新潮文庫

 つげさんのマンガを読んでいると、自分がだめな人間になっていくような、世間から見捨てられていくようなそんな気分にどんどん落ちていってしまう。たぶん、どんなときでも自信満々ですべてがわかっているつもりの人は、もともとつげさんのマンガなどに興味を引かれないのだろう。本当にドロップアウトしてしまえばどんな気分なのかわからないが、つげさんのマンガを読んでいると、ずぶずぶと無気力になっていく時の不思議な脱力感がなんだか安心の気分ももたらしてくれる。そこがなんともふわふわした心地よさにつながって、いいのだね。

 ねじ式や無能の人などのマンガを描いたつげさんというのは、どんな人なんだろう。そこがとても興味深いのだ。そんなつげさんの暮らし方をのぞき見できるのが、この本だ。
 この本の内容は、つげさん自身が撮影した旅の写真、蒸発旅日記、数々の旅行記でまとめられている。まず、なんといっても、最初に入っている蒸発旅日記がすごい。
 つげさんは昭和43年の秋、マンガ家暮らしに不安を感じて、「蒸発しよう」と思う。この発端が普通じゃあない。暮らしに不安を感じたり、仕事に不満を持ったりすることは誰にもあることだが、いくら一人暮らしだといえ、一足飛びに蒸発という手段で暮らしに見切りをつけてしまうというのは、何とも唐突というかアナーキーというか、その発想に驚いてしまう。
 つげさんが蒸発先に選ぶのは、北九州の小倉。なぜ小倉かというと、結婚しようと思う女性が小倉に住んでいるからだ。ところがこの女性というのは彼のマンガの愛読者で何度か手紙のやりとりをした程度の関係なのだ。たったそれだけの関わりに、つげさんは蒸発するための理由をつけてしまう。
 つげさんは小倉について初めて彼女に会っても、思ったより美人なのに、どこか自分とは合わないように感じて、また不安になってくる。それから翌日も会ってもらいたいのだが、仕事を持つ彼女とは週末にしか会えない。週末までの間、つげさんは近場の温泉に泊まりに行って時間をつぶそうとする。その温泉で、ストリッパーと関係ができてしまったりして、相変わらずふわふわと漂うような日々が続いていくのだ。
 このような行き当たりばったりのつげさんの日常が、マンガの世界そのままに展開していく。そんなつげさんの暮らしになぜかぐいぐいと引きずり込まれるように、本を読んでいる自分も流れに任せて、「これでいいのかもしれない・・・」などと感じ始めてしまう。どこか人ごとのように淡々と語られる蒸発の顛末には、静かな諦観といわくいいがたい不安が込められていて、なんとも感動ものだ。
 第一、つげさんは借金に追われているわけでもなく、家族に虐待されているわけでもない。いわば深刻な問題を抱えて、やむにやまれず蒸発するのではなく、哲学的な蒸発なわけで、カフカの小説のように不条理な旅なのだ。

おすすめ
 つげさんのマンガのファンなら、ぜひ読んでみてください。
 あと、蒸発したいなあと思っている人は、入れ込んでしまうと危険かもしれないけど、リアルな蒸発体験を感じることができると思います。