ヒッチコック 映画術

H 出歯亀に・・・・・。そういえば「ロンドン・オブザーバー」紙の批評家のミス・レジェーンが『裏窓』はおぞましい映画だ。のぞき専門の男の話だ。と吐き捨てるように書いたものだよ。そんなにおぞましいものかね。たしかに『裏窓』の主人公はのぞき屋だ。しかし、人間である以上わたしたちはみんなのぞき屋ではないだろうか。

原題 LE CINEMA SELON ALFRED HITCHCOCK
著者 F・トリフォー 
訳 山田宏一・蓮実重彦
出版 晶文社

ぼくは文庫本が大好きなのだが、なぜかといえば安いからということにつきる。だいたいぼくが文庫本を買うようになった1970年代は一冊180円から300円程度で、千円あれば3冊は文庫本が買えた。だから最近のように一冊780円などという値段を見るとギョッとしてしまう。それでもCD一枚は2500円、映画のDVDは3000円程度だから、文庫本はまだ安いともいえる。
 こんなぼくだから、ハードカバーを買うのは一大決心という時期が長かった。ハードカバーであるというだけでなく大型の本というのはさらに敷居が高くて、ほとんど買ったことがない。
 この本はB5版で359ページ、本文は三段組で写真も山ほどという豪華本で、欲しかったけど買えなかった本の一つだ。最近図書館で借りだして値段を見てみたら、なんと2900円。いくら1981年出版といってもあまり安いのでびっくりした。てっきり五千円以上はすると思っていたので、思いきって買っておけば良かったと思う。

 さてこの本はフランス映画の巨匠F・トリフォーがサスペンス映画の巨匠ヒッチコックに入れ込んで、50時間に及ぶインタビューのすえ書き上げた本だ。参考写真もたくさん集めて編集されていて、ヒッチコック映画の秘密がおしげもなく紹介されている。
 現代のアメリカ映画の派手さに慣れたぼくたちの目から見ると、ヒッチコック映画はシンプルで迫力に欠ける感じはするけど、サスペンスの盛り上げ方などはさすがだと思わされる。
 この本を読むと、ヒッチコックが様々なアイデアをもとに映画を作り上げていったことがわかって、とても興奮させられる。
 例えば1941年制作の「断崖」では、財産目当ての夫に殺されるのではとノイローゼになっていく妻の視点から映画が進行し、サスペンスが盛り上がっていくのだが、この妻から見ると夫の行動がみな怪しそうに見える。深夜眠れないと訴える妻のために、夫が一杯のミルクを運んでくるシーンがある。夫役はケーリー・グラントで、ミルクの入ったグラスを小さなお盆に乗せて、ゆっくりと階段を上っていく。画面ではこのミルクが白くくっきりと見えて、なにやら実に不気味な効果を上げている。カメラがじっとこのミルクのコップを追っていくので、怖い実に怖い。ヒッチコックはモノクロの画面でミルクの白さがきわだつよう、ミルクに豆電球を仕込んで内部から光らせて撮影したという裏話を披露する。
 このように一つ一つの映画にさりげなく、映画的アイデアが盛り込まれている。読んでいるうちに自分でも映画を撮ってみたくなるそんな衝動にかられてくる。映画ファンだったらたまらない魅力のある本だと思う。

 この本が魅力的なのは、ヒッチコックの才能と個性がいきいきと輝いているからに違いないけど、それを引き出したのは、なによりも徹底したインタビューに燃えたトリフォーだろう。トリフォーは映画批評からスタートした人だが、映画に魅入られたきっかけがヒッチコックだったという。アメリカで職人としてしか評価されていなかったヒッチコックを、映画作家として天才であると世界にアピールしたい。そのやむにやまれない気持ちが50時間という前代未聞の長時間インタビューに結びつく。徹底したヒッチコック映画に対する知識と映画作家としての本質に関わるするどいつっこみ。ヒッチコックを誰よりも愛しながらも、駄作には容赦なく噛みつく。徹底したインタビューは、読むものをインタビューの場にいるかのように感じさせる。
 この本を読むまでは、ぼく自身奇抜なカメラワークや巧みなモンタージュでサスペンスを組み立てるのがヒッチコックの特長だとおもっていたけど、実は台詞に頼らず、視線の動きや微妙な表情からサスペンスを生み出したという演出がたくさん紹介されていて、ぼくの見方はまだまだ浅かったのだなあとうならされてしまった。
 この本を読んで、またヒッチコックを観ると、さらに楽しめるようになると思う。

おすすめ

 映画ファン、映画が趣味の人。
 そして業界の裏話などが好きな人。
 中のサイコの有名なシーンの連続写真とどうやって撮影したかの話は特にすごいです。

P.S.
 この本を出版している晶文社は植草甚一の本をたくさん出版しているので有名だ。この出版社の本はどれも編集者が心底入れ込んで作っているなあと思うものばかりだ。本好きにはこたえられない出版社の一つだ。
 犀のマークもすてきです。