そして夜は蘇る

「沢崎さんは、結婚なさっているんでしょう?」と、彼女がタバコを消しながら訊ねた。
「いや、独り者ですよ」と、私は答えた。
「まあ、どうしてですの? 独身主義なのですか」
「そんなことはない」
「どうして、結婚なさらないの?」
「プロポーズの仕方を知らないのです」と言って、私は笑った。「それに、私は女性の好みはうるさくないほうですが、一つだけ、探偵と結婚したがる女はあまり好みではないようですね」彼女も笑った。

著者 原 ォ
出版 ハヤカワ文庫

 日本に小説としてのハードボイルドが根付いたかどうか、ずっと疑問に思っていたのだけど、たまたま新聞で、原ォ「久しぶりの沢崎シリーズ刊行」という書評を目にした時、うん?これは誰?と思ってしまった。
 原さんは、ジャズピアニストとしての経歴が長いらしいのだが、1988年にこの「そして夜は蘇る」で本格ハードボイルド作家としてデビューしている。チャンドラーに傾倒しアメリカハードボイルドを乱読したあげく、自分でも書いてみたい気持ちが押さえきれなかったらしい。  作者の経歴や作品の生まれた経緯を聞くと、「ひゃーそんなまねごとで書かれた小説。しかもハードボイルドだって!」と敬遠してしまいそうになるけど、ところがどっこい。初めの1ページ目から実に悠然とした語り口で小説の世界に引き込まれてしまうのだ。

 物語は、主人公の私立探偵沢崎の事務所に、名前を名乗ろうとしない男が、「先週この事務所を訪ねたはずの佐伯という男に会いたい」とやってくるところから始まる。沢崎はこの頼みを断るが、この男との出会いが、過去の東京都知事選にからむ複雑な事件へ沢崎を引きずり込んでいく。

 この書評のページでは、今までけっこう詳しく筋立てを紹介してきたのだけど、この小説に関しては、あまりにも巧みにプロットが組み立てられているので、ネタばれをしないためには、このくらいしか紹介できないのだ。こんな紹介だけでは、おもしろさが伝わらないと十分わかるので、ほんとに申し訳ないと思う。

 読み終わって、一番感動したのが、作者の構成力で、登場人物がみなかっこいい上に、複雑な人間関係がプロットと実によく絡んでいて、伏線の置き方などびっくりするくらい堂に入っている。本格推理顔負けのプロットで、ハードボイルドとしては文句なく一級品だと思う。  沢崎の住む街の描写も乾いた筆致ですばらしいし、ときおり現実にあった社会ニュースが挿入され時代の空気感をみごとに作品に取り入れることに成功している。  冒頭にあげた会話でもわかるように、ハードボイルド小説の粋な会話が生きていて、しかもそれがきざでなくうまくストーリーにとけ込んでいる。  現れそうで現れない謎のパートナーとの関係を軸にして、主人公の陰の姿も興味を引きつける。  この謎のパートナーと、やくざの幹部、そして札付きの刑事が、なにやら昔重大な事件で関係していたらしい。

 ぼくは、初めて読んだ作家でここ数年これほど夢中になって読んだのはないと思う。この小説を読了してすぐ翌日、続編の「私が殺した少女」を購入。さらに「さらば長き眠り」を購入。3日連続でどっぷりと探偵沢崎の世界にひたってしまったのです。  9年ぶり(!)の新作「愚か者死すべし」が最近上梓され話題です。ぼくが新聞で見た書評がこの新作のでした。
 もっと早く読みたかった気持ちもあるけど、寡作な作家なので、3作続けて読めたのは逆に幸せだったのかもしれません。

おすすめ

 大沢在昌さん、北方謙三さんなどは有名だけど、ハードボイルド好きの人は、ぜひとも原さんを読んでください。ぜったい損はしません。超おすすめ!