ダーウィンの使者

 ミセス・ハミルトンは薬指の細いゴールドの結婚指輪をまわした。
「亭主はすごくさびしいって言ってる。子供たちも、ときどき手に負えないことがあるし」
 ケイはミセス・ハミルトンの手を握った。
「どんなに勇気がいることかよくわかるわ、ミセス・ハミルトン」
 「ルーエラって呼んで。もう一回言うよ、勇気なんてないってば。あんたのファーストネームは?」
 「ケイ」
 「こわいんだよ、ケイ。ほんとはなにが起きているのかつきとめたら、わたしに最初に教えてね」

原題 DARWIN'S RADIO
著者 グレッグ・ベア Greg Bear
訳 大森 望
出版社 ソニー・マガジンズ

 1980年頃から、新作のSFをほとんど読まなくなった。時代小説やミステリーに比重が移ってきたせいもあるけど、このころからSFは日本でもメジャーなジャンルになってきたからかもしれない。スターウォーズの日本公開が1978年で、SFは(まあSF映画が主だけど)一大ブームになった。日本という国は不思議なもので、売れるとなると表面だけまねをした亜流の製品や作品を大量に広めてしまう。亜流のどこが悪いかというと、まじめに作った本格派の作品や作家をつぶしてしまうところなのだ。ぼくも根暗なSF少年だったから、スターウォーズのヒットで、SFが檜舞台に出られると興奮したのだけど、実際は逆で安易なSFアニメなどのポップSFで日本中あふれてしまった。そのせいか自分の中のセンス・オブ・ワンダーを感じる気持ちが冷めてしまったらしい。
 それに、このころからSFは過去のアイデアの組み合わせや微妙な味付けで勝負するようになってきたし、サイバーパンクなどのコンピュータやネットワーク社会を土台にしたものが増えてきた。SFも小説であれば、生身の人間同士のからみの方がおもしろいに決まっている。

 というわけで、新作SFの情報にすっかり疎くなったぼくが久しぶりに手に取ったSFは河出文庫の『20世紀SF(5) 1980年代 冬のマーケット』だった。ちゃんと読まなくなった年代のアンソロジーを読もうとするなんて、われながら生真面目だなあなどと思いつつ読んでみると、これが実におもしろい。どれもSFの真髄ともいえる新鮮な視点を開拓していて感動ものなのだ。
 中でもグレッグ・ベアの「姉妹たち」という短編は、遺伝子操作が当たり前になった世界で「ナチュラル」な子供がどんな感情で暮らしているかを扱ったもので、作者のヒューマニズムが涙を誘う。かつてのSFがいつも個人の尊厳と人間愛にあふれていたその感覚がそのまま生きている。

「うーん!すごいSF作家がいつのまにか出ていたのだなあ」とこのときからグレッグ・ベアという名前が頭に刷り込まれた。先日町の図書館で本を物色していると、グレッグ・ベア「ダーウィンの使者」という2巻ものが目に入った。「おっ!グレッグ・ベアだ」と早速借り出して読む。

 物語は、オーストリア・アルプスの山頂付近からスタートする。人類学者のミッチェルは昔のガールフレンドとその彼氏から無理矢理アルプス山中に引っ張り出される。二人は登山中偶然見つけた「原始人の遺体」を鑑定させるためにミッチェルを連れだしたのだ。なれない登山に苦しみながらやっとたどり着いた洞窟には、男と女のネアンデルタール人と新生児の冷凍された遺体が横たわっていた。女は何者かに刺されていて、どうやら二人は逃亡してきてこの洞窟にたどり着いて息絶えたように見られる。ところが、一緒にあった新生児には現行人類ホモサピエンスの特徴があったのだ。なぜ時代的に断絶しているはずのネアンデルタール人とホモサピエンスの新生児がともにあったのか?ミッチェルはこの謎に悩まされる。
 一方そのころ世界の各地で、なぞの流感がはやり出す。なぜか女性しか感染せず、感染後は必ず流産をしてしまう。アメリカ疾病対策予防センターは、ヒト内在性レトロウィルスが原因であることを突き止める。ヒト内在性レトロウィルスとは、ヒトの細胞に元々存在する遺伝子がウイルスとして外部に移動してしまうというものだ。なぜ、何万年のおとなしく遺伝子のなかに収まっていたものが、ウイルスとして自分自身である人類に害をもたらすのか。そして、この病気(?)によって人類は一代にして滅びてしまうのか。

 最新の分子生物学と進化論がテーマの小説で、なにしろ登場人物のほとんどが研究者だから、科学解説書並に最先端知識が次々と出てくる。ハードSFの中のハードSFという作者の独壇場で、科学が苦手という人は、「そんな本ぜったいいやだ!」と思うかもしれないが、これがけっこう読みやすいのだ。一章が2ページから数ページで、アクション映画のようにスピーディに物語が展開するし、冒頭の原始人をめぐるエピソードと分子生物学者のケイ・ラングがヘロデウイルス(問題の病気を引き起こす)の秘密に迫るエピソードが交互に語られ興味を引きつける。
 それに主人公ケイ(女性)とミッチェル、もう一人のウイルスハンターのディケン(男性)がこの事件にいやおうなく巻き込まれながら三角関係になっていくこととか、ウイルスをめぐる対策での学者同士の対立、人類史上最悪の危機に面したアメリカ政府の全体主義的策謀など、これでもかというストーリーを詰め込んで、上下2巻間然とすることがない。

 全体的には、同じ遺伝子をテーマにした瀬名秀明『パラサイト・イヴ』のスリラーに似ているけど、群像劇としてそれぞれの登場人物の個性的な造形や内面の葛藤まで踏み込んだ描写、壮大な構想までバランスよく書かれていて、絶品です。

おすすめ
SFに没頭したい人
SFらしいSFに飢えている人
やはりSFはまだまだ可能性があるのです。