黒後家蜘蛛の会

 「そこなんだよ」ドレイクは声を張り上げた。「やつは絶対にカンニングしたんだ。ところが、実に巧みにやってのけたんで、誰もそれを見抜けなかった。どういう方法でやったか、誰も見当がつかなかった。トムの言うとおりだよ。私が我慢できないのは、まさにそこなんだ」
 ヘンリーが咳払いして言った。「ひと言、よろしゅうございますか、皆さま」
 男たちは目に見えぬ傀儡師の糸に引かれたかのようにいっせいに顔を上げた。
「何だね、ヘンリー?」トランブルが言った。

原題 Tales of the Black Widowers
著者 アイザック・アシモフ
訳 池央耿
出版 創元推理文庫

 いつ頃だったかFM東京で「音の本棚」というラジオドラマをやっていた。テーマ曲がAs Time Gose Byでなかなか楽しい番組だった。確か毎日通しで1週間で一冊の本を取り上げていたように思う。原作の味を生かした脚本といい声優を使っていて贅沢な番組だった。その音の本棚である時この黒後家蜘蛛の会を取り上げて放送した。なにしろ原作は常にレストランの一室だけで進行するし、レギュラーメンバー以外はゲストが1名という設定だから、まるでラジオドラマのために書かれた小説のようだった。
 さて物語は1話完結の連作の形を取っている。

 レギュラーメンバーは以下の7人。

 ジェフリー・アヴァロン[特許弁護士]
 トーマス・トランブル[暗号専門家]
 イマニュエル・ルービン[作家]
 ジェイムズ・ドレイク[有機化学者]
 マリオ・ゴンザロ[画家]
 ロジャー・ホルステッド[数学者]
 ヘンリー[給仕]

 このうち前の6人は昔からの友人同士で「黒後家蜘蛛の会=ブラックウィドワーズ」という会を作っている。会の目的は会員の親睦を図るため夕食会を月に一度開くこと。夕食会は持ち回りの幹事が場所とメニュウを決め費用も幹事が持つ、毎回一人のゲストを招くのが慣例になっていて、ゲストは無料の晩餐の代わりに会員からの質問には必ず答えなければならない。
 なにしろ仲良しだが個性豊かでそれぞれが一言居士の集まりだから、議論が始まるときりがない。毎回ゲストの話の中から謎を引っ張り出すと、ああでもないこうでもないとひねくり回すのが、ごちそうの腹ごなしと決まっている。口げんか寸前になっても謎が解明されないその時、メンバーの背後から控えめな声がかかる。
「あの、ちょっとよろしいでしょうか?」
 それは給仕のヘンリーで、ヘンリーは最後に必ず鮮やかな解答を披露する。
 シリーズは5巻まで出版されていて、作者のアシモフはこの作品に大変愛着を持っていたらしく、最晩年まで書き続けられた。各編の後には、発想のきっかけなどを記した後書きが必ずついていて、読んでいて実に暖かい気持ちがする。他人の話だけ聴いて鮮やかに謎を解く形式の物語を、アームチュアディテクティブ=安楽椅子探偵などと言うが、このシリーズがまさにそれだ。古くはバロネス・オルツィの隅の老人が有名で、日本だと都筑道夫の退職刑事シリーズが見事な出来だ。だけど、このどちらも探偵役と情報提供者がいつも1対1で話が進む。そこが分かりやすくもありつまらなくもある。黒後家蜘蛛の会だとメンバーがゲストを入れて7人もいるので、ああじゃないこうじゃないと大変にぎやかだ。それが実に楽しい。謎も多面的に議論されるから、袋小路に入った謎が解かれる瞬間の鮮やかさが際だつ。アシモフが創造した6人のメンバーこそが、この物語を成功させたのだといえるだろう。
 さて第1巻で、提供される各短編とその謎を上げておこう。

1 会心の笑い
 がめつい男の元から盗まれた物とは何か?
2 贋物(Phony)のPh
 絶対に見抜けないカンニングの方法
3 実を言えば
 嘘を言わない男の話に隠された謎
4 行け、小さき書物よ
 目の前で公然とやりとりされている暗号とは何か?
5 日曜の朝早く
 完全なアリバイに隠された謎
6 明白な要素
 完璧な予知能力はなぜ生まれたのか?
7 指し示す指
 いまわの際に無言で指し示した指は何を言いたかったのか?
8 何国代表?
 ミスコンテストで過激派に狙われたのは誰か?
9 ブロードウェーの子守歌
 しつこい工事の音には意味があるのか?
10 ヤンキー・ドゥードル都へ行く
 鼻歌が真実を暴露したか?
11 不思議な省略
 アリスの不思議な省略って?
12 死角
 密室同然の船の中で、秘密の講演資料を盗んだのは誰か?

 殺人事件などはほとんど出てこないが、どうやったら説明が付くのかまったくわからない謎が毎回ゲストから提供され、堂々巡りのあげくヘンリーの登場となる。作りは水戸黄門だけど、中身は毎回あっという出来なのだ。

おすすめ
 ひねりの利いた短編に目がない人。
 血なまぐさい話はまったくないので、のんびり安心して読めます。