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ひとりおもふ
宇宙の法則

 街中のドラッグストアの入り口。
 
20歳前後と思われる女性が公衆電話をかけている。携帯電話のバッテリーでもなくなったんだろうと思ったが、たしかにその響きとイントネーションは中国語である。この女性は中国から来ているのか・・・。
 
 
レジの女性に、「中国の女性は珍しいね」と話しかけると、

 
「近くに水産会社があって、そこへ研修生として中国から来て働いているみたいですよ。水産会社の敷地に寮も完備していて、土曜か日曜におやつや生活用品などを買いにでかけたついでに、公衆電話からああやって電話しているんです。きっと、中国の実家にでも国際電話しているんでしょうね。」

 
と、客からいつも聞かれているのか、妙に手馴れた感じで説明してくれた。

 
よく見ると、足元に置かれたスーパーの透明な袋の中に黄色いバナナとチョコレート箱、それにポテトチップスの袋などが透けて見えていた。

 
レジを済ませ、その女性の横を通りすぎた。言葉はわからないが、気持ちはわかるような気がした。見知らぬ異国へ「出稼ぎ」に来て、唯一の楽しみは嗜好品の買い物と祖国への長電話なのだろう。おそらく、

 
「私は元気よ。おかあさん、カゼひかないでね。お金はちゃんと送ったからおいしいもの食べてね。もうすこしで帰られるから。おみやげいっぱい持って帰るね。」

などの万国共通のお話でもしているのだろう。

 微笑ましいというよりは寂しさを覚えるとともに、日本が高度成長に入りかけたころの昭和30年から40年にかけて、その原動力として地方から上京してきた若者たちの姿が何故か重なりあっていた。・・・それも東京ではなく、日本の「てっぺん」の街に来て働いているなんて・・・。


 その電話をかけている姿が、しばらくは脳裏から離れなかった。


 だが、1ケ月が過ぎ、季節は夏から秋へと変わるにつれて、その姿は僕の脳裏から次第に忘れ去られていった。


 先週末、僕はドラッグストアへ行った。生活用品を買い、レジをすませ、出口へ向かう。20前後の女性が5名、出口のところで立ち話をしていた。中国語である。服装は夏のTシャツにジーンズから、厚手のセーターとジーンズに変わっていた。近くのスーパーでもらったのであろうゴム風船をみんな手にしていた。スーパーの透明袋にはあいかわらず黄色いバナナとポテトチップスの袋が透けて見えた。彼女らはニコニコしながら5人仲良く歩きはじめた。手にしたゴム風船とスーパーの透明袋を除けば、その光景は日本のどこにでも見かけるような女子高校生仲良し5人組と変わりない。変わりがあるとすれば、それは、祖国を遠く離れ見知らぬ国のはずれで「国際出稼ぎ」をしているということだけだろう。


 日本の若者が「海外協力隊」の一員として派遣されることは新聞報道などの媒体を通じて知っているが、食べるために集団化して海外へ出て仕事をするということはあまり聞かない。海外へ出て仕事をする若者の多くは、自らの意思で「飛び出した」のだろうと思う。


 研修という名目とは言え合法的な就労である。どのくらいの賃金を取得しているかは定かでないが、研修である以上、そんなに高くはないだろう。ただ、寮施設が完備していることや集団で就労できるなど受け入れ体制がしっかりしているということを考えれば、東京などの飲食店で就労する「片言日本語」のアジア人とは条件面でかなり差があるはずである。


 研修の内容は、おそらくは水産物の加工であり、端的に言えば、稚内ではロシアから輸入される生きたカニをサイズ別に分けたり、ボイルしたりする単純作業であろう。こういった作業はパートのおばちゃんたちが以前は行っていたような記憶がある。しかし、企業は利益を上げるために、もっと賃金の安い労働力を必要としたのだろう。その結論が中国からの研修生だったのだろう。


 彼女ら研修生は、寮生活をしている以上はその生活の詳細はわからないものの、食事面で不自由することもないだろうし、「食住」の環境は整っているはずであり、メンタル面でも集団生活であれば極端な「ホームシック」に陥ることもないだろう。

 
ただ、問題があるとすれば、異国で生活しているという生活習慣のあらゆる相違からくる「ストレス」があげられるだろうが、少なくとも日本がテレビ社会であることから、言葉がわからないにしろテレビを見ることによって幾分やわらぐのかもしれないし、スカパーでは有料であるものの「中国チャンネル」や「ブラジルチャンネル」が存在するので、受け入れ側が対応してくれればもっとやわらぐのかもしれない。

 彼女らが祖国を離れ、日本で研修する期間はどのくらいなのだろうか。仮に1年契約である場合、中国へ帰国後、ある程度の休養期間を経て再来日してくるのだろうか。


 失礼ではあるが、中国での生活レベルと日本でのそれとでは比較できないほど格差は大きいと思う。祖国を離れて、多少はホームシック的なものが潜在するのかもしれないが、「モノ」が豊かな国「ニッポン」での研修生活で、その「味」を知った元研修生が復帰してくる可能性は高いと思う。


 この研修制度がいつごろから始まったのは知る由もないが、研修制度によりパートのおばちゃんが締め出された背景もあり、日本人としては素直に喜べない部分があるものの、日本の食品製造業の一部分を支えていることは間違いない。


 彼女らが扱ったカニは、来道する本州旅行客の宴会の席、あるいは国内のカニ市場や居酒屋などの飲食店、さらには家庭の食卓に並ぶ。

 彼女らがその就労で得た収入の多くは、彼女らの祖国へ送られる。祖国では彼女らからの「仕送り」を生活費の一部に充てる。

 
そんな経済の実態を思いながら、僕はゴム風船と買い物袋を手に歩く彼女らのなごやかな光景を眺めながら、「がんばってね。」という言葉を口ずさんでいた。