去年の9月に、仕事で利尻・礼文島へ渡るまで、一度も国内の離島へ足を踏み入れたことがなかった。
日本最北端の島「礼文島」は、別名「花の浮島」と呼ばれている。
6月からのシーズンに入ると、離島航路のフェリーに活気がもどる。それから9月中旬くらいまでの期間が「稼ぎどき」で、シーズンオフになれば民宿などの宿泊施設のほとんどが店じまいとなる。
僕が通うスポーツジムの付近に利尻・礼文島行きのフェリーが発着するターミナルがあるので、週末にベルトコンベアでランニングしていると、フェリーを利用して島へ渡る観光客の「群れ」をガラス越しから眺めることができる。
観光客は高山植物を見に行くわけであるから、服装は皆ほとんど同じで、例えて表現すれば、「尾瀬」や「上高地」を訪れる人たちのスタイルと変わらない。
礼文島へ渡り、高山植物や利尻富士の勇姿を堪能する観光客は、朝早いフェリーで渡り、夕方のフェリーで帰ってくることができるが、利尻富士の登頂をめざす観光客は、登山行程だけで約10時間を費やすことから、利尻島での宿泊が条件となるスケジュールを組まなくてはならない。
島を訪れるときのお天気が良ければ最高であるが、そうでないときは「天を恨む」しかない。特に登山の場合は、その条件をクリアすることが重要であることは言うまでもないが、はるばる日本の最北まで足を伸ばしてきたのだから、仮に悪天候となった場合は、ほんとうに残念としか慰めようがない。
花めぐりの場合も同様のことが言えるだろうが、こちらは雨が降っていてもご本人が濡れる対策を講ずることができれば、気温が低下している場合を除き、また、大荒れの天候でないかぎり可能だと思う。
ただ、カメラに収めることを前提にすれば、やはり気持ちのいい青空が広がっていたほうがいいことは言うまでもない。
当初は、6月10日(土)を予定していた。
が、天気予報では、当日は「雨」「強風」「波高3メートル」「最高気温9℃」。
一緒に島へ渡る予定だった知人と相談して、次週へ延期することにした。
すぐ近くに住んでいる僕の場合はこうして延期することができるので、これは地元の強みということになるのだろう。
やはり、青空のもとで散策するのがいいに決まっているものの、次週は必ず晴れるとは限らない。
仮に次週も「雨」予報である場合、それでは再度延期ということにはならない。相手は生き物であり、時期を逸するとその美しい花の姿をカメラに収めることができなくなるおそれが生じるのだ。
花を相手とする場合は、運を天にまかすことは旅行客と同じである。
ただ、その花が咲いている期間内での変更が可能ということなのだろう。
とうとう、その6月17日がやってきた。
「雨のち曇り、降水確率50パーセント」
加えて、案内してくれるはずだった知人が突発性の仕事で同行できなくなり、一人旅となった。
★★★★★
午前6時20分、稚内発礼文島香深(かふか)行きのフェリーは超満員状態で、ほほ同時刻である午前6時30分に利尻島鴛泊(おしどまり)行きのフェリーと重なる時間帯だったため、ターミナル自体も大混雑だった(稚内でこんな人ごみを見たのは初めて・・・)。
空模様が良くない。今にも雨が降りそうな雨雲がたれている。
もちろん、利尻富士も見えない。
「これでは利尻富士は拝めないな。今回は花に専念することにしよう。」
「午前7時30分のフェリーに乗船したんですけど、そっちの天気はどうですか。」
デッキで礼文の島影を眺めていると、職場の後輩からケータイが入った。
そういえば、東京からお客さんが来て、礼文島を案内すると言っていたっけ。
「だめだわ。天気の回復は望めないかも。」
「そうですか。先輩は、最初はどこを見に行くんですか。」
「あいぼうが来れなくなったんで、一人で観光バスに乗るから、スコトン岬かな。」
「だったら、1時間後に着きますから、レンタカーで一緒に回りましょう。」
「お邪魔でなかったら、そうしたいね。」
「じゃ、そうしましょう。ターミナルで待っててください。」
1時間50分の船旅が終了し、香深に到着した。
気持ちばかり、雲がなくなってきたようだし、さきほどより、いくぶん空が明るくなっていた。
僕は、ターミナルで1時間待つことにした。
★★★★★
まず、最初にめざしたのは、島の北部「船泊(ふなどまり)」地区にある「高山植物園」。
野生の「レブンアツモリソウ」は、「澄海(すかい)岬」方面に群生している場所があると聞いていたが、団体客で観賞どころではないとの噂から、高山植物が結構咲いているという評判の植物園にした。
島に咲くいろんな花が栽培ではあるが、ここで観賞することができる。
お目当ての「レブンアツモリソウ」は、ピークをすぎているようで、色がすこし変色しかかっていたが、それにしても「ふくよか」に咲いている姿にほのぼのさを感じた。ほんとうに心なごむ花だと思った。
他にもいろんな花を観ることができるので、時間的余裕がない方や野生か否かにこだわらない方にはお勧めである。
その後に、最北の「スコトン岬」へ向かった。
岬の微風は気持ち良かったが、観光客でごったがえしていた。
岬は、あたり一面に咲くたんぽぽの黄色が見事に映えていて、初夏の訪れを予感させてくれたし、海のあざやかな透明感が旅情をかりたててくれた。
次は、「鮑古丹(あわびこたん)」経由の「澄海(すかい)岬」。
「鮑古丹」は、島の「8時間コース」(もちろん徒歩)の起点だが、このあたりの自然はほとんど手付かず状態なので、何故起点なのか容易に理解できた。
海は果てしなく青く藍色に、海へ落ち込む新緑の草原には野生の高山植物が原色を彩り、その風景を眺めているだけで心が洗われる想いだった。
「澄海岬」へ到着するころには空が晴れ渡っていて、まさに「さいはての勇姿」を見た感じだった。
僕は、この「澄海岬」がいっぺんに好きになったが、まず、ネーミングからすごいと思う。裏を返せば、「スカイ岬」とも読める。
つまり、「空の岬」・・・、空からダイビングして吸い込まれそうな岬のように想像できたので、一粒で二度おいしい感じがした。
それにしても、気持ちのいい岬からの眺めだった。ここもお勧めポイントであることに間違いない。
★★★★★
時計が12時を回っていたので、香深港で昼食を予約していた後輩たちと、港と展望台との分起点で別れた。
さて、海抜約250mの「桃岩(ももいわ)展望台」経由「元地(もとち)灯台」への「桃岩展望台コース」のはじまりである。
「桃岩展望台」へのアスファルトの車道を登っていくと、日差しが急に出てきて、早くも汗ばんできた。
道なりにしばらく登ると、「桃岩展望台方面」という道標が見えたので、ここから登山道へ入る。登山道といっても、地図上では展望台へ続く一本道があるだけ。
登っているのはどうやら僕だけで、下りてくる人たちがやけに多く、すれちがうたびに「こんにちは」と、声をかけあう。
中間地点へ到達すると、若いカップルが休憩していた。
また、ちょっとばかり見上げた遠くのアスファルト道路に、観光バスが3台くらい駐車しているのが見えた。
通常の観光客はあそこでバスを降りて、それからなだらかなアスファルト道路をゆっくりと登っていくようである。
背中がすでに汗でビショビショ状態の僕は、ひと息つけるとまた登り始めた。
さきほどの若いカップルはすでに出発していた。
休憩しているときは、吹き付ける風が気持ち良かったが、登りだすと無風状態のように空気がよどんでいるような感じになった。
5分くらい登っただろうか、見晴らしが急に良くなり、すがすがしさを感じる一方で、額に限らず身体中のいたるところから汗が吹き出ているのを感じた。
帽子をかぶっていたが、鼻の先と頬がジリジリしてくるがわかったし、後ろを振り返ると、斜度がさきほどよりはるかに急になっているのが見えた。
登りが急になるにつれて、心拍が早くなり、息が苦しくなってきた。
それに輪をかけたように、両腿がパンパンに張ってきた。
眼前にかすかに見える展望台らしきものを目前にして、僕は小休止することを決意した。 そして、なんという情けなさなのだろうと思うと、自然と首がうなだれた。
この日のために、稚内へ来てから約1年間、スポーツジムで鍛えてきたはずなのに・・・、そう考えると、久々に敗北感というものが追い討ちをかけてきた。
「よし、とりあえず展望台までがんばろう。」
と、体力が回復しないうちに僕は気をとりなおして登り始めた。こころの隅にたたんでいた僕の「意地」を呼び起こすしかなかった。
でも、今までのペースだと「沈没」する恐れがあると判断して、ペースをスローダウンにギアチェンジすることにした。
すると、どうだろう。心拍も呼吸も自然ともとに戻ってきたような感じとなって登ることができた。早く登りたいという気持ちが、オーバーペースになっていたのだろう。
展望台に到着すると、さきほどの若いカップルと60代のご夫婦、それに30前後の女性1名がいた。
リュックをおろして、飲料水とバナナを取り出して昼食をはじめた。
晴れてはいるのだが、利尻島の方角は雲がかかっていて、利尻富士を拝むことはできない。
「さっき、すこし見えたんだけど、すぐまた雲に覆われたんですよ。でも、もうしばらくしたら、また見えると思う。」
そばにいた30前後の女性1名が、登山靴のひもをしめながら話してくれた。
彼女の首からは一眼レフが下がっていて、半そでにジーンズ姿のいかにもリピーターといういでたちだった。
「ありがとう。その言葉を信じますよ。」
「私は、先に『元地灯台』のほうへ行ってますね。」
そう言って、彼女が腰をあげて重そうなリュックを背負いはじめたとき・・・。
「ほ〜ら、頂上が見えてきた。」
彼女が指差す方角を見ると、利尻富士の山頂が雲からのぞいていた。
「やったあ、言っていたとおりだ。ありがとう!」
「バナナを食べて、はやく出発しないと、利尻富士の絶景に間にあわなくなりますよ。」と、彼女は笑顔で手をふり、そして歩き始めた。
僕は二本目のバナナを食べ終えると、身体中の汗が乾く間もなくリュックを背負い、『元地灯台』を目指して出発した。
自然のなかに茶色で線引きされたような、ちょうど一人が通れるくらいの小道を進むと、はるかかなたに先ほどの女性が歩いている姿が確認できたし、それになんと言っても道の両脇に咲く高山植物がこころをなごませてくれた。
どれくらい歩いただろうか。
左手に、急に利尻富士が現れた。
それもほとんど全景に近いかたちで・・・。
僕は次の瞬間、ワールドカップで中村俊輔がゴールを決めたときのように、右手人差し指を空高く上げて神様へ、笑顔で感謝した。
「神様、ありがとうございます。」
僕は無信教であり、この場合、どの神様に感謝したのかわからないが、そのとき「白装束をまとった髪の長い人」が空に浮かんでいたので、イエス・キリストにまちがいなかっただろうと思う。
信じることによって奇跡は生まれるのだということをはじめて知った。
それからは歩いて立ち止まってはシャッターを切るという連続だった。
場所・場所で表情が変わる利尻富士と、足を踏み入れることができない草原に咲く可憐な花たち。そして、断崖絶壁の雄大な景色と青い海。
そのどれをとっても心洗われる想いが続くし、時間が許せば何時間でも、いや何日でも眺めていたいと思った。
そして、そのときから僕には『花の浮島病』の兆候である初期症状が、ポツポツと出始めていたようだった。もちろん、僕は全然気づかなかったが。
延々と続くなだらかな一本道を下っていくと、前を進んでいた人たちが休んでいる場所が見えてきた。
おそらく、そこから見る利尻富士が最高なのだろうと思ったので、僕の足はすこしばかり速くなっていった。
着いて、そこから眺める利尻富士とそれを取り巻く風景。
利尻富士を眺めるには、ここのロケーションが最高だと思った。
「お母さん、ほら、ここに咲いているよ。見てごらんなさい。」
「あらあ、礼文の女王様だわ。ほんと、素敵。」
既に到着していた60代のご夫婦が、さかんにシャッターを押していた。
「もしかして、クロユリですか。」
と、ご主人に尋ねてみると、
「よく、おわかりですね。やっと、ここで女王様に『挨拶』ができましたよ。」と、笑って答えてくれた。
可憐というよりは、日差しを浴びているためか怖いくらいの黒光り色で、写真がいやなのか、こころなしか恥ずかしそうに下を向いていた。
が、すごい美人だった。まさに『一目惚れ』で、10枚くらい撮影した。
「これから、『元地灯台』を過ぎて、南端の知床に下りようと思ったけど、雲が多くなってきて利尻富士も見えなくなるから、行っても無駄かもしれない。ご主人はどうするの。」と、さきほどのご主人。
「そうですね。雲がかかってきたんで(利尻富士は)拝めないかもしれませんね。ところで、知床へ下りてから香深港まではどうやって行くんでしょうか。」
「バスが通っているので、時間が合えば利用できますが、合わないと徒歩ですね。」
「午後4時過ぎのフェリーで帰るんで、どうしようかなあ。」
と、時計を見たら、ちょうど2時30分を過ぎていた。
「今来た道を戻られたほうがいいかもしれませんね。私たちは、香深の民宿泊まりですから。次はゆっくり来られたほうがいいかもしれませんね。」
「ありがとうございます。」
そのご夫婦と別れると、僕は今来た道を戻ることにした。
雲もそうだけど、ガスが展望台コースをどんどん包囲していき、あんなにきれいに見えていた利尻富士がすっかり風景から消えてしまった。
やっぱり、これは神様からいただいた『奇跡』なんだ、と何度も何度も思った。
体力がいつの間にか回復していたので、快適な戻り道だった。
桃岩展望台までの小道で、何度も灯台を目指すパーティとすれ違った。
が、まさか、「利尻富士はもう見えませんよ。」だなんて言えるはずがない。
すれ違うたびに、「こんちには」のみで、いつの間にか急ぎ足となっていた。
桃岩展望台へ着くころには、ガスで周囲がほとんど見えない状態になっていたが、これから2時間は楽にかかるであろうこのコースを次々とパーティが出発していた。
展望台でひと息つけると、上半身が水を浴びたように汗でビチャビチャ状態のまま、また、下り始めた。
計画性が全くない敗北感だらけの、疲労感だけが蔓延しだした下り道だった。
と、手を振って合図するレンタカーがいた。
後輩たちである。
『西部劇で、インディアンに襲撃されて、全滅寸前の幌馬車を騎兵隊がラッパを吹きながら救援にきてくれたような感じ。』
後輩たちには、そのときの心境をそう例えて説明した。
これも、神様がお与えくださった『奇跡』なのかもしれないと思った。
「ほとんど見て回ったんですが、まだ時間があるんで、どこかありますか。」
「南端の知床へは行ったかい。」
「いいえ、まだです。」
「じゃあ、行ってみようか。」
「なにか、あるんですか。」
「いや、何もない。単なる行き止まり。」
行き止まりの知床へ着くまでの間、桃岩展望台にいた若いカップルとすれ違った。もちろん、二人は徒歩。バスに乗り遅れたようだった。
南端は、やはり何もなかった・・・。
★★★★★
午後4時20分発のフェリーに乗り込むと、ほとんどの乗客に睡魔が襲ってきて、ほとんどの乗客はご就寝となった。例外に漏れず、僕と後輩たちも。
目が覚めると、時計はすでに午後5時30分を指していた。
デッキに出てみると、はるかかなたに雲が少しかかった利尻富士が見えていた。
遠くなっていく利尻富士を眺めていると、また来月にでも行ってみようかと思いはじめていた。
そして、そのとき僕は『花の浮島病』に侵されていることに初めて気づいた。
そうだ!
7月には、あの60代のご夫婦がアドバイスしてくださったように、時間に余裕を持って展望台コースを遊歩しよう!
病いの典型的症状が確実に出はじめていた。
(で、利尻富士の登山はどうなったん?)
※ 礼文島の美しい風景や花たちを紹介したホームページがありますので、ここに記します。
「礼文島自然情報ホームページ くるくるレブンクル」
http://www11.ocn.ne.jp/~rebuncle/