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ひとりおもふ
宇宙の法則

 小説や映画などで、恋の傷を癒すために女性あるいは男性が北へ旅するシーンがよくでてくる。
 
雪が深々と降る人里離れた真っ白な雪景色のなかを、黒っぽいフード付きのコートを着た長い黒髪の女性が独り歩いている。BGMはおそらく昔流行した因幡晃の名曲「わかってください」だろう。
 
夜汽車に乗りながら、缶ビールあるいはワンカップ片手に、曇った窓ガラスに映る街の灯りを、酔いつぶれそうな男がながめている。このBGMも甲斐バンドの「安奈」であろうか。

 
北へ旅するということは、イコール旅愁にかられるというイメージがあるように思える。何故、人は心の傷を癒すために北へ向かうのだろうか。何故、南ではだめなのだろうか。何故、沖縄の青い海ではだめなのだろうか。

 
北海道を旅行する本州客は夏に集中する。特に夏の利尻・礼文や知床の自然、そして富良野のラベンダーが北へのあこがれを誘うようである。今夏は、世界遺産に登録された知床がブームとなったようで、かなりの観光客がおしよせたそうである。

 
稚内へ越してきて、真っ先に感じたことは、空が180度見渡せるということだった。3階のベランダから見える空をさえぎるビルなどの障害物が全くないし、晴れた日には遠く利尻富士を眺めることもできる。
 
こういう果てしない空を見渡していると、何故か心が安らいでくる。そして、その次に思うことは、今日はあの空の下までドライブしてみようかなというたあいのない発想である。でも、何故かそんな気分にさせてくれる。

 
また、本州からの観光客は、「北海道は空気がおいしい」という。たしかに、僕ら北海道人が関東方面へ訪れるたびに感じるのは、空気の汚さである。羽田空港あるいは東京駅に降りた瞬間、都会の雑臭が染み付いたうえにどことなくじめじめした感じがして、息が詰まってくる。

 
本州からの観光客は、北海道を旅することによってそのさわやかな景色とおいしい空気に心が癒されるのであろう。北へのあこがれは「癒されたい」という願望がそこにあるのかもしれない。

 
先日の地元紙に、市内の酪農青年のところへ、東京から女性が嫁いできたという記事が掲載されていた。
 
これは稚内市が主催した農村花嫁イベントで知り合ったカップルがめでたくゴールインしたというものであるが、都会で生まれ育った彼女は、幼いころからの動物好きだそうで、将来は酪農にたずさわってみたいという強い思いがあったらしく、それが晴れて実現したとのこと。

 
北海道の夏はさわやかで過ごしやすい。反面、冬は過酷そのもので、特に本州から来て生活するにはかなりの根性が必要となってくるだろう。道央(札幌周辺)や道南(函館周辺)などの都会ではまだ過ごせるのだろうが、田舎へ行けば行くほど、それも道北(旭川以北のことをそう呼ぶ)や道東(帯広以東のことをそう呼ぶ)での暮らしはまさに大変だと思うし、東京から稚内へ嫁いできた女性はもっと大変だろうと察する。越冬の積み重ねによって、次第に身体が慣れてくるのだろうが、道南育ちの僕でさえ、今冬の稚内におびえているのが本音である。吹雪が何日も続くと稚内は「陸の孤島」になるらしい。地吹雪と強風の毎日で、外出もままならない状態となるそうだ。

 
が、しかしである。その過酷な冬を経験することによって、やがて来る春がすばらしい季節に思えてくるのだ。秋が過酷な冬への準備期間であるとすれば、春はまるでさわやかな青空が広がる夏への準備期間であるかのように思えてくる。

 
北海道にはアイヌ民族が昔から住んでいて、本州からの「和人」が本格的に住みだしたのは明治になってからである。それまでは、松前と函館くらいしかマチらしいものはなく、「北方警備」という名目で「屯田兵」が全国各地から北海道へ入植しだしてからのわずか150年くらいの有史しかない。
 
道内の各地には、本州の名前が付いた町などがたくさんある。これは、その地区に入植した方たちの故郷なのである。
 
「伊達市→仙台藩」「北広島市→広島藩」「余市町→会津藩」「苫小牧市王子町→八王子市」「釧路市鳥取→鳥取藩」
 まだまだいっぱいあるが、「屯田兵」の他に、次男坊が一攫千金を夢見て移住してきたし、日本海側の漁師も「にしん」を追って北上してきた。彼らが北海道民としての一世という表現を用いれば、僕の世代は三世または四世ということになる。実際、僕は四世である。「ひいおじいちゃん」は新潟から一攫千金を夢見て函館へ移住した次男坊である。

 
京都のように碁盤の目のかたちをしたマチが北海道にはある。都市計画された札幌、旭川、帯広がそれである。札幌は特に有名で、中心部は例えば「北3条西4丁目」といえばどのへんなのかはおよその見当がつく。というのもルールがそこに存在しているからなのである。表現は必ず「北または南○条」が先で、「東または西○丁目」が後になる。端的に言うと、北と南の境目は「大通公園」で、東と西の境目は「テレビ塔」である。従って、大通公園から北は順次「北○条」で、大通公園から南は順次「南○条」となる。同様に、テレビ塔から東は順次「東○丁目」で、西は順次「西○丁目」である。この原理さえ頭に入れておけば札幌は歩けることになる。例えばJR札幌駅は北5条西4丁目なので、北24条ということになれば、駅から約20条上がった場所ということになる。

 
話が脱線したようである。

 
札幌は住んでみたいマチのベスト3に必ず入るらしい。港や空港、工業地帯もなく、商社系の支店・支社があるだけのきれいなマチのイメージがあるからであろう。
 
また、函館は観光してみたいマチのベスト3に入るそうである。世界三大夜景、幕末の五稜郭や明治時代のエキゾチックな街並みとおいしい料理が観光客を魅了するからなのであろう。

 
でも、札幌も函館も「北へのあこがれ」の対象ではないと察する。「北へのあこがれ」である北海道らしさがあるのは、それは美瑛の丘であり、富良野であり、利尻・礼文の自然であり、知床の手付かずの風景、そしてオホーツク海の流氷などなのであろう。そういう北海道らしい「雄大さ」と本州では味わえない「すがすがしさ」とが「北へのあこがれ」に結びついているのだろう。北海道はあらゆる意味で「でっかいどう」なのである。

 
最後に北海道らしさを表現した曲と言えば、やはり松山千春の「大空と大地のなかで」だろう。この曲のもつ北海道のイメージこそが「北へのあこがれ」あり、反面、生活するうえでの厳しさや希望を見事に歌っているといっても過言ではない。この曲こそ、「北海道のうた」そのものなのだ。

 
こごえた両手に息を吹きかけて
 
しばれたからだをあたためて
 
果てしない大空と広い大地のそのなかで
 
いつの日か しあわせを
 
自分のうででつかむよう
 
自分のうででつかむよう