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ひとりおもふ
宇宙の法則
 バイク事故で友人が急逝した。47歳だった。

 8月29日、彼は休みを利用していつものように室蘭近郊をツーリングした。
 隣町の伊達市で事故は発生した。
 
 軽トラックで引越荷物を運送中の男性はドライブインで昼食をすませると、運転を再開した。助手席にはペットの犬が同乗していたが、その犬が騒ぐのでなだめようとわき見運転となった。そのわずかな隙に車は緩やかなカーブの対向車線へはみだした。そして、対向車線を走行していた友人のバイクと接触した。


 意識不明の重体となった友人を救急車が伊達市内の病院へ運んだが、医師はここでは手がつけられないと室蘭の病院へ搬送するよう指示したという。室蘭の病院へかけつけた奥さんと3人の子供たちが見た父親の姿は、脳挫傷で変形した頭部と赤くむくみのある輪郭、そしてギブス固定された下半身だった。担当の医師はこう説明した。


 「回復の見込みはほとんどなく、処置の施しようがありません。残念です。」


 意識が回復しないまま、翌朝、彼は脳死状態となった。
 
通常の人は4日くらい、心臓が強い人は1週間で心肺停止になると医師が説明したとおり、1週間後の9月5日の早朝、彼は他界した。

 
意識不明の重体であることを知った女房は、言葉を失いかけていた。
 「だから、バイクはやめなさいって言っていたのに・・・。」
 
 
僕ら家族は、夏休みで函館から苫小牧へ戻る途中の8月25日の夕方、彼と室蘭の大型スーパーの駐車場で会ったばかりなのだ。その4日後に彼は事故に遭遇し、他界した。

 
彼とは25年以上のつきあいだった。僕が新婚時代を過ごした室蘭で、家が近くだったので、毎晩のように家やネオン街で飲んだ。僕の娘と彼の息子は同じ昭和61年の「寅年」で、ファーストキッスの相手同士だった。2歳のときだったが。
 
僕が幼いころの娘を撮影した8ミリビデオには、若いころの彼と息子がいつも写っていた。

 
その彼はもうこの世にいない。

 
つい最近会った人が、急に亡くなったとの知らせを受けた場合、それも遥か遠く離れた土地で暮らしている場合、まさに今回がそうであるが、何か夢を見ているような非現実的なこととしか受け止められない錯覚に陥った。新聞の「おくやみ」欄に名前が掲載されていても、この人は同姓同名の人なのだと、僕が知っている人とは違うのだと無理矢理思い込んでしまいたかった。

 
その人の死が現実であることを認識させられるのは、携帯電話番号をコールしても無機質な「現在使用されていない」旨のサービス案内か返答がないときなのだろう。
 
僕がどう否定しても、彼は確実にこの世にいない。
 
それでも僕は、携帯の番号を削除できないでいる。
 
でも、彼が今でもこの世に生きていることを信じたい僕は、これからもずっとこの携帯番号を削除しないだろう。

 
9月7日に通夜が行われ、8日の告別式後に彼は「骨」となったが、僕は彼がもうこの世にいないということを認めたくはなかった。これは何かの冗談であって、彼はいつもどおりご家族と室蘭で暮らしているんだと思いたかった。
 
しかし、9日に女房と娘を苫小牧へ送り、翌10日に室蘭の彼の家へ女房と線香を上げに行ったとき、もうこの世に彼はいないんだと実感した。

 
玄関に立っている僕らの顔を見るなり、奥さんは急にボロボロと泣いた。居間に通されると、彼は「お骨箱」に納められていた。夢ではなかった。そう思うと涙が出てきた。

 
「運転していた男は、新築の自宅へ自分の軽トラックで荷物を運んでいたんだよね。でも、そのトラック、『車検切れ』だったの。警察は悪質だと再逮捕して、あと10日以上かかるみたい。ダンナが取調べ中なので、奥さんから線香を上げにきたいと電話があったけど、絶対にきてほしくない。・・・なんだか、ずっと夢を見ているみたいなんだ。死んだっていう実感がわかない。」

 
「今はまだ気持ちが張り詰めているから、『夢を見ている』状態かもしれないけど、時間が経つにつれて、いろんなことで死んだという現実がでてきて、それで、だんだん落ち込んでいくのよね。そのときがかわいそう。」

 
苫小牧へ戻る途中、女房は僕にそう話していたけど、僕は運転しながら、別のことを考えていた。

 
例えば、現実でのこのなにげない光景のなかにいる僕が、明日、交通事故に遭遇して、意識不明の重体で病院へ運ばれることは絶対ないと言い切れるのだろうかと。
 
思ってもいなかったことが起こりうる可能性はあるのだということに対し、僕の脳裏をその不安が横切っていった。
 
明日もこうして生きているという確証はどこにもない。こうして運転している最中ても、次の瞬間に事故が起こりうる可能性はあるのだ。そして、死ぬ可能性もあるのだ。

 
だが、生と死の違いは、単に肉体が骨だけになることなのだと思いたかった。その人の笑顔や笑い声は、いつまでも写真や8ミリビデオに残っている。たとえそれらが残っていなくても、家族をはじめ、みんなの心に焼きついているはずだ。そして、肉体がなくなっても、その人の魂は決して忘れられることなく、みんなの心に永遠に残っているはずだ。

 
誰かがテレビで話していた。

 
「生きているということを感じるときは、どんなときですか。」
 
「明日のことを考えているときです。」