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ひとりおもふ
宇宙の法則
 真夏の午後にひとり、潮風に吹かれながら、彼方の水平線をいつまでも見ているひとときが好きだ。

 24歳のときに、総理府主催の「青年の船」に乗船し、1月中旬から3月上旬までの約2ヶ月をかけて、パプアニューギニア、オーストラリア、ニュージーランド、それにソロモン諸島を訪問した。海へのあこがれが強かった僕は、約2ヶ月の船旅がはじまるその日を、首を長くして待ち続けた。目覚めると、ビルも人ごみもテレビも雑踏も何もなく、ただ水平線がどこまでも続く生活・・・。世の中で何が一体起きているのかさえ知らずに暮らす日々・・・。きっと、これからの僕の人生を変えてくれるのではないかと、そう思った。

 客船「にっぽん丸」での長い航海は、東京港の晴海埠頭から始まった。黒潮を越えて赤道をさらに南下し、最初の寄港地は12日後のパプアニューギニアの首都ポートモレスビー。が、船旅はそんなに優しいものではなかった。晴海を出てまもなく、黒潮の見事な「うねり」に船酔い者が続出した。僕も最初のうちは船酔いしたが、徐々に慣れていったのだが、だめな団員は帰国するまで船酔い状態だった。しかし、黒潮を越えた後は、オーストラリアとニュージーランド間を除き、おだやかな太平洋であった。

 「みなさん、もう少しで赤道を通過します。船の前方に、幅30センチほどの赤い帯が、海に横たわっているのが見えてきますので、よ〜く見ていてください。」

 船長から船内放送があった。海に赤い帯が横たわっているはずがない。団員はそう思っていても、やっぱり、夜のデッキに集まってきた。

 「本船は、ただいま赤道を通過しました。みなさん、赤い帯が見えましたか。」
 デッキに集まっていた団員からは、
 「見えた!」「きれいな赤い帯だね。」「ゴツンとぶつかる音がした。」
との声が笑い声とともに聞こえた。
 「海にはロマンがあります。皆さん、それを感じてください。これから、我々は南半球に入ります。2〜3日後には、夜空に『南十字星』を見ることができます。」

 「青年の船」には、訪問先の国から同年代の青年が晴海から同乗していた。
 オーストラリアの青年たちは、シドニーへ入港する前夜からトップデッキに毛布にくるまりながら集まっていた。そのなかに僕もいた。

 明け方、湾内を進んでいくと、オペラハウスが見えてきた。その瞬間、「ウォルチング・マチルダ」の大合唱がはじまった。朝焼けに染まるシドニーの街並みを眺めながら、みんな、涙をながしていた。
 「我々の祖先は『囚人』です。オーストラリアは流刑の島だったのです。」

 やがて、「にっぽん丸」は青く澄んだ空の下に広がるシドニーの美しい街並みを背景に、ゆっくりと接岸した。

 2月下旬、「にっぽん丸」はニュージーランドのオークランドを過ぎて、最後の訪問先であるソロモン諸島へ向かった。

 ソロモン海は快晴のベタなぎ。どこまでもコバルトブルーの海が延々と続く。強い日差しに誘われて、トップデッキで潮風に吹かれる。
 第二次世界大戦で多くの若者たちが散っていったこの海の上を、35年以上の年月を経た今、戦争を知らない若者たちが通り過ぎていく。尊い命の犠牲から平和が生まれ、何ひとつ不自由のない暮らしに浸っている僕は、このコバルトブルーの果てしない海を、決して忘れることはないだろう。

 潮風が心地よかった。見渡せば360度の青い空と海。25年経った今でも、その青さはあざやかに僕の脳裏に刻まれている。もう二度と見ることはないだろうが、このあざやかなコバルトブルーの海への誘いをいつも夢見ている。


 船旅が海への誘いであることを24歳のときに知った。そのときに、海にロマンを抱くことも知った。


 船上から眺める水平線を遮るものは何ひとつなく、空をときどき白い雲が流れていくものの、空と海の2つの「青」のコントラストしかそこには存在しない。

 夕陽が沈む水平線も美しいが、朝焼けの水平線のほうがもっと美しい。

 陸地から眺める海と違い、船上から眺める海はまるで生きているかのように深い呼吸をしている。その息遣いが聞こえてくるような気がする。

 ときどき、はるか水平線を貨物船が通り過ぎていく。そのおぼろげな船影を見ていると、衝動的な孤独感に襲われることもあった。

 船影が見えなくなるまで僕は、何を考えていたのだろう。そして、衝動的に襲われた孤独感のなかで、海から伝わるその息遣いを聞きながら、僕は何を考えていたのだろう。

 船を降りるころには、すっかり潮焼けしていた。また、雑踏のなかで、これからも生きていかなくてはならないんだと思うと同時に、海が友達であるという気持ちも交差していた。

 人生に負けそうなときや打ちひしがれたときは、海を見に行こう。海に語りかけて、そうしてその答えが返ってくるまで僕は、潮風に吹かれながら、彼方の水平線をいつまでも見ていよう。

 ソロモン海で眺めたコバルトブルーのあざやかな海を思い出しながら、僕は海からエナジーをもらい、再び回復することができるだろう。そして、いつも、海への誘いを夢見ている。