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ひとりおもふ
宇宙の法則
 函館は、本町界隈の、うす汚れた「のれん」をめくって、きしむ戸を開けて、『よ〜、おやじ、おばんです。』と手を挙げて、酒がしみついたカウンターの丸いすに座る。

『いらっしゃい、やまさん。うめえ(おいしい)魚があるよ。食べるかい?』
そういう大将(おやじ)は、ほろ酔いかげんだ。
『この人、もう、酔っちゃってんだから。しようがないねえ。』
と、隣りでサカナを焼くママさん。
『のん兵衛だも、しゃあねえべや(しょうがないでしょ)。なあ、やまさん。』

 ここの大将(おやじ)とは、かれこれ長いつきあいになる。もともとは函館から約100キロ北上したところにある「長万部(おしゃまんべ)」という町で漁師をしていたが、この店を手放すことになった友人のあとを継いで店主となった。もともとのん兵衛だったし、そして漁師だったので、美味い肴を食べさせてくれるという口コミで、医者から弁護士からありとあらゆるのん兵衛たちが集まってくる函館でも評判の店である。
 大将(おやじ)が長万部で漁師をしていたときに、世話になったという漁協の人が私の遠い親戚で、このことから、私もいちおうのん兵衛常連客の仲間入りとなった。

 肴に、肉のメニューはない。野菜か魚介類である。新鮮な魚介類はすべて刺し身となって、皿に手際よくきれいに盛り付けられる。それほど肴にはこだわりを強くもっている。

 逸話がある。

 函館だというのに、「いか刺し」がメニューにない。いや、正確に言えば、なかった。

 函館人は、「いか刺し」は夜には食べないのがお約束ごとだ。いかは朝の食卓にのるものであるというのが定義である。刺し身には正攻法の「醤油にわさび」ではなく、「醤油にしょうが」である。それも、皿に盛り付けられた千切りの「いか」におろししょうがをのっけて醤油をかけて、ごちゃごちゃに混ぜて食べるのが流儀である。
 
 強いこだわりを持つ大将(おやじ)のこの店には「いか刺し」がなかった。正論である。

 だが、ある日、「いか刺し」がメニューにのった。
 『断れねえんだよ。観光客がきて「いか刺し」を注文するたびに、『函館ではいかは朝に食べるもんだ。食べたかったら、よそで食べてくれ。』というのが、だんだん辛くなってきてな。せっかく、新鮮な肴を食べたくてここへ来るんだろうけど、かわいそうになってくるんだよ。・・・わかるだろ、やまさん。その代わり、新鮮ないかを刺し身にするから、鮮度は保証するよ。』

 『そうだね、時代も変化してきたからね。世の中、だんだんとこだわるものがなくなってきたよね。』


 現代は、食品の保存技術が進歩してきたせいか、市内のスーパーに並ぶパック詰めの「いか」は、夕方までどうにか生きている。大将(おやじ)の言っていることは、しょうがないのかもしれないと思った。

 ここであえて注釈しておきたいことがある。
 のん兵衛と「アル中」「酔っ払い」は全く別個のものである。「アル中」は、アルコール依存症という立派な病気であり、自分の適量も知らずに(いや知っているケースもあるが)ぐでんぐでんになって前後の見境ができなくなり、他人の迷惑を顧みなくなるのが「酔っ払い」である。まして、自分の適量を知っていながら、これを飲めば記憶が定かでなくなるとことを十分認識しているのにあえて飲んでしまうのは「故意的酔っ払い」であり、一番嫌がられるタイプである。
 では、のん兵衛とはどういった人たちを指すのであろうか。

 「一日2杯の酒を飲み、肴はとくにこだわらず、・・・」は、亡き河島英五の名曲「時代おくれ」の出だしであり、この歌詞にあてはまるような人がいたら、その人は「のん兵衛」だと私は確信する。ほんとうののん兵衛は、日課のように毎晩飲むけれど、それは適量範囲であり、酒のうえではけっして人に迷惑をかけないということであろうか。

 機会があって、先日、青森県は八戸市の繁華街にある「みろく横丁」という屋台村へ行った。屋台形式の飲食店がそれぞれ趣向を凝らして並んでいるのだが、のん兵衛にとっては魅力的である。どれかの屋台をひいきにして足を運ぶ客がメインなのだろうが、屋台がボックスタイプとなっており、かつ、仕切りがガラス戸仕様であることから、内部を見ることができるため、それぞれの屋台の雰囲気が把握できるので、旅人のようなスポット客には歓迎されるしかけとなっている。つまり、「ガラス張り」ということで、スポット客は安心して飲めるという図式がそこに存在している。

 このような屋台形式の横丁は、北海道では小樽と帯広にあり、函館にも今秋できるということである。のん兵衛には、たまらなくグッドなニュースなのだが、いかんせん、その横丁は夜はさびれつつあるJR函館駅近くで開業するとのことで、足を向けるにはちょっとばかり「おっくう」なのである。

 自分の適量以上の酒を飲んで「酔っ払う」のは、1年に一度と「時代おくれ」で歌われているが、僕の場合は、正月と花見と忘年会の三度である。まだまだ「ひよこ」である。