自分のことを「おやじ」と呼ぶことに抵抗はない。
「どうせ、オレはおやじだからな。」
また、将来的な話としては、娘のフィアンセから、
「おやじさん、おひとつどうぞ。」
と、ビールを注がれることにも抵抗はない。
「おやじ」という言葉のもつイメージは、「かみなりおやじ」「がんこおやじ」などから、「サザエさん」に出てくる「磯野波平」のように威厳がある一方で、酒が入ると飲みすぎてヘロヘロになってしまう「愛すべき父親像」であろうと思う。
しかし、この「おやじ」とは別に、20代から30代にかけての女性から、「おじさま」なんて言われちゃうと、顔がついほころんで、「ほしいものがあったら、遠慮なく言いなさい。」とウキウキ状態になってしまうに違いない。
「おじさま」と言ってくれるのは娘の友だちか親類の姪っ子、あるいは知人のお嬢さんたちからであって、かなり限定されているはずである。間違って男性から「おじさま」と呼ばれると、「おカマかいな」と背筋がゾクッとしてしまうことだろう。
「おじさま」のイメージとしては、ナイスグレーでアスコットタイがよく似合い、できればひげを蓄えてブランデーグラスを転がしている「紳士」であろう。
一方、「おやじ」は、磯野波平のイメージそのものなので、どう考えてみてもその域から抜けきることはできない。
そういうことから、「おやじ」と「おじさま」のどちらがいいかと問われた場合、当然のごとく「おじさま」に軍配が上がることは言うまでもない。
「おじさま、よろしければダンスを教えてくださらないかしら。」
だと、「そうか、そうか」と鼻の下を伸ばしてエスコートする気になるだろうが、
「おい、おやじ、ダンスできるんなら、ちょっと教えてくれよ。」
だと、「誰が教えてやるか」と無視することが賢明。
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単身赴任を余儀なくされている諸兄にとって、食料品や日用品をスーパーなどで買物することは日課のひとつであるが、食べていくためには避けてとおれない寂しいうしろ姿がそこにある。
当然のごとく僕もそうなのだが、稚内での通勤はマイカーにジーンズのため、スーツ姿と違い、週末とほとんど変わりのない状態で仕事帰りに買い物かごをぶらさげて肉・野菜・惣菜などを買っているので、寂しい姿は軽減されていると思う。
「あら、おじさま、お買い物ですか。」
と、知人のお嬢さんから偶然にも声をかけられ、買い物かごの中味を確かめられたとき・・・。
ただでさえ、買い物かごをぶらさげる寂しい姿を見られているのに、かごの中味がしがない「できあい」の惣菜ものばかりだったら、「おじさま」という偶像がボロボロと音をたててくずれていきそうな気がする。
「おじさま」は、一人で買い物かごをぶらさげて、スーパーの食品売り場を歩いてはいけないのだ。まして、酒の肴用であるできあいの惣菜を買ってはならないのだ。買っていいのは、生ハムかブルー・チーズ、または松坂牛などのブランドものステーキなど、ブランデーグラスになじむようなリッチな食べものだけなのだ。
できあいの惣菜なんぞ、「おやじ」にフィットした「酒の肴」なのだ、と思う。
そうそう、発泡酒やその他の雑酒もいけない。ビールはそれも「エビス」などのプレミアビールだけだし、ウイスキーも最低でも「リザーブ」だろうな。
ブランデーも国産ではいけないし、せめて「ヘネシー」か「クロバジェ」級でないと。「ワインも最低でも2,000円だろうね。
それから、「おじさま」には知性と教養と気品が備わっていなければならないだろう。加えて、嗜好品もやきとりなど庶民の「串」系はどうも「おじさま」にはフィットしないようで・・・。
と、ここまで書いていて、「おじさま」は僕的キャラには絶対になじまないと悟りはじめてきた。
まず、磯野波平キャラが好きだという点で、それだけで「おやじ」にたなびいてくるし、アスコットタイよりもジャージ、ダンスよりはストレッチかラジオ体操、そば焼酎にやきとりが自分には似合っているとあらためて自覚している。
決定的なのは、スーパーでの買い物かごだろう。
1円でも安くすませようとする涙ぐましい努力を「おじさま」と呼ばれがたいために放棄はしたくない。
「おじさま」と呼ばれる前に、僕は「単身赴任の身」、つまり「兼業主夫」である。
だから、背伸びすることなく、「おやじ」と呼ばれることでいいと決めた。そのほうが人生は気楽な家業だ。そうしよう。