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ひとりおもふ

 流氷が去って、上架されていた地元の漁船が海へ下ろされる時期を「海開け(うみあけ)」という。オホーツクにもようやく春が訪れる。

 
オホーツクという響きが好きだ。

 
正式には「オホーツク海」と言うが、太平洋や日本海とは違ったイメージがその言葉に含まれているような気がする。

 
ロシア語読みでは「オクホーツク・モーリエ」であり、冬には海が凍結して、有名な流氷が紋別や網走などの北海道沿岸に押し寄せてくる。

 
流氷は、シベリアを流れるアムール川からオホーツクに流れ込んだ淡水が洋上で凍結したものだと聞いたことがある。

 
流氷でウイスキーの「オンザロック」を作ってみようかと思ったら、アザラシの尿やいろんな毒素的な不純物が含まれているのでやめたほうがいいと言われたこともある。ロマンと健康のどっちをとるかはその人の判断によるが、僕は健康を選択した。

 
流氷は、根室で仕事をしていたときに何度も見たことがある。
 
ひと晩であっという間に押し寄せてきたかと思えば、あっという間に沖へ去っていく。

 
そして、流氷は、「キー、キー」と、きしみながら鳴く。その鳴き声はせつなく、もの悲しい気持ちにさせる。

 
また、北極か南極とオホーツクとをオーバーラップさせて、白クマが流氷に乗ってくるというイメージをもっている人がいるが、これはありえない。映画「アメリ」のような想像力たくましい人の考えすぎである。

 
オホーツクのイメージとしては、「おだやか」「水色に近い青」「澄んでいる」などの表現がされるが、「おだやかさ」という波高状況についてはそうかもしれないが、「海」は「海」であって、その色は基本的に変わるはずがない。どうやら、北国の海はその澄み切った空の青さと同じくちょっと薄いというイメージがあるのだろうか。

 
しかし、オホーツクについてこうして述べている僕は、1年を通じてまざまざと眺め続けたことはない。1年を通じてオホーツクを眺めることができる人たちは、日本のほんのひとにぎりの人たちであり、そういう点から考えると、非常にうらやましいという感じもする。

 
が、夏はともあれ、そこでの冬の暮らしは非常に厳しい。

 
特にオホーツク沿岸の北部を走る国道238号は、そのほとんどが冬場は「地吹雪注意路線」であり、特に難所である猿払村には地吹雪の避難場所である「パーキングシェルター」が設けられている。

 
また、オホーツク沿岸のほとんどはJRなどの鉄道が開業されていないので、バスやトラック、乗用車が運送手段となることから、悪天候による道路閉鎖は死活問題となる。まさに「陸の孤島」である。

 
「ホタテ御殿」という言葉がある。

 
沿岸で漁業に従事する人たちは、ほとんどがカニかホタテで生計を立てている。特にホタテはオホーツクの名産であり、売りは「天然」である。北海道南部の噴火湾は、まとまった枚数を糸にとおしてそのまま海水づけにする養殖ホタテであるが、オホーツクは遠浅の海に放流する天然ホタテである。

 
出荷量も管理されているので、大幅な値崩れはないとのこと。

 
ホタテは中華料理の食材として台湾や香港、それにヨーロッパにまで輸出されているので、要するに「裕福な漁業従事者」なのである。
 
それで、「ホタテ御殿」と呼ぶそうである。

 
仕事の関係で、実際にその「ホタテ御殿」を見学したことがあるが、絶句した。

 
リビングはおそらく30畳くらいはあるだろう。3人掛けの長いすが4つ置かれているが、まだまだ余裕があるし、テレビはいったい何インチなんだろう。

 
一つ一つの部屋の大きさも最低は20畳あるだろう。もちろん、集中暖房である。

 
車庫の隣りにはトレーニングルームがあり、エアロバイクからバーベル、卓球台までそろっている。

 
圧巻はカラオケルームで、どこかのスナックに来店したような雰囲気。
 
カウンターにボックス。最新のカラオケ設備。ミラーボールまで・・・。

 
「だって、冬場は漁もないし、吹雪だと行くところもないし。家にいるしかないから、家にカネをかけることしか楽しみがないっしょ。」

 
日本海側の国道232号を「日本海オロロンライン」と呼ぶように、オホーツク海側の国道238号を「オホーツク街道」あるいは「ホタテ街道」と呼んでみてはどうだろうか。

 
その238号を終点の網走まで南下してみようと思う。
 
松山千春の「オホーツクの海」を聴きながら。片道350キロの果てしなく続く海とのドライブだ。

 
今年の夏は、行くところがまたひとつ増えた。




オホーツクへ