今から30年くらい前に、ユーミンこと荒井由実(現:松任谷由実)が発表したセカンドアルバム「ミスリム」の4曲目に「海を見ていた午後」という佳作がある。歌詞からも、メロディからもそのときの情景が連想されるほどの名曲である。
あなたを思い出すレストラン「山手のドルフィン」から海を眺めていると、晴れた午後には遠く「三浦岬」も見える・・・と歌われているが、「三浦岬」なんていう岬はなく、彼女の説明ではこれは「観音崎」が正解であるものの、「観音崎」では響きが悪く、せっかくの歌詞も台無しになるとやらで「三浦岬」に変えたそうだ。なるほど、曲の流れからして、はるかかなたの水平線に「三浦岬」がそのまま思い浮かぶようだ。でも、「観音崎」さんには大変すまないことをしたと謝っており、このへんがユーミンらしくて、僕は好きなのだが。
「海を見ていた午後」は、どうやら、高台から港とはるかかなたの風景が見えるロケーションで、女性が恋の感傷を思い出しているというイメージであるが、残念ながらそういう光景とマッチした場所にめぐりあったことはない。しかし、函館郊外の当別というところにあるトラピスト男子修道院の小高い丘から眺める光景がそれに近いのではないかと思っている。
1972年ころに、「おもいでの夏」という映画を観た。第二次世界大戦中のアメリカ・ニューイングランドの美しい海岸を舞台にした青春映画の佳作である。
高校生の主人公ハーミーは、ドロシーという若い人妻と知り合い、あこがれるようになる。やがて、ドロシーの夫が出征し、そして戦死する。悲しみに沈むドロシーと主人公は、その夜、ミシェル・ルグランの名曲「SUMMER OF‘42」をバックに延々とチークする。しかし、その翌朝、主人公の前から、ドロシーは去っていくという、青年であれば誰もがあこがれる年上の女性とのひと夏の体験をせつなく描いた永遠の名画でもある。
僕はこの映画に出てくるニューイングランドの美しく広がる砂浜の海岸を忘れたことはなかった。ニューイングランドはちょうど北海道の気候と似ており、北海道のどこにでもあるような海岸とさほど変わりはない。ただ違うのは、そこはアメリカであり、北海道のように昆布が打ち上げられていないということだ。昆布が打ち上げられていると、ああ、ここは北海道だと思ってしまうのだが、その昆布がなければ全く同じ光景なのだ。そう、函館から東へおよそ30キロくらいのところにある「恵山(えさん)」の海岸線が似ている。風が強くて、サーファーたちの姿が目に付くが、どこか似ているような潮の香りを想像する。
「海」ということばに僕は、春か夏の日のおだやかな海を連想する。海は生きている証拠に、ときにはおだやかに、またときには荒れ狂うことがあるのに、何故おだやかな海の表情しか連想できないのだろう。それも、曇り空を映した灰色の海ではなく、マリンブルー、コバルトブルー、あるいはエメラルドグリーンの鮮やかな色をした海を。
「海への誘(いざな)い」というジャズの名曲(アルバム)がある。1978年に発表された三木敏悟とインナーギャラクシー・オーケストラの作品であり、ジャズ専門誌の「スイングジャーナル」で年間大賞を受賞した。カテゴリーでは「ビッグバンドジャズ」ということになるのだが、クラシックと変わらないバンド編成であり、かつ、当時一世を風靡した女性ジャズボーカリストの中本マリがラストで語りかけるように歌う。
この曲を真夜中に水割りを口にしながら聴いていると、マリンブルーの海とその中を一頭のイルカが自由に泳ぎまわっている光景を連想する。まさに海の匂いを感じる名曲である。
現代では、「海の曲」といえばサザンオールスターズを真っ先に連想するであろうが、もう一人忘れてはいけない人がいる。加山雄三である。
「光進丸」という曲がある。これは彼の愛艇をそのままタイトルにしたのであるが、この曲を聴いていると、自分も光進丸に乗ってクルージングを楽しんでいるという錯覚に陥る。歌詞を聴いているだけで、行ったことはないのだが、その想像する光景が目に浮かんでくる。好きな曲である。
そして、「海、その愛」という曲もある。これは、スローバラード風でどちらかといえばフランクシナトラの「マイウエイ」に通じるものがあるが、
『海よ、おれの海よ、大きなその愛で・・・』
のフレーズを聴くと、背筋がぞくぞくしてくる。このとき僕は、『ああ、オレも海が好きなんだ。』と妙にしんみりしてしまうことがある。
「海」に夢を持つという曲では、井上陽水のセカンドアルバム「センチメンタル」のトップに納められている「冷たい部屋の世界地図」がすぐ浮かぶ。
『はるかな見知らぬ国へひとりで行くときは船の旅がいい』
この歌詞はあくまでも自分の部屋に貼られている世界地図をながめて空想するものであり、その想いのなかに描かれた光景であるものの、
『潮風に吹かれ、何も考えず、遠くを見るだけ』
は、まさにその想いのとおりであり、青い海と青い水平線しか目に映らない船の旅に、つい、心がかられてしまう。飛行機では味気ない。
そして、僕が最も好きな「誰もいない海」は、亡くなった越路吹雪さんの夫である内藤法美さんの作曲であるが、山口洋子さんの歌詞も言葉ひとつひとつに想いが託された、日本ポップスでは隠れた名曲であろう。
『海に約束したから、つらくても死にはしないと』
まるで、海が友達であり、その海と約束したのだから、人生に負けないでがんばろうという応援歌なのであろうが、シャンソン風に仕立てられているため、どこかの場末の安いバーで、厚化粧のママがたばこをくゆらせながら、しわがれ声で、『あんた、元気を出しなさいよ。』と一緒に酒を飲んでいてくれるようなそんなイメージがする。
今はまだ冬である。
僕の好きな、当別のトラピスト男子修道院の小高い丘の芝生に横になり、やわらかい風を受けて、かなたにひろがる津軽海峡の海を眺める春が、また、来る。