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ひとりおもふ
宇宙の法則

 それは、偶然のできごとだった。

 2年前の2月に、僕は仕事で秋田へ向かった。青森で特急を降り、およそ1時間の待ち合わせで秋田行き特急「かもしか」に乗車する。3両編成の・・・、見た目は特急というよりはほぼ急行に近い「お造り」。ましてカートを押す売り子さんが乗車していない旨の駅案内を聞き、ウーロン茶と珍味は青森駅で調達する。客もまばらな3時間の旅がはじまった。

 特急「かもしか」は、旧津軽藩の城下町である弘前を過ぎ、青森と秋田の県境へと進むにつれて車窓は白一色と変わっていった。MDからはジョージ・ウインストン奏でるピアノソロが流れ、それが車窓の物悲しい雪景色と妙にマッチしている。

 鉄道を利用していていつも思うのだが、最初に山越えをした人というのはどんな気持ちで進んでいったのだろうか。あの山の向こうには何があるんだろうかという好奇心が駆り立てるのか、それとも藩主の命令で仕方なく旅に出たのだろうか。磁石もない時代に太陽と星の位置のみを頼りにして、道を切り開き、夜は獣の遠吠えにおびえ、雨風に打たれながらもさらに山の奥地へと進み、悪戦苦闘の末、やっと海岸線へたどり着いたときの感動はどんなものだったのだろうか。そういう想いはつきないし、その人たちのおかげで道路ができ、線路が敷かれたのだと思うと、何故かロマンがかきたてられるのである。

 碇ケ関を過ぎると秋田県に入り、最初の停車駅は大館である。次の停車駅である鷹巣あたりになると、車窓には雪に埋もれた平野が広がる。このときすでに僕はうたた寝をはじめていた。

 突然、『次は八郎潟、八郎潟です。』との車内アナウンスが聞こえた。「かもしか」にブレーキがかかり、停車するという感触が身体に伝わってきた。停車した。眼をこすりながらホームを眺める。ホームには「八郎潟」とあった・・・が次の瞬間、僕は自分の眼を疑った。「八郎潟」の次の駅名がこう記されているのである。
 
                        「井川さくら」

                い・が・わ・さ・く・ら・・・、何だ、これは!

と思うと、一瞬に眼が覚めた。駅名が人の名前になっている。胸騒ぎがして、車窓に顔を押し付けて進行方向の景色をみた。が、見えるはずがない。こっ、これはすごい駅名だ。でも、次の停車駅は終点「秋田」である。通過駅となるのだが、それでも、無性にその「井川さくら」を確かめてみたくなった。当時、「井川遥」というタレントと、「井川慶」という我がタイガースのエースがいたため、僕は「井川さくら」という実在の人物を記念して名づけたのだろうととっさに思った。これはおもしろい駅名だ。たしかに北海道は千歳と恵庭の間に「サッポロビール庭園」という風変わりな駅名が実在するが、人名の駅は聞いたことがない。これは間違いなく超「酒の肴」級だと悟った。

 「かもしか」は、秋田へ向けて動き出した。「井川さくら」という駅とその看板をこの眼で確認するため、僕は車窓の進行方向に釘付けとなった。まばらな家並みと雪に埋もれた田園がくりかえしくりかえし流れていく単調な風景がどこまでも続く。そろそろだ。

 ホームが眼に飛び込んできた。看板が流れていく。
 あった! 間違いなく「井川さくら」と書かれていた。なんだか、安心した。

 次の瞬間、この駅が何故「井川さくら」なのか調べてみたくなった。と同時に、あれこれ自分勝手な想像が頭をよぎったが、結論はこうなった。
 つまり、
 @ 駅名を変更することになり、住民から公募した。
 A 公募した結果、この土地に古くからゆかりのある「井川さくら」という有名なおばあさん
  の名前を駅名とした。
ということにした。おそらく駅前広場には、そのおばあさんの銅像が建立されているのだろうと。

 「かもしか」に乗車して秋田へ向かう旅人の発想はこんなものである。手元にパソコンがあれば、早速インターネットで調べることができるのだが、とりあえずその「暫定的結論」をインプットして終点「秋田」に着いた。

 『ああ、「井川さくら」駅ですね。あれは・・・』
秋田に着くなり、出迎えてくれた職場の後輩が車中で教えてくれた。つまり、こういうことだった。
 @ あの駅は、「井川(いかわ)」という町の停車駅で、昔は「井川」であった。
 A 一億円のふるさと創生基金の時代に、町の特色を出そうとひねったアイディアが
  「全国のさくらを植樹して公園を造る」というものであった。
 B さくらの公園は完成したが、売り込む要素として、JRの駅名もいっそのこと「さくら」
  を入れて、「井川さくら」と変更した。
 C 開園にあたり、全国から「井川さくら」という名前の持ち主を募集して招待し、
  大々的なイベントを開催した。
 D 今では「さくらの町」としてあまりにも有名で、全国的に知れ渡っている。

 知らぬは・・・という散々な結果だった。そして、したためていた僕の「井川さくらばあさん」説は、後輩の正論の前にお見事に粉砕した。

 しかし、どうしてもこの「井川さくら」のことを誰かに話してみたくなり、函館に戻ってから、早速、職場の部下へ話したが、どうも歯車がかみ合わなかった。『そのお話って、おもしろいですかあ。』とでも言いたげな瞳で見つめられたときは、僕は行き場所を見失ってしまった。もちろん、女房殿にも娘にも話したが、とりあえってくれなかった。『はいはい、おもしろいですよ。』・・・という口ぶり(『はい』は一回でいい!)。でも、僕はおもしろいと今でも思っている。

 それから、1年後の去年の3月に、僕は仕事で再度秋田へ行く機会に恵まれた。今度はデジカメ片手に絶対に「井川さくら」という看板を写そうと意気込んだが、往路の「八郎潟」では隣の線路に各駅車両が停車していたため断念せざるを得なかった。しかし、復路では見事に「井川さくら」を納めることができた。
 駅名の看板を撮ろうと思う人はいるのだろうか。でも、僕にとっては貴重な1枚であることは間違いない。機会があれば、今度は下車してみて、ゆっくりとこころ行くまで「井川さくら」を堪能してみたい。できれば、全国から集めたさくら咲く4月の季節に。それが今のプチ夢である。