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ひとりおもふ
宇宙の法則

 一人娘が小学2年生のとき、僕は仕事の都合で北海道の最東端にある根室というマチに単身赴任した。38歳のときである。

 娘は、室蘭で生まれ、2歳で苫小牧へ、4歳で札幌へ、そして6歳で函館へと僕の仕事の都合で移り住んだ。幼稚園は、札幌の坊さん系「琴似淨恩幼稚園」と函館のカトリック系「函館藤幼稚園」の2つを経験した。

 札幌を去るとき、通園していた「ゆり組」の園児たちをはじめ、園長や涙ポロポロの担任らに見送りされたときはさすがに娘も「函館へ行きたくない!」とゴネて泣いた。

 しかし、中山峠を過ぎるころにはその決意も消え、後ろの座席でいびきをかいて札幌のことを想い出しているようだった。

 娘にとって、函館の暮らしはまるで「水を得た魚」のように生き生きとしていた。

 僕が生まれ育ったこのマチには親戚や多くの知人がいて、連日のように我が家へ押しかけるため、夕食は豪華絢爛であり、また、同じ年くらいの子供もやってくるようになったので、遊びには不自由することはなかったし、幼稚園でのおともだちもすぐできてしまったからであろう。

 特に野菜や魚介類が新鮮であったことから、娘の口は「グルメ」と化していた。

 やがて、市立中島小学校へ入学した。2年生になると、また、転勤の話があった。今度は根室である。2年に一度のペースで転勤することにためらった僕は、娘にこう尋ねた。

 「お父さんは、また、転勤することになったんだ。今度は、ずっと遠い根室というところなんだけど、みーすけはどうする?」

 すると娘は、

 「あたしはもういやだから、お父さんひとりで行ってよ。」

 あっけなかったし、予想どおりであった。

 世の父親が単身赴任する理由は、家を購入していることや子供の学校の関係によるものがほとんどであるが、我が家の場合は違った。僕ももう引越しにはうんざりしていたし、札幌を去るときの娘のあの悲しい光景を二度と見たくないと思っていたからで、まして、根室は遠隔地なので「2年」の決まりごともあり、娘が4年生になれば、
また、違うマチへ転勤することは明白であったことにもよる。

 ということは、娘は少なくともこの世に生を受けてから4年生まで、ずっと2年ごとに引越しをすることになるのだ。

 つまり、10歳までに実に6回も住む家が変わることになるのだ。いくらなんでもこれはひどすぎると思ったし、女房も身体が決して丈夫ではなかったので、僕はどうするか悩んだ。

 我が家の最大のピンチであった。

 女房と考えた末、僕は単身赴任することにした。このときの判断は正解であった。

 2年後、僕はお決まりどおり、無事函館へ戻ってきた。

 娘は小学校を卒業すると、私立のプロテスタント系女子中学へ入学し、そのままエスカレータに乗って同女子高へ進学した。

 今ではすっかり「函館人」が板についたようで、ときおり「函館弁」を駆使しては苫小牧生まれの女房から冷やかされる。

 「お父さんと同じ『函館弁』を使わないで。函館弁はお父さんだけで十分よ。だんだん、お父さんに似てくるんだから。」

 さて、今秋には、その娘の進路を決めなければならない。娘の通学する高校は、「普通科特別進学コース」「普通科普通コース」と「英語科」との3つに分かれており、簡単に言えば「特進」は国公立大学、「英語科」は私立大学への入試を前提としたカリキュラムが組まれている。

 娘は「英語科」に籍をおいているため、進学するとなれば必然的に私立大学しか「みち」はなく、函館の大学へ進むということになれば「函館大学」か短期大学の選択肢しかないので、本人の意向は女房の親戚がゴロゴロしている札幌か東京方面の私立大学に進学を希望しているようである。

 ちなみに中学時代からの親友で英語科に在籍する同級生は、母親が東京出身であることから実家のある東京の私立大学を目指しており、同じく中学時代からの親友で特進に在籍する同級生は、父親が高校教師をされていることから、北海道内の国公立大学か関東地区の国公立大学を目指しているらしい。

 僕は娘に冗談半分で、

 「『聖書』の成績がいいから、いっそ推薦で東京のICU(国際基督教大学)へ行って、宣教師をやったらどう? 食いっぱくれもないようだし。」

と、おちょくるが、女房は現実路線で札幌の「北星学園大学」を薦めている。

 が、しかし、である。

 娘は、高校もエスカレータで入学したため、「15の受験地獄」を経験していないという「もろさ」がある。

 受験ということが一体どういうもので、どんなに大変なことなのかを身をもって経験していないのである。

 中学入学時の受験も小学校での成績がたまたま良かったため「学校推薦」で、筆記試験免除の親子面接のみだった。

 加えて、学校の教育指導が熱心であることから中学・高校と学習塾へ行くこともなかった。

 したがって、集中は可能であるものの、競争心というものが宿っていないように思えた。

 しかし、この学校の英語科には諸先輩が築きあげてきた伝家の宝刀「指定校推薦」というものがあった。

 これは、高校での成績により学校が生徒を推薦する制度なのだが、全国のプロテスタント系私立大学に「枠」があり、その枠に入ればよほどのことがないかぎり不合格というにはならないらしい。

 こういう「おいしい」制度を利用して娘は受験免除で合格することができれば『桜咲く』なのだが、枠に入らず、一般推薦でも『桜散る』ということになれば、受験地獄へのキップを手にすることになる。

 小学校から高校までを函館で過ごした娘は、おそらく函館以外の大学へ進学することになるだろう。

 そういうことから、女房は札幌市内のマンション(もちろん中古)購入のため、せっせと資金作りをしているようだし、親戚に頼んで良い物件を探してもらったいるようだ。

 転勤族ではあるが、そろそろマイホームをと話をするのだが、女房はなかなか本腰を入れてくれない。

 この間も住宅メーカーが良い物件をセールスにきて、僕も、

 「へえ〜、本通1丁目で、約70坪で、オール電化で、しかもこの値段!」

と、色気を出したのだが、女房はクールに、

 「函館も住めば都で、物価も安いし、気候もいいし、友達もたくさんできたし・・・、でも、札幌のほうが何かと便利だよね。マンションも安くなっているし。」

と、一蹴り。

 となると、今度は札幌から函館へ単身赴任となる可能性が非常に高い。

 なんだか、我が家は僕の根室単身生活以来、娘中心に世界が回っているような気がしてならない。