月日は流れ、プライベートな暮らしが落ち着き始めた。
旅にも出たいが、今しなければならないことがひとつある。
一人娘が大学を卒業したら、本格的に検討しようとしていたこと。
それは、マイホーム。
転勤人生の身としては、これからも退職するまで転勤生活が継続される。
が、骨をうずめる安住の地をそろそろ模索しなければならない。
候補地は、ただひとつ。
函館。
希望する物件についてはインターネットでも検索できる世の中ではあるが、知人の紹介で、中古マンションの販売を業とする不動産屋へ任せることとした。
一軒家も想定したが、セキュリティ対策や厳冬期の除雪等を考慮すれば、ここはマンションが一番いいだろうという結論にすでに達している。
横浜の女子大を卒業して、そのまま東京でOLとなった娘は、おそらくはUターンしてこないだろうという前提もあり、財産として一軒家を購入することの必要性もない。
『お父さん、私が函館へ帰省できるところがあれば、それでいいよ。でも、仮にマンションを買ったとしても、お父さんが転勤したら、そのマンションどうするのさ。』
『転勤したら、必要最低限のものだけ持っていって、あとはそのままにしておくよ。』
新築のマンションを購入することについては、今のところ全く考えていない。
平均寿命が70代後半とはいえ、僕の人生は長生きしたとしても、せいぜいあと10年から20年だろう。
その老人のために、新築マンションは必要ない。
★★★★★
昨年の暮れ、札幌の知人がマンション探しのため函館を訪れた際に、僕は「アッシーくん」として道案内をした。
函館では一番活気のある「本町」中心街まで徒歩5分という立地条件のマンションを見に行った。
3LDKで、およそ2,800万円というお値段。
たしかに五稜郭繁華街の一等地ということからその価格になるのであろうが、正直言って、間取りの狭さを含めて非常に息苦しい感じがした。
おそらくは、わずかなスペースに3LDKを設定したためなのだろう。
場所も設備も申し分ないのに、どうも落ち着かない。
同じ3LDKでも、やっぱりその広さなのだろう、と思った。
今年の2月ころから、ネットで中古マンション情報サイトをのぞくことが日課となった。
普通のマンションは当然あるのだが、観光都市函館を反映するかのように、「リゾート型」というマンションがそのなかに存在していた。
それと、湯量豊富な「湯の川温泉」には、「温泉付き」というマンションもあった。
不動産屋を紹介してくれた知人のアドバイスはこうだった。
『マンション探しは、やっぱり物件をちゃんと確かめることだよ。』
★★★★★
2月12日のことだった。
『破格の物件がありました。ごらんになるのであれば鍵を預かりますので、ご連絡ください。』
そんな言葉が留守電に流れていた。
『すごいのよ。あたしも驚いたわ。こんな物件、おそらくもう10年はでてこないでしょう。』
不動産屋の70歳を過ぎた女性社員の開口一番。
『ウチの会社の2階! 4LDKで・・・・680万円! どう、驚いた。』
『え〜、ど、どうしたんですか。』
『実はさあ、わけありなのよ。いちおう見てみる?』
『それじゃあ、仕事が終わったら、そちらへ行きます。』
五稜郭から目と鼻の先にある杉並町のライオンズマンションの2階。それも4LDK。
以前ネットで検索したときに、そのマンションはすべての部屋が南向きであることを知っていた。
『とにかく、部屋へ行ってみましょ。わけありはそのときに話すけど。部屋のなかはすごいことになっているみたい。』
『すごいことって?』
『行けばわかるわよ。』
不安が交差するなか、エレバータに乗って2階へ。
鍵を開けた瞬間、玄関に置いてある洋服掛けに目がとまった。
照明のスイッチを入れる。
家具がそのままになっている。
まるで、誰かが住んでいる部屋におじゃまするような感じだった。
『住んでたままの状態なのよねえ。』
『住んでたままの?』
『わけありってお話したけど、実は住んでいたご主人がポックリお亡くなりになったのよ。ここではないけど。』
『交通事故かなにかで?』
『外を歩いていてということらしいわ。奥さんもいるんだけど、102歳とかで、養護老人ホームに入っているのよ。このご夫婦にはお子さんがいないの。』
『つまり、引き取り手がいないということだね。』
『そう、それと、奥さんが寝たきりでボケてしまっているから、裁判所が介入しているのよ。それで、後見人が処分したいとして破格のお値段になったというわけ。』
『でも、これって、家具とかは当然整理するんでしょ。』
『現有引き渡しということになるから、家具類を引き払うだけ。だから、修繕費が必要になる。状態が良くないから、最低でも100万はかかると思う。』
夕暮れどきに入室したので、なんとなく薄気味悪かった。
居間に面した和室に大きな仏壇があり、そのわきに大きな写真が飾られていた。
『お亡くなりになったご主人よ。』
僕は思わず合掌した。
居間の隣にある洋室をのぞくと、シングルベッドが2つ並んでいて、その1つに亡くなったご主人が脱ぎ捨てたパジャマが無造作に置かれていた。
『なんか、でそうだね。』
『だから安いのよ。実は、貴方で3人目。1番目の方も見にいらしたんだけど、2階だと景色がよく見えないということでパスしたわ。2番目も見にいらして、今日の7時までに回答がくることになっているんだけど、買うということになれば、貴方の権利は消滅するけど、買わないということになれば権利が移るわ。』
『ライオンズだし、場所もいいし・・・、でも、ねえ。ちょっと考えさせて。』
★★★★★
帰宅してからすぐに電話があった。
2番目の客もパスということで、僕に権利が移った。
ちなみに、2番目の客も景色が見えないという理由からパスということであったが、本音としては、やっぱり薄気味悪いということだろうと思う。
『いいんだけど、あの写真を見てしまったからなあ・・・縁がなかったということで。』
同じマンションの最上階で1,500万円となっていたから、破格には違いないのですぐに飛びつくのは必然であろう。
だが、仮にカネをつかってきれいにリフォームしたとしても、やっぱりあの写真と脱ぎ捨てたパジャマが。
その1週間後に、ネットで検索したが、まだ売れ残っていた。
僕は、その1ケ月後に、湯の川所在の温泉付きマンションの南向き部屋を奇跡的にもゲットすることになった。
不動産屋の彼女いわく、「札幌在住の金持ちが別荘代わりに使っていた」ということで、17年経過でも壁とかにキズや傷みはほとんどなかった。
漁火通りを横切ると、目の前に大好きな海が広がる。
缶ビール片手に、ビーチサンダルで、海まで1分。
『貴方、すごいツイテいるわよ。宝くじも当たるわよ、きっと。』
だってさ。