シルエット・ロマンス
ひとりおもふ
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 良識ある函館市民が保存を熱望していた、五稜郭公園正門にある「藤棚」が、後世へ残ることになった。

 保存については、昨年の函館市議会で取り上げられ、市側が現地調査した結果、藤棚のある正門付近に砦があったという形跡が確認されなかったためとのことである。

 傍聴席で議会の様子を見守っていた保存会会員の喜びようが目に浮かんだ。

 が、肝心のY代表は、本人いわく、カゼで体調をこわしていたため途中退席したとのことで、保存会決定の表明をナマで聴くことができなかったとのこと。

 そこが彼女らしいといえばそれまでだが、とにかく今年も来年もずっとずっとあの藤棚を見ることができるという結果を勝ち取った市民運動に敬意を表したい。

 それと、この問題を取り上げてくださった市議会議員の工藤恵美さんに深く感謝したい。ほんとうにありがとうございました。

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 僕がこの市民運動を知ったきっかけは、ある方からの一通のメールだった。

 たしか、サクラが終わったころの去年の5月のことだった。

 『はじめてメールを差し上げます。函館に住む○○というものです。五稜郭公園の藤棚をネット検索していたら、貴方のサイトにたどりつきました。とても素敵な写真なので、藤棚保存会の活動に、貴方が撮影した藤棚のお写真を是非お借りしたいので、ご返事お待ち申しております。』

 そのあとには、五稜郭公園内に建設中の「箱館奉行所」に関連して、歴史を忠実に再現するため、正門付近にある藤棚を撤去して、そこへ砦を建設する計画が、市民不在のまま進められていること、そのため、同公園の「顔」でもある藤棚を是非とも保存したいという考えから、市内在住のY女史を代表とした保存会を設立する予定であること、等々が記載されていた。

 そして、今回メールした理由として、6月初旬に開催予定の藤棚観賞会の案内用パンフレットの表紙に、僕の写真を使用させてほしいということであった。

 僕の写真がお役に立つのであればと、ふたつ返事で引き受けた。

 僕は、五稜郭公園のサクラとつつじと藤棚に魅せられた一人として、デジカメを購入してから毎年撮り続けていた。

 そして、函館市民としてもそうだが、五稜郭公園を愛する一人として、「箱館奉行所」の建設に納得がいかない不満がくすぶり続けていたことはたしかだった。

 それに輪をかけるような藤棚の撤去計画。

 五稜郭公園は、「サクラ」と「つつじ」と「藤棚」がなければならない。

 僕が子供のころからそれはずっと続いていたものであり、どこの馬のホネだかわからない歴史学者が、歴史を忠実に再現するために藤棚を撤去せよとは、いったいなにごとだ!

 まして、「贋物」の奉行所を建設してどうするのだ!(市役所には悪いが)

 一部でも残っていて、それを修復あるいは復元するというのであれば譲歩してもいいと思うが、市民の税金でそんな「100%贋物」を建設して、だれが喜ぶのだろう。

 「客寄せパンダ」にすぎないのではないか。

 でも、奉行所を建設するということを今さら覆すことはできないものの、およそ80年の歴史を持つ藤棚は絶対に残さなければならない。

 毎年、毎年、初夏の風物詩として函館市民はもとより、多くの観光客らを癒してくれる藤棚を奉行所建設のために撤去することは許されないし、「函館っ子」としてそれを黙認するわけにはいかない。

 僕が撮りためていた藤棚の写真が、保存運動の役に立つ。

 くすぶり続けていたものが一気に燃え始めたような感覚を覚えた。

 さっそくライブラリーから五稜郭公園の藤棚写真を集めて、1枚のCDに焼きつけ、メールを発信した方のご自宅へ持参した。

 その際に、6月に予定している観賞会へ是非参加してほしい旨のお誘いもあったので、これも喜んで引き受けさせていただくことにした。

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 藤棚観賞会当日は、ちょっと曇りがかった空であったものの、6月にしてはちょっと汗ばむほどの陽気。

 五稜郭公園の正門広場に集合し、Y代表のあいさつを聞く。

 藤棚観賞会への参加者は、およそ50名くらいになるのだろうか。

 報道関係者は、ケーブルテレビとFMいるか、それに記者らしい男性1名が確認できた。

 Y代表のあいさつが終わり、さっそく参加者は正門の藤棚へと歩き始める。

 橋を2つ渡ると正門にさしかかり、その向こうに「五稜郭公園の顔」でもある藤棚が見えてきた。

 ややピークを過ぎていたし、気温が上昇していたので、藤は枯れはじめていた。

 香ばしい藤棚の下で、僕にメールをくださった世話役であるKさんが参加者に対して藤棚について親切に解説する脇で、Y代表は報道関係者の質問を受けていた。

 藤棚のすき間からおひさまが差し込んでいるので、どことなくフランス印象派のセザンヌの絵画のようだった。

 説明が終わると、今度は五稜郭公園ならではの藤棚の脇にある土手へあがり、藤棚を見下ろす場所へ到着した。

 日本全国に藤棚は数知れずあるだろうが、藤棚を見下ろす場所はここくらいではないかと思えるし、これが五稜郭公園の特色でもあろう。

 Y代表が藤棚の歴史を紐解いている光景の奥のほうで、建設中の「箱館奉行所」の文字がうっすらと見えていた。

 日差しが強くなってきたが、生ぬるい風が心地よかった。

 それから、公園中央にあった「茶屋」跡に残っている藤棚へ向かった。

 奉行所建設のために、真っ先に取り壊された「茶屋」が藤棚に埋もれた写真を僕がたまたま撮影していたので、その面影を浮かべることができた。

 また、こちらの藤棚のほうはピークを迎えていたので、華麗さが100%伝わるようだった。

 いい香りがする藤棚の下で、会員の皆さんが藤棚の詩を合唱した。

 それは、やっぱり、セザンヌの絵画のような光景だった。

 その光景を見守る空は高く、そして、どこまでも青く澄んでいた。

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 6月が過ぎて、季節は夏から秋へと変わり、冬がもうそこまで忍び寄る季節となっていた。

 保存運動を続けていたY代表は、藤棚保存会のメンバーが作詞・作曲した「五稜郭の藤の花」というCDを自主制作し、マスコミ等へ無料配布した。

 僕も手にすることができた。

 『貴方のは特別版よ。』

 僕が写した藤棚がきれいに印刷されていて、それがCDの表紙になっている。

 『ジャケットはすごくいいんだけれど、録音がイマイチなのよねえ。』

 それでも、Y代表が自主制作した苦労の賜物に違いなかった。

 『ありがとうございます。』

 たしかに、音はイマイチだった。

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 さて、今年の6月がすごく待ち遠しくなった。

 保存運動をしてきた皆さんには、今年は特別な想いの年になるだろう。

 保存の可能性がほとんどなかった、いわば「ダメ元」からの出発だった運動で勝ち取った「現状維持」という言葉が、すごく重たく感じる。

 特にY代表は、再会できる喜びに感極まってボロボロ泣くに違いない。

 一通のメールから、微力だがお力になれた喜びを忘れずに、僕も五稜郭公園へ足を運ぼうと思う。

 でも、きっと、

 『いっしょに観に行かない?』

って、Y代表は誘ってくるだろうなあ。