シルエット・ロマンス
ひとりおもふ
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  不思議な掲示板がある。

 その不思議な掲示板に、僕の知人が会員となっていて、会員同士で「おしゃべり」をしているそうなのだが、会員数が3名のみであり、新規は断固受付けないという紹介メッセージを読んで、これはかなり危ないようなイメージを抱いてしまった。

 『主宰者にさあ、なんとか頼んで僕を会員にしてくれないかなあ。』

 その願いも通じなかった。

 『かなりきわどいおしゃべりをしているので、ダメと言われた。ごめん。』

 以前は、その「おしゃべり」を不特定多数に公開していたそうだが、主宰者に個別メールが入ってきて、その内容がかなりきわどいので、とうとう「非公開」にしてしまったそうだ。

 そういった話を聞いていると、おおよその見当はつくのだが、そういう内緒話はどこまで信憑(しんぴょう)性があるのだろうかと考えてしまうし、そんなのは掲示板でやらずにメールでやれよと言いたくなる。

 以前、インターネットは「時空の世界」ではないかとエッセイで書いたことがある。

 その根拠として、インターネットでは想像の世界と現実の世界との「境界」がどこにあるのかは当事者でしかわからない、という考えが僕にあるからだ。

 しかし、第三者的に読んでいけば、その境界というものがうっすらと見えてくるものも時々はある。

 ただ、全部が全部そうではないと思っているし、なかには現実の世界を飾ることもなくそのまま書き込み告白されている方たちもいることはたしかだと思う。

 そのありのままの書き込みを読んでいくうちに、この人はどういう人なんだろうかと思いを馳せることもときどきある。

 要するに、「気になる」「興味がわく」ということなのであるが。

 ホームページやブログには、通常、「プロフィール」がほぼ掲載されており、主宰者のイメージをそこで想像することができる。

 なかには、その「プロフィール」まで虚像化している方もおられるようだが、そこまで徹底しているとだんだんと虚像であることがわかってきて、そのうち見向きもされなくなる可能性を秘めていることはたしかであろう。

 一方では、そのプロフィールが個性的であればあるほど、なおさら興味がわくし、イメージが良くなることもあると思う。

 ホームページやブログでの限界は、不特定多数のアクセスからの自衛手段であると僕自身肌で感じているから、本名、顔写真、そして住所と電話番号の最低4点セットは非公開が妥当だろうと思う。

 だが、それすらも平気で公開している方もいる。

 これも全部が全部そうではないだろうが、なかにはやはり「虚像」である場合も存在しているようである。

 ホームページやブログの内容が危なければ危ないほど、その「虚像」である比率は高くなっていくのではないかと、僕はそう分析している。

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 自分のことをありのまま小説化したものを「私小説」という言葉で表現している。

 ただ、全てを告白的に書き綴っているわけではなく、少しは脚色している部分もあるだろうと思う。

 その「告白的事実」は、例えば「一人称」で日記的に文章化されているケースが目につく。

 ブログの日記の世界は、公開を前提として書き綴っているわけだから、ある意味では「私小説」の一種として捉えることができるだろう。

 自分の暮らしや考えを、誰かに聞いてもらいたい。

 そして、同情してもらいたいし、コメントもほしい。

 公開した日記がノンフィクションであるという証(あかし)に、写真を添付する場合が多いので、こういうケースでの信憑性は高いと思う。

 また、ブログの場合は、文章能力も要求されるだろうし、主宰者のトータル性も無視できないと思う。

 最近、僕が魅せられたブログがある。

 主宰者は、週末を利用して里山へ出かけ、そしてその風景と、道端で出逢った花たちをカメラに収めてくる。

 掲載写真の美しさに加え、ほどよいコメントがマッチし、何故かやすらぎを覚える。

 それに、主宰者と一緒にそこを旅したような錯覚まで覚えてしまう。

 さらに、一番重要なのは、独特の雰囲気というか、やさしい「流れ」がそこに存在しているのだ。

 その「流れ」というのは、そのブログの「匂い」である。

 ネットから「匂い」というのは、非現実的な表現なのだが、それがそのブログの個性だと僕は思っている。

 繊細な里山の風景と、道端に咲く花の写真。

 里山に想いを馳せる清楚な語り。

 それらがまるで、やさしいピンク色の「匂い」で包まれているように感じる。

 これが、主宰者の感性なのだろう。

 主宰者のその感性のすべてを感じることはできないだろうが、わずかでも感じることができるからこそ、一緒に旅した気持ちになれるのだろうと思っている。

 次週は、どこを旅するのだろう。

 そう思わせるだけで、この「私小説」的ブログは、すでに使命を果たしている。