不思議なものだと思った。
昨夏、稚内から函館へ戻ったときに、30年以上も購読した「北海道新聞」(道新)を止めた。
理由は、他の地区では当たり前なのに、函館地区だけは、夕刊とセットでしか販売しないと、今回も言われたからである。
つまり、朝刊のみの販売はしていないと。
朝刊のみだと月々3,000円くらいの購読料なのだが、夕刊とのセットだと約4,000円にもなる。
稚内では朝刊のみの契約だったし、不自由さは全く感じなかった。
まして、ひとり身だと夕刊を読むだけの時間をもちあわせていなく、テレビの夜のニュースで十分把握できる環境にある。
朝刊を読むのは、「おくやみ」と「スポーツ」と「テレビ番組」、そして「ローカルニュース」程度であり、あとはスーパーの折り込み広告くらいだろう。
要は、「長年のつきあい」で購読していたという表現が適切だったのかもしれない。
なじみの販売所と電話越しに、
『朝刊のみはできないのか。』
とたずねてみても、
『函館は、夕刊とのセットでしか販売しないんですよ。』
との回答に「カチン」ときたので、
『じゃあ、やめた。函館新聞にするわ。』
『ちょ、ちょっと待ってくださいよ。道新のほうが道内の細かいこともわかるし、「ちらし」もかなり折り込みされているんで、絶対におトクですよ。』
『内容なんて、どうでもいいんだよ。夕刊はいらない。観ないものを何故購入しなきゃ、なんないのよ。稚内じゃ朝刊のみでOKなのに、なんで函館はそれができないんだよ。あんまり、あんたを困らせるようなこと言いたくないけど、読者に選択権がないって、これって問題じゃないの。そういう認識って、ないんだ、函館じゃ。』
『わかりました。お客さんがそこまで言うんだったら、結構です。』
三大新聞や「函館新聞」も朝刊のみなので、むしろセットでしか販売しないという道新の姿勢が問題視されるべきではないだろうかと思う。
そんな「いきさつ」があって、それで思い切って新聞購読をやめた。
スカパーの「TBSニュースバード」が24時間放送されているし、函館のことはケーブルテレビの「NCV」で把握できるし、あとは必要に応じてインターネットでの新聞各社サイトをのぞいて、これでやれるだろうと。
★★★★★
新聞購読を止めて、1年が過ぎた。
新聞を束ねて、ゴミとして出す日課もなくなったし、極端な不自由さもなかった。
ただ、世界と国内、そして函館の動きは把握できるものの、北海道内の動きに「鈍感」となった。
それと、折り込み広告がないので、スーパーの「大特売」がわからなくなってしまったが、我が家は大家族でないので、影響はほとんど受けていない。
また、インターネットの普及で、新聞の将来に暗雲が立ち込めていることは以前から知っており、いずれはネット上でニュースを知るというかたちに移行することになるのだろうが、それを早々と実感することになろうとは思わなかった。
自宅療養をはじめた女房も、夏休みで帰省中の娘も、全然苦にならないような感じで、特にテレビがなければ生きていけない娘は、「週刊テレビジョン」を買ってくるか、もしくは地デジ画面の番組表を駆使して予約しているし、僕の愛読書「月刊スカイパーフェクトTV」をいつのまにか私物化してしまったので、全然ノープロブレム。
また、娘が帰省してきたい8月6日以降は、僕のチャンネル権が消滅したため、8日に開幕した「北京オリンピック」のライブを観る機会に恵まれず、もっぱらダイジェスト版か「YAHOO!」でチェックする日々を送ることとなった。
オリンピックの開催期間中は、その結果について朝刊の必要性を痛切に感じたものの、なければないでそれなりに情報サイトで確認できる「したたかさ」も身につけたことは非常に大きい。
そういった僕だけの「ウラ舞台」を知らずに、北京オリンピックは無事?終了し、男子サッカーを除く日本人選手の健闘が大いに光る大会でもあったと思う。
メダル獲得で目立ったのは、アテネ大会に引き続き「2連覇」が多かったということだろうか。
メダル獲得にこしたことはないが、個人種目で世界の8名が残る決勝へ進出したことも称賛すべきだと思う。
また、女子ソフトボールは、悲願の初優勝を手にすることができたが、初のベスト4へ進出した女子サッカーは、メダルこそ取れなかったものの、4位はほんとうに立派だと思った。
ただ、準決勝や3位決定戦でのスタンド声援は汚点が残るものとなったし、女子バドミントンの「オグシオ」コンビの試合でも、観客席から「死ね!」という中国語が飛び交ったという。
どこかのブログで書かれていたが、サッカーにしろスポーツでの「ブーイング」というのは、例えば、審判がミスジャッジをしたとか、相手に有利な判定をしたとか、そういう不公平さに対して発生する「ブー」という音であり、あとは、今まで自チームにいた選手が敵チームに移籍して、試合中にボールをキープしているときくらいにしか聞こえない音なのである。
女子サッカーの場合、日本対アメリカの準決勝と、日本対ドイツの3位決定戦で、スタンドの中国人観客のほとんどはアメリカもしくはドイツを応援していた。
テレビ観戦していて、アメリカもしくはドイツが攻めると、「ワ〜」という歓声が響き、逆に日本が攻めると、「ブ〜」という罵声が聞こえてくるのである。
これは、「ブーイング」を発する場合の常識を超えた「反日感情」の表現方法であり、重慶で開催された別のサッカー大会での試合と同じように、日本チームには徹底して「ブーイング」の嵐だったのだ。
中国人の応援のマナーの悪さというか、「反日感情」露骨なやり方は、オリンピック開幕前も問題となり、ホストである中国側が公平に応援しようと呼びかけたとニュースにもなったのだが。
例えば、地元中国チーム対他国チームというのであれば、今の状況であれば仕方がないと片付けられるのだろうが、「ブーイング」はまた別問題であろうと思う。
ただ、ここで問題なのは、地元中国チームが出場しない「日本対アメリカ」「日本対ドイツ」の試合で、何故こうなるのかということである。
日本で開催されるスポーツ大会で、これほど露骨な声援をする日本人観客はバレーボール以外にあるのだろうか。
中国を除く世界のどこかで開催されるスポーツ大会で、これほど露骨な声援をするホスト国の観客がいるのだろうか。
試合が終了して、さわやかに握手を交わす選手たちの映像を見ながら、なんともやりきれない気持ちになったし、同時にもっと大人になれよという気持ちにもなった。
★★★★★
オリンピックをテレビ観戦していて、一番感動的だったのは、女子レスリングの浜口京子だった。
準決勝で、まさかのフォール負けとなったものの、3位決定戦で見事に勝利したときのあの笑顔を見ていたら、自然と涙があふれてきた。
試合後に、スタンドへ駆け上がり、お母さんと抱き合ったあの光景に、不覚ながらも涙してしまった。
ひとつの目標に向かって、最後の最後まであきらめないという彼女の姿勢が胸を打つ。
あの銅メダルは、浜口家にしてみれば、まぎれもなく「金メダル」なのだ。
会場から去るときに、スタンドの父親「アニマル浜口」さんが、
『きょ〜こ〜!、次はロンドンだ!』
と、叫んだとき、周りもそうだったけど、僕も
『そうだ! がんばれ!』
と、思わずうなずいてしまった。
でも、ほんとうは、
『おつかれさん! もういいから、引退して、しあわせになれよ。』
と、日本中が思ったにちがいない。
北京オリンピックで、一番笑顔が映えた彼女のことは、生涯忘れることはないだろう。