ひとりおもふ
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シルエット・ロマンス

 「漁火(いさりび)通り」という通称名の道路が津軽海峡沿いに走っている。

 この呼び名になったのはいつのころからかわからないが、この道路は最近できたわけではなく、僕がものごころついたときから間違いなくあったことはたしかだ。

 どこからどこまでをそう呼んでいるのかわからないが、おそらくは「立待岬」から「湯の川温泉」までの間を指しているのだろうと思う。

 しかし、僕を含めた「函館っ子」は、この通りを「海岸通り」と呼んでいたはずだ。

 ジプシー生活を終えて、16年ぶりに戻ってきた1992年夏の故郷・函館。

 女房と6歳になるひとり娘にとって、函館ははじめて住むマチ。

 街中をクルマで散歩してみる。

 海が見たくなったので、津軽海峡へ向かった。

 標識には「漁火通り」と表示されている。

 夜の津軽海峡に、イカ釣り船が灯すフィラメント電球がずらり並んでいるので、「漁火通り」というネイミングは理解できる。

 だが、この通りは「海岸通り」であり、そんなシャレた名前ではなかった。

 国際観光都市だからと言って、「いいふりこき」をすることもないだろう。

 16年ぶりの函館は、あの「やぼったさ」と「いいふりこき」がなくなっていた分、妙によそよそしくなって、どこか寂しいような気もした。

 それでも救われたのは、人が変わっていないというか、マチのいたるところで「函館弁」丸出しのハマ言葉がちゃんと聞こえていたからだった。

 独特のイントネーションや方言を聞いていると、「風」だけは変わらないとつくづく感じた。

 『いがった、いがった。な〜んも変わってねがった。』
 (良かった、良かった。何も変わっていなかった。)

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 マチの中をドライブしていると、町の名前や通りの名前が道路標識に示されている。

 新しい道路もたくさんできたし、その放射状に延びた道路の市街地に新しい町も加わった。

 「赤川通」と呼んでいた地区は「美原(みはら)」と呼ばれたり、「山の手」「陣川町」「石川町」も誕生していた。

 町名を聞いてもそれがどこにあるのか全然わからなかったし、通りの名前を言われても全く理解できず、

 『あれ、産業道路より1本なかに入った道路を言うんだよ。』

 『そんな道路、若いころはなかったよ。』

 『最近できたんだよ。なまら便利ださ。』

 函館は、札幌や旭川、そして帯広のように計画されてできた「マチ」ではない。

 明治初期に築かれた札幌や旭川は、京都の「碁盤の目」を採用した地形となっているが、函館は自然と人が住みついてできたマチなので、道路が非効率的なところもある。

 だから、どちらかというと本州の古いマチと変わらないし、マチ自体がもともと函館山の裾野から延びて広がっていったので、道路幅も狭いところが多い。

 幹線道路以外は、クルマのための道路ではなくて、人が歩くための道路として発達したことが一目で理解できる。

 昭和30年代までの函館の中心地は、その函館山の裾野にある「十字街(じゅうじがい)」という地区であり、その後昭和50年代はじめまでは、北島三郎が歌って大ヒットした「函館の女」でおなじみの松風町からJR函館駅までの間の「大門」地区、そして現在の中心である「五稜郭」地区と、裾野からだんだんと延びたところへ中心が移動している。

 その中心を今は五稜郭と二分している旧亀田市の「美原」地区が、おそらく数年後に中心となることは時間の問題であろう。

 「ドーナッツ化現象」のアレンジ版である函館は、つまり、十字街や大門地区に住む祖父から独立して五稜郭周辺に一軒家を建てた父親、そしてその父親から独立して美原周辺に一軒家を建てた息子と、そういった表現をすれば函館の人口構成がわかってくると思う。

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 函館山の裾野から広がる街並みを囲うように、津軽海峡沿いに延びる「漁火通り」。

 函館空港に降り立ち、JR函館駅方面へ向かうときに必ず通る道路がその「漁火通り」である。

 名湯「湯の川温泉」のホテル街を抜けると、やがて左側に広がる津軽海峡が見えてくる。

 良く晴れた日には、対岸の青森・下北半島を望むことができるし、津軽海峡は「国際海峡」なので、ロシア極東、韓国、中国と北米を結ぶコンテナ航路などを往来する船舶の姿もよく見える。

 また、毎年9月下旬に行われる「函館ハーフマラソン」のコースにもなっているので、歩道を走るジョガーの姿が目立つし、函館山の雄大さが眼前に迫るので、夏のロケーション的にはちょっとした避暑地という感じもする。

 僕は、この海を眺めて育った。

 夏になると、湯の川温泉街にある「根崎海水浴場」へ泳ぎに出かけたので、いつもまっ黒に日焼けした。

 ただ、大腸菌発生による海洋汚染問題が深刻化してからは、海水浴場も長い間閉鎖されていた。

 汚水処理施設が完備され、海水の水質が良くなったことから、今度は「ネット式海水浴場(魚網で水面と底面を囲い、その中を遊泳できるようにしたもの)」方式を取り入れて再デビューし、今シーズンも開設されている。

 魚網のなかで泳ぐのは少し抵抗があるものの、沖へ流されないという安全面が期待できるので、ユニークな施設だと思う。

 僕の娘も小学生のときにここで泳いだので、その安全性は実証済みであるものの、海底にもネットが埋設されているため、そのナイロンネットで「擦れる」と、擦れた部分が赤くなる弊害もあった。

 この「漁火通り」をもう少し進むと「石川啄木小公園」があり、観光スポットとして紹介されている。

 小公園付近では、夏の日の夕方ともなると、散歩する市民やジョガーらが夕日に映し出されて、セピアカラーのエキゾチックな風景となる。

 そんなときは、クルマで走るのをやめて、急いで自販機で缶ビールを買って、防波堤に腰掛けながら、津軽海峡を眺めてみたい、そんな気がする。