曲:新条ゆきの「金の星」
担当医師の説明で不安はあるものの、女房と僕は自宅療養を選択した。
五稜郭公園に、つつじが咲き始めた5月26日のことだった。
そして、退院が6月2日と決まった。
退院の日を決めたとき、女房は、
『これで、やっとリラックスできる。』
と、元気を取り戻したような表情を見せていた。
相模原から空路函館へ戻り、そして緊急入院したのが2月7日だったから、およそ4ヶ月も入院していたことになる。
4月あたりから、外出や外泊許可が下りるようになったので、退院はある程度予想はしていた。
女房の精神面のことを考えれば、自宅療養はプラスにはなると僕も思ったが、日中仕事をしていることを考えれば、その時間帯は女房が一人で療養することになるので、心配は心配なのだが・・・。
でも、そんな心配はなんとかなるだろう。
きっと、大丈夫。
★★★★★
退院を目前にした5月31日の土曜日に、1泊2日で外泊許可が下りた。
お昼前に病院を出て、女房がリクエストしていたヨーカドーへ向かった。
サービスカウンターのイスに腰掛け、「快気祝い」のお返しを申し込んでいたとき、
『ちょっと、頭が白くなってきた。』
と、言うや否や、女房が急に隣に座っていた僕にもたれかかってきて、眠ってしまった。
いびきをかき始めたので、とっさに僕は、
『おい、大丈夫か。しっかりしろ。』
と、身体をゆすりながら、女房を起こした。
『救急車を呼んだほうがいいですね・・・、いいえ、呼びます。』
と、店員は電話をかけた。
1分もしないうちに、責任者らしい人と警備員が走ってきた。
そうして、イスを3つ並べて、意識もうろう状態の女房を寝かせた。
『今、担架を持ってきますから。』
『すみません。女房は入院中なんで、入院先の病院へ電話します。』
『もしもし、内科へ入院中の○○の夫ですが、女房が急にいびきをかいて眠ってしまったので、大事をとって救急車でそちらへ運んでもらいますので、よろしくお願いします。』
『わかりました。夜間救急入口で待っていますから、そちらへ救急車を回してください。』
ヨーカドーの店員数名が、担架で簡易ベッドのある事務室へ運びはじめ、僕はその後ろをついていった。
冷静にしているつもりだったが、予測していなかった状況にかなり動揺していたことに違いはなかった。
事務室の簡易ベッドに運ばれたころには、女房の意識も戻りはじめた。
『あと数分で、救急車が到着するそうです。』
冷静に対応する40代の女性店員が話してくれた。
『ありがとうございます。助かりました。』
『いいえ、低血糖の方や、低血圧の方が倒れて運ばれることは、よくあるんですよ。』
事務的な質問に受け答えしていると、救急車が到着した。
貨物搬出入通路を通り、業務用エレベータを使い、そうして配送専用口へ出ると、救急車が停車していた。
それから、救急車に乗って、入院している病院へ搬送された。
病院へ運ばれ、そうして自分のベッドで安静状態となったが、夕方には体調も回復し、外出可能となった。
担当医師は「貧血」であると説明し、退院に変更はないと補足した。
が、退院日の午前中に400ミリリットルの輸血を受けた。2時間くらいかかると言われたので、僕はその時間を利用して、満開だと教えてもらった五稜郭公園の「つつじの壁」と「藤棚」を観にいくことにした。
五稜郭公園は、病院からクルマでわずか5分のところにあるのだ。
『この血液は、きっと自衛隊員のものだろうから、元気が出るよ。』
僕のそのジョークを聴いた病室内の人たちも爆笑した。
『お話上手のご主人もいなくなると、すごく寂しくなるわね。』
また、長いつきあいだった看護師さんらも、女房の退院を笑顔で喜んでくださった。
『良かったわね。ちゃんと栄養つけて、早く回復してくださいね。』
★★★★★
退院して、既に2週間が経過しようとしている。
病院食と違うので、入院していたときよりも幾分ふくよかさが戻ってきたような気がした。
治療薬による高熱の影響がときどきあるものの、今のところ順調に推移している。
2回ほど「予約診察」を受診したが、血液検査の結果も順調であるとのこと。
体調が良いときは夕食を作ってくれることもある。
そのおかずとごはんを口にするとき、この当たり前の光景が特別なことのように思える自分がいる。
再び入院するときが来るだろうが、それまでの時間をこうして過ごせることがなによりの「良薬」なのだろう。
また、女房の調子が良いときは、仕事を早めに切り上げて、近くのスーパーへ散歩がてら連れ出すことも日課となった。
一日中家にいるのだから、やはりそういう気分転換も必要だろうと思う。
『好きなときにお菓子やくだものが食べられて、好きなときにテレビを観られて、周りの人たちに気配りすることもないから、やっぱり家が一番いいよね。』
この言葉が、今の彼女の心境を物語っていた。
もうすぐ、夏がやってくる。