ひとりおもふ
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シルエット・ロマンス

 五稜郭公園のサクラ色の季節も終わり、いよいよ本格的に心地よい季節がはじまる。

 去年の今ごろといえば、「花の浮島礼文島」を駆け巡る体力増強のため、稚内市内のスポーツジムで週4〜5日ベルトコンベアの上を走っていたっけ。

 要するに、ひとりで勝手に決めた「礼文島モードへ突入した」という表現が適切か。

 それまでのメニューと言えば、「脱メタボ」のごとく週1〜2日のジムトレと水中ウォーキング、そして週1回のアクアビクスで健康管理していたわけで、それがいわば「週休2日」になったのだから、50代のおやじにしてみればかなりのハードメニューだったわけである。

 でも、礼文島を駆け巡るために自分の体力を増強しようという目標を立てて、そうしてスポーツジムへ通ったその「執念」というものが、今はすごくなつかしい思い出のような気がするし、よくあれだけ通ったものだと自分でも感心しているほどだ。

 仕事を終えて、それからスポーツジムへ直行し、汗を流したあとに家に戻って夕食を作って食べて、汚れ物を洗濯して、そうしてパソコンを起動して・・・。

 疲労困憊のなかで就寝するのがいつも午前1時をかるくまわっていたし、そういった生活が2ケ月も続いたので、逆にそれが当たり前のリズムだった。

 おかげで持久力はかなりついたし、第一に睡眠時間が少なくても、生きていけるようになったことが実は大きい副産物だったのだ。

 それまでは、1日7時間くらい寝ないと翌日は抜け殻のような体調であったので、人間って、慣れが一番なのかなと。

 そんな暮らしを2ヶ月も続けたのだから、逆に「花の浮島礼文島」へ感謝しなければならないのかもしれない。

 その「礼文島モード」が功を奏したのか、8時間もの山歩きは快調そのものだったわけで、こうして、五月の心地よい風に吹かれていると、何かにトライしてみたいという気持ちがまた芽生えはじめてくるような気がする。

 去年はそういう大きな目標があったわけだから、それなりに「張り」のある夏を迎えることができたが、では、今年はどうしたらいいのだろうと、ふと考えてみた。

 でも、考えてみたところで、何も浮かばないし思いつかない。

 『そうかあ。アクアビクスを一緒に習っている60は過ぎた社長が「山登りしよう」と言っていたなあ。』

 スポーツクラブで毎週金曜日に、アクアビクスを習っている社長が大の山好きで、それも高山植物に強い関心を持っているので、いつも誘いを受けていたことを思い出した。

 彼は、目をつぶっても函館山は歩けるそうなので非常に頼もしい反面、アクアビクスを習っている理由が膝を少々痛めているためのリハビリということであることから、無理はできないようだ。

 が、プールで話を聞いている限り、函館の南西約80キロに位置する「大千軒岳(だいせんげんだけ)」という山に高山植物があるらしいので、それを観に行こうと誘いを受けた。

 たしかに高山植物に魅力を感じるものの、どうしても礼文島と比較してしまうので、幾分の欲求が足りないのかもしれない。

 花の浮島礼文島へ渡り、そうして野山を歩き、その道端で足を止めて眺める風景と可憐な花たちに微笑むことを2年も続けてきた身としては、高山植物だけでは「二つ返事」はちょっと無理のような気がする。

 こんな内容で欲求不満を気にすることは、都会に住む人たちからすれば、ほんとうに贅沢な話かもしれない。

 でも、僕としては高山植物がいたるところに顔をのぞかす礼文島の野山を歩くことが一番の望みであって、その望みがまた実現できるまでは「封印」しておくべきことなのだろうと思う。

★★★★★

 大沼国定公園近くにあるコートでのテニスを終えて、新緑の中をドライブした。

 その林道の色がこころなしか薄いと感じたが、新緑が萌えるという表現があてはまるような気持ちの良い「黄緑」の空間は、なんだか久しぶりのようなそんな感じもした。

 2年間暮らしたさいはてでは、おそらくは感じ得ないであろう新緑の淡い日差しが、ボンネットに染まるひととき。

 少し開けた窓から入り込む風は、冷たくもなく、温かくもなく、ほどよいさわやかさ。

 おぼろげではあるけど、大沼の顔「駒ケ岳」が眼前に飛び込んでくる。

 ちょっと霞みがかっているのだろう、もやっとする5月独特のその光景を感じながら、今現在置かれている僕の位置を確かめていた。

 来年の5月は・・・。

 いやいや、人間は目標を常に抱いて、そうして生きていかなければ。

 前向きに、ひたすら前向きに いっしょうけんめい生きていこう。