曲:新条ゆきの「金の星」
2月7日に緊急入院してから、もう3ヶ月が過ぎようとしている。
担当医師は「良くもなく悪くもなく」という表現を用いているが、夫婦二人そろって説明を受けた病状とその治療方針から、少しずつだが「ズレ」が生じているような気がする。
その微妙な「ズレ」を肌で敏感に感じとっている女房は、その「良くもなく悪くもなく」の意味をどうとらえているのだろう。
退院のメドもつかない、いわば「現状維持」という状態では、彼女の身体に宿る「気力」というものが少しずつ薄れていくような気がすると同時に、「動揺」という気持ちが見え隠れし始めているような気がしてならない。
『娘の卒業式には絶対に出席する。』
来年3月に、おそらく大学を卒業する娘の晴れ姿を、自分の目で見届けたいのだろう。
そのことだけが、闘病生活を続ける彼女の「こころの支え」となっているのかもしれない。
『今の状態じゃあ、飛行機にも乗れないし、電車のホームにさえたどり着けないぞ。』
外出許可が下りたときに、玄関にある4つばかりの階段を昇ることすら容易でなかったので、僕はベッドに座ってでも少しずつ少しずつ足踏みの運動をするようにと言った。
彼女のふくらはぎに手を触れると、驚くほど軟弱化しているのがわかる。
おそらく、足腰がかなり衰弱しているのだろう。そう思うと、涙が出そうになるくらい辛い気持ちになってしまう。
『でも、寝たきりだったら、なんにもできないよ。』
と、開き直る彼女に、返す言葉が見当たらない。
『起き上がれるようになったら、病棟を歩行する訓練をしなきゃ、卒業式は無理だよ。』
こころを鬼にして僕は、彼女を叱咤激励する。
彼女に目標を持たせることがきっと今は大切なことに違いないはずだ。
平穏な日々を送っているかのような入院生活も、実は体力の衰弱化が比例してきていることは言うまでもなく、そのことを認識のみで済ますのか、それともその認識から前向きに足腰のリハビリに取り組んでいくのかで、これからの自分のモチベーションというものが変わっていくのではないだろうか。
でも、残念ながら今の彼女の状況を最大限のプラスをもって見たとしても、担当医師からの許可がとても下りるはずもない。
まして、飛行機への搭乗すらも航空会社が拒否するに違いない。
仮に卒業式へ出席できたとしても、一番の懸念材料は、相模原から戻ることができなくなることだろう。
そうやっていろんなことを考えると、あとからあとからそういった問題が発生してくるので、そんな自分の考え方がすごくいやになってしまう。
とにかく、今は「現状維持」であろうがなんであろうが卒業式にちゃんと出席できるように、足腰のリハビリに取り組ませていくしかない。
それが、今の彼女ができる「明日への想い」の具体的行動なのだと想う。
3ケ月が経過して、ひとまわり小さくなったような気がする彼女をいたわることも必要なのかもしれないが、娘の卒業式出席という大きな目標へ、少しずつ、少しずつ近づくことができるように、サポートしていくことが彼女のためなのかもしれない。
だから、お母さん、がんばってね。