担当医師から、入院中の女房に外泊許可が下りた。
ただし、注射による投薬があるため、午後8時から9時のあいだに一度病院へ戻るという条件で。
『はしゃぎすぎて、このまえみたいに熱が出ないようにしないとね。』
初めて外出許可が下りたとき、原因不明の熱が出てしまい、その望みがかなわなかったことがあった。
『大丈夫よ、きっと。やっと、自分んちで、ゆっくりお風呂に入れる。』
『良かったね。それと、姉の美容室でシャンプーとカットをやってもらおうか。』
美容師である僕の姉が、市内で美容室を経営しているので、それは容易である。
『熱が出て、行けなくなったらこまるから、電話はその日でいいよ。』
よっぽど、前回の熱のことがひっかかっているようだった。
『それはそうだね。そうしよう。』
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その日は、それまでの春を感じさせるようなポカポカ陽気と違い、冬が戻ってきたような冷たい風が吹く土曜の午後だった。
カゼをひいたら大変と、女房は冬型ファッションに身をつつんだ。
マスク、手袋、セーターのうえにフード付きのフリースジャケット、スパッツのうえにジーンズという「南極観測隊」のような感じだった。
お昼寝をしたいというので、まっすぐ家へ向かった。
家に着いてから、テレビが見える畳の間にふとんを敷いた。
寒暖計を見ると22℃を指していたが『寒い』と言うので、ガスストーブの温度設定を22℃にした。
病室の寒暖計をいつか見たことがあったが、27℃はあったように記憶する。
その温かい病室に慣れてしまったのだろうか、僕にとっては22℃という室温すら温かいと思えるわけだが、カゼをひかれてはまずいので、『寒い』という言葉に従った。
室内のあと片付けをしていると汗ばんできたので、僕はTシャツ姿となった。
ふと見ると、彼女はいつのまにか眠りについていた。
それは、昔も今も変わらない、優しい寝顔だった。
僕は、彼女が眠りについている間、テレビのボリュームを小さくして、コンサドーレ札幌の試合に見入っていた。
『病院だとさあ、看護婦さんの走る足音や病室内のいびきや寝言など、いろんな雑音が聞こえてくるから、夜でも眠れないことがあるんだよね。だから、家にもどってくると、そういう独特の音が聞こえてこないから、ぐっすり眠ることができる。』
『今から眠ってばかりいると、夜に寝られなくなるよ。』
コンサドーレが勝利したころに、彼女は眠りから覚め、そして、僕にそう言った。
35歳のときに僕は、運動中に右アキレス腱を断裂して、救急車で指定病院へ運ばれて、1ヶ月半くらい入院したことがあったが、抜糸後のリハビリで体力を使ったので、夜はぐっすり眠ることができた経験がある。
だが、彼女の場合は、運動らしい運動はできないので、日中はただ眠るかテレビを見るかそれとも病室内の「戦友」と談話するしかない。
当然のごとく、そういう状況下では夜に眠ることはできないだろうし、加えてそういった雑音があるのであれば熟睡することはなおさら困難なのだろう。
彼女の言っていることに一理あるような気がした。
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晩ごはんは彼女のリクエストで、「せいきょう」の惣菜と「サザエ」のイクラ醤油おむすびを買いに出かけた。
冬のような寒さだったので、もちろん、僕一人で外出した。
その間、彼女は両親や親戚へ電話していたようだった。
「出来合い」の夕食を済ませ、バラエティ番組を観ることにした。
8時を回ったので、いったん病院へ戻り、ナースステーションで注射を打ち、その足で家へUターンした。
引続きバラエティ番組を観た。
『病院の消灯が9時だし、やっぱりこのくらい大きい画面でないとテレビは迫力ないよね。』
常用水となってしまった「ボルビック」の500ミリリットルのペットボトルを口にしながら、こたつに丸まった姿の彼女がつぶやいた。
テレビからの音以外は、静かな空間が続いた。
12時に寝た。
こうして、二人で眠るのは正月以来だった。
『眠れるかい?』
『うん。テレビ観てたから、眠れそう。』
室内灯の豆電球がついていて、その下で手を握り合いながら、そして眠った。
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外泊は2週目の土日も許可された。
病院食で絶対に出ることのないおかずや味噌汁を僕が作り、女房はそれを『おいしい』
と言って食べた。
ゴールデンウィークは、3泊4日も可能だという。
ただし、夜の注射は必要となるので、遠出は無理なのだが。
温泉に入れてあげたいと思っているので、銭湯は無理だろうから、家族風呂にでもつれていこうかと思っている。
そうそう、五稜郭公園のサクラ見物にもつれていってあげたいけど、今の状態じゃ、歩くのがちょっと「しんどい」かな。
曲:新条ゆきの「金の星」