宇宙の法則
ひとりおもふ
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 彼女はその曲のサビがどうしても歌えず、デビューアルバムのレコーディングは中断されたままだった。 落ち込む毎日が続いた。

 恋愛経験のなかった彼女が、密かに想いを寄せているバックバンドでキーボードを担当するその彼が見かねて、ある日、ピアノの上に花を飾った。

 いつものように肩を落としてレコーディングルームへ入室した彼女は、ピアノの上に飾られたその花に驚き、それは想いを寄せる彼からの配慮だと知って感激し、彼への想いをこめてその曲を素直に歌うことができた。

 少女から大人へと変わっていく乙女の情感を見事に表現した曲として、今もファンの間では代表作として語り継がれている。

 彼女は「荒井(松任谷)由実」、彼は「松任谷正隆」、曲名は「雨の街を」。
 その後、二人が結婚したことは言うまでもない。

 よく「親に似て」という言葉が使われることがある。

 眼の二重はお父さん似、歯並びが良いのはお母さん似とか、子供のパーツや性格を語るときによく引合いに出される言葉であるが、子供にとっては非常に迷惑このうえないものと同情する。

 子供は親を選べないので、似ているのは至極当然のことであり、似ていなければ両親を飛び越えておじいちゃんやおばあちゃんに似ていると片付けられるか、あるいは「お前は橋のたもとで拾ったんだよ。」「一体、誰に似たんだろうね。」と、強烈なフレーズの嵐が巻き起こるのがオチ。

 子供にとっては、このうえない屈辱であり、心のなかでは、「生まれたくて生まれたんじゃない!」「A君の家に生まれれば良かった。」などと思うのだが、まさに、じっと我慢の子になりきらなければならない経済的事情がそこに存在するので、人生においての「耐える」ということを覚える機会であると気持ちをすり替えるほかない。

 親が成し得なかったことを子供に託すということをよく聞く。

 親戚に野球が好きで好きでたまらないという父親がいて、自分も現役時代には名ショートとして活躍したこともあってか、言わば「野球バカ」なのだが、待望の男の子が生まれると、幼稚園のころから野球の英才教育をした。俗に言う「父子鷹」である。

 その子は、甲子園へは出場できなかったものの、現在、某市役所の野球選手として活躍しているが、本当に野球が好きでやっているのだろうかと、いっぺん聞いてみたい。

 中学生まではピアノも習い、発表会にも出ていたので、本音としては、彼は本当は音楽方面へ進みたかったのでは・・・と、親戚の一人として思っている。

 また、子供の将来のことを想い、英語で苦労しないようにと小学生のときから英語塾へ通わせるとか、そういう親もいるようである。

 たしかにそれはそれで良いのかもしれないが、それよりは日本語を覚えさせることがまず先決ではないのかと思う。

 仮に英語を覚えても、日本語や日本の習慣、日本の歴史をマスターしていないと変な和訳になってしまったり、外国人から日本について質問されて回答できなければ、それこそ受験用英語でしかならないと考えるのだが、親はそのつもりで通わせているのだろうと個人的には悲観的に推測している。

 子供へのおしつけは親のエゴそのものであり、子供には「自分のことは自分で考えて自分の人生を歩んでもらいたい、そのためのあらゆるサポートは我々がしよう。」と思う親は一体どのくらいいるのだろうか。

 そのためには、例えば、子供が壁にぶちあたったときとか、自分で決められないとか、そういう「青春の蹉跌」状態になったときに、良き相談相手として親が適切なアドバイスをしてあげられるような「ともだち関係」を構築しておくことも親の務めだと私も女房も思っているので、そういう背景から我が家では、家族での普段からの会話の時間を大切にしている。

 時には、子供から「お父さん、何やってんの、全く、子供なんだから。」とか、女房が友人と長電話をしていると、「ほんと、主婦は長電話でこまるよね。『何か急用の電話がかかってきたらどうすんだ!』って怒るお父さんの気持ち、よ〜くわかるよ。」とか、家族の一員であることを明確にさせる会話が飛び交う。

 子供の視線に合わすことも必要だと、私はいつもそう思って実践している。

 最近では、我が青春時代のサザンオールスターズのデビュー曲「勝手にシンドバッド」が再びヒットしているが、その演奏ビデオがテレビ番組で紹介され、それを家族3人で見る機会があった。

 娘「へ〜え、みんな若いねえ、ジョギング姿で。」

 父「二十二、三歳くらいのときだなあ。ヒットしたもんなあ。」

 母「お父さんの得意分野だからね。サザンとかユーミンは。」

 父「クワタは、同じ年だからなあ。親しみがあるよ。」

 娘「誰も信じてくれないよ、同じ年だなんて。」

 父「でも、サザンで日本の音楽が変わったんだよ。ミスチルとか、みんな影響受けてんだよ。実際、サザンはエリック・クラプトンとかCCRとかの影響を受けてんだけど、CCRっていうのは・・・。」

 母「わかったから、黙って聴こうよ。」

 娘「そうだよ。黙って聴こう。」

 父「・・・。」

 さて、セブンティーンになった娘がある日、「お父さん、ユーミンのファンだったんだって? どういう曲が良かったの?」とまちがって尋ねてきたら・・・。

 そういうことが一生来ないかもしれないが、そのときをただひたすら待っている。そのときは、
 「ユーミンはオレの青春だよ。そうだなあ、全部いいけど、しいて言えば・・・『雨の街を』とアルバム『十四番目の月』かなあ。」
と答えることにしている。

 私が押し付けなくても、娘もユーミンの良さをわかるときがきっとくると信じている。

 娘の歌の好みは、今のところ、誰が見ても、演歌好きの母親よりも、オールラウンドの父親に似ている。

 これは絶対間違いない事実なので、ユーミンのことを聞きにくる確率は高いと勝手に思い込んでいる。

 故に、ひたすら待とう。

 『宇宙の法則』を、私は信じている。