ひとりおもふ
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シルエット・ロマンス
 朝、6時10分にセットした目覚まし時計のベルが鳴りひびく。

 一回目が鳴って、5分後に二回目が鳴って、また5分後に三回目が鳴って、そして、ようやく起きはじめる。

 ベランダのカーテンを開けると、鉛色の2月の冬空が今日の行き先を暗示する。

 あの日を境にして、今までと違うことは、目覚まし時計を6時40分から30分早めただけのことなのだが、ここから微妙な変化が生じている。

 歯磨き、洗顔、髭剃りのあと、朝食のトーストと牛乳をクチにするところまでは今までどおりなのだが、あの日以来、次のことが新たに加わった。

 室内に干していた女房の洗濯ものを降ろしてたたむ。
 その洗濯ものを紙バッグに収納する。
 保温型の水筒に氷とお茶を入れる。

 あの日、つまり2月7日に女房が入院してから、これらが朝の日課として加わった。

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 2月7日、相模原に住む女房が緊急入院のため、函館へ戻ってきた。

 相模原の総合病院で精密検査を受けた結果、「要入院治療」とされ、相模原で入院するか、それとも函館で入院するかの選択を促された。

 娘の中学・高校時代に、「母と子の会」というPTAのような組織で友人となった母親のご主人が医師であったことから、そのご主人が勤める函館の総合病院へ「伝(つて)」でお世話になることとなった。

 羽田発、午後4時30分函館着の航空機で到着した女房は、衣類などの荷物を置くために、いったん家へ立寄り、そして、午後6時過ぎにその病院へ入院した。

 入院したその日から、僕の暮らしは病院主体となり、大きく変化した。

 その夜、帰宅すると、なんだか夢を見ているような錯覚に陥った。

 それもそのはず。

 僕が帰宅しても、女房が置いていった黒い大きなスーツケース1個が、北側の部屋に放置されている以外は、家の中は何ひとつ変わっていない。

 要するに、相模原に住んでいた女房が、わずか2キロ離れた函館の病院に入院したという事実があっても、住んでいる家のこの空間に変化は全くないのだ。

 ただ、親戚や知人から安否を気遣う電話の着信音が毎晩のように鳴り響くのには、正直言って疲労を感じているのだが。

 女房の洗濯ものを干し終えてから、遅い夕食をとりながらテレビを眺めていても、ただ画像が流れているだけであって、真剣に見入るような気持ちにはなれない。

 『検査をして、そして手術して、自宅療養になるのはいつごろになるのだろうか、それとも・・・。』

 そういう不安な想いが脳裏を交差していく日々が続く。

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 入院してから3週目に入ったころ、治療薬の影響で女房の食欲が極端に落ちた。

 そして、トイレへ行く途中の廊下で意識を失って倒れた。

 それから数日間は、トイレへは看護師が押す車椅子利用となった。

 この車椅子を使うということが、彼女に精神的ダメージを与え、食欲不振に一層の拍車をかけたようだ。

 担当医師は、入院してから3週目くらいになると入院したころから張り詰めていたものがだんだんと欠如していく時期なので、これも食欲不振の要因のひとつとして加える旨の説明をした。

 車椅子姿の彼女の背中を見るたびに、不透明な今後に対する不安感が増す。

 でも、僕以上に当事者である彼女のほうが、その不安感は強いのだと思うと、彼女の前だけでもしっかりしなければと、考えるようになった。

 きっと、彼女のほうはもっと辛いに違いない。

 そのことが、いつの間にか僕にとっては一種の宗教的なもののように思えてきた。

 もしかして、それは今の僕を支えてくれる信念というものなのかもしれない。

 そう考えると、気持ちが随分と楽になるように思えてくるから不思議だ。

 今まで苦労をかけていた分、入院生活を送ることによって少しでもその間は骨休めしてほしい。

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 相模原から見舞いにきていた娘が帰るころには、治療薬が効いてきたのだろうか、今までの症状が嘘のように食欲は出てきたし、車椅子なしでも歩けるようになっていた。

 食欲が出てくると、体力も回復してくる。

 担当医師は、手術に向けて体力をつけるため、おなか一杯になるくらい食べなさいと女房を指導したそうだ。

 やれ、たまごかけご飯が食べたいとか、やれ、かんぴょう巻きが食べたいとか、そして、プチトマトが食べたいとか、あげくの果ては、ご飯のおかずが足りないからスーパーで買ってきてくれとか、その食欲旺盛ぶりは、先週と違い「天と地」だった。

 テレビだけではたいくつだというので、入院当初のころは、僕のミュージックプレイヤーを聴かせていたが、わがままさが発展して、DVDが観たいと言い出してきた。

 仕方がないので、携帯型のDVDプレイヤーをヤマダ電機で購入した。

 操作方法も簡単なので、昼間のたいくつな時間に、録画したキムタクのテレビドラマを観るのも日課となったようだ。

 光と影があるのであれば、今は光の時期なのだろう。

 来週は、手術に向けて、やや強めの薬で治療することになると担当医師が話した。

 寒い冬の季節も終わりかけ、函館のマチは、日に日に暖かくなりつつある。

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 『さっきまで、ご主人の話をしていたんですよ。素敵なご主人だねって。』

 『毎日、毎日、朝と晩に顔を出しにきてくれるから、奥さんも日増しに快方に向かっているんですよ。』

 同じ病室のおばさんたちがそう話すのを、僕は照れながら聴いていた。

 入院している人たちの心境には、おそらくは悲観的なことが常に先行していると思う。

だから、それを少しでもやわらげようとして、「前向き」と「いたわり」や「はげまし」、そして「やさしさ」の言葉が室内に飛び交うのであろう。

忘れかけた日本人の思いやりがここにはある。

春はもうすぐそこまで来ている。

手術を終えたら、五稜郭公園のサクラを女房と観に行こう。

僕はそう思って、春がくるのを待っている。








曲:新条ゆきの「金の星」