ひとりおもふ
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シルエット・ロマンス

 人生のなかで、『もう二度と眺めることはないだろう。』と、思った風景は数知れない。

 それが九州や外国など遠距離である場合はなおさらであり、もし、その風景に再会することがあるとしたら、それは奇跡に近いことだと思っている。

 だから、人にしろ、風景にしろ、決して刹那主義者ではないが、僕はその出会いを大切にしようと、悔いのない行動をとるようこころがけている。

 いつも、その出会いのあとに、『あのとき、こうすれば良かった。』、『あの風景をカメラに収めておけば良かった。』と、後悔することが多かった僕の人生。

それを悔い改めようと、外出のときはいつもデジカメをぶらさげるようになり、その結果、後悔という言葉は確実に姿を消しつつある、という状況となっている。

 あのとき出会った青い空と白い雲、そして碧い海とを僕は、写真ではあるが、こうしていつも眺め、実際に観たときのあの感動に浸ることができる。

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 『オオワシ、来たよ!』

 稚内に住む知人から、ケータイにメールが入った。

 その電報のような短い言葉にこめられた喜びが伝わってくるから、世の中不思議だし、暖冬の昨冬にその勇姿を見ることができなかった悔しさが、なぜだかよみがえってきた。

 一昨冬の激しい雪が降る1月に見たその勇姿は、ジムトレからの帰宅路で偶然見かけ、思わずクルマから降り、その勇姿をカメラに収めることができた。

 オオワシは、稚内港では、メールをくれたその知人の仕事場のすぐ目の前で目撃することが多く、そのほかでは宗谷岬やノシャップ岬などで見ることができる。

 大空にはばたく勇姿も見たいと思うが、それも瞬間的なものであるから、確実に撮影しようと思ったら、港内の結氷上で羽を休めているときしかうまく撮影できない。

 ただ、人間がいない岬などでは望遠レンズを使用して撮影することは可能であろうが、そのためには防寒衣を着込んだ完全装備のかたちで、ひたすらじっと待つしかない。

 僕はそこまでして撮影する気もないから、ほとんど偶然を期待する。

 メールをくれた知人に、

 「オオワシが見たい。」

と、返信したが、彼女、ちゃんとデジカメに収めてくれただろうか。

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 僕がデジカメで風景などを撮影し始めたのは、今から6年くらい前の2002年ころ。

 ちょうど、インターネットの掲示板に参加するようになったのがきっかけで、デジカメを購入した。

それ以後に出会った風景は、ディスク化してちゃんと「保存」しているし、また、それ以前のものは、アナログでアルバム整理しているが、デジカメほどの枚数ではないし、ディスク化もしていない。

 それらアナログの風景は、僕の脳裏におぼろげながら残っているだけなので、もう一度会いに行って、しっかりとデジカメで撮影し、ディスクに残しておきたいと思う反面、あのときの風景のままで封印したほうがいいと、記憶の隅に残しておくべきだと、そう思うこともある。

 初めて出会ったときの、あの感動した風景のイメージをそのまま記憶にとどめておいたほうがいいと、僕としては、むしろそういう気持ちのほうが強い。

 また、これは誰も同じ思いであろうが、それよりもっとほかの感動しそうな新たな風景にめぐり会いたいという願望もある。

 今の世の中便利になったものだと、常日頃話すことが多いが、インターネットの普及は確かにすごいと思う。

 いろんな人たちが開設するホームページやブログなどで紹介されている風景写真を眺めていると、この風景を実際にこの目で確かめてみたいという欲求にかられることが多い。

 また、昔からあこがれている風景もこの目で確かめてみたい。

 特に、秋田以南の日本海側を旅したことがないから、下関までの海岸線をゆっくりと時間をかけてドライブしてみたいという願望がある。

 村上、柏崎、直江津、能登半島、金沢、舞鶴、天の橋立、城崎、宍道湖、出雲・・・。

 まだ一度も出会ったことのない、すばらしい風景と、古くからそこに住む人たちとの会話が楽しみだ。

 日本が失いかけている「温もり」と出会うため、ゆっくりと旅してみたい。