ひとりおもふ
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シルエット・ロマンス

 童謡「赤い靴」と言えば、まず、「横浜」という言葉を連想する。

 それは、「赤い靴」の歌詞にもあるとおり、「横浜の埠頭(はとば)から船に乗って、異人さんに連れられていっちゃった」ということからくる。

 この童謡が実話を基にして、「シャボン玉」「七つの子」などで有名なあの野口雨情が作詞したことは周知のとおりである。

 野口雨情は、「赤い靴」のモデルとなったこの話を、当時在住していた札幌で、知人の鈴木志郎の妻である「かよ」から聞かされたという。

 そのとき、彼は誕生したばかりの長女「みどり」を7日目で亡くすという失意のどん底にあったと言われており、そのとき作ったのが「シャボン玉」であった。

 誕生したばかりの赤ん坊が亡くなったことをこのシャボン玉にたとえたので、その歌詞を聴いていると、よく理解できるし、理解すると、この童謡は実は悲しい歌なんだなということもわかってくる。

  シャボン玉とんだ 飛ばずに消えた

  生まれてすぐに  こわれて消えた

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 「赤い靴」のモデル岩崎きみは、1902年に、静岡県清水市で生まれた。

 母親は岩崎かよと言い、きみにしてみれば「未婚の母」であった。

きみが3歳のときに、母親かよと2人で北海道へ渡ることになる。

 目的地は、道央の羊蹄山の麓に広がる留寿都(ルスツ)の農場。

 現在、ここにはルスツ・リゾートがあり、冬はスキー場、春夏秋は遊園地として北海道では誰もが知っている有名な場所である。

 母と子が、静岡からどのような経路をたどって函館へ上陸したかは不明であるが、今と違ってかなりの旅行日数を費やしたはずである。

 3歳の女の子が、当時の交通事情で北上するというのは、かなり厳しいものだったにちがいなく、案の定、函館に上陸したときは、体力がかなり衰弱していたらしい。

 娘の衰弱した姿を見た母親は、きみを留寿都まで同行させることを断念し、函館の教会に奉仕していたアメリカ人宣教師ヒュエット氏へ託すこととした。

 が、一説には、留寿都での農場生活があまりにも過酷であったため、「食いぶち」を減らすために、ヒュエット氏へあずけたという話もある。

 その後、母親かよは、留寿都に到着しその農場で働くが、鈴木志郎という男性と結婚したのもつかの間、農場がうまく行かずに札幌へ居を移すこととなる。

 鈴木志郎は、新聞社へ勤めることとなり、その新聞社で知り合った野口雨情と懇意になる。

 鈴木志郎の妻であり岩崎きみの母親であるかよは、函館でアメリカ人宣教師へ養女として託した娘きみのことを野口雨情へ語ることとなったのは前述のとおりである。

 きみの母親かよは、きみがヒュエット夫妻の養女となり、函館から横浜へ行き、そうしてアメリカへ渡ってしあわせに暮らしていると思い込んでいたのであろう。

 ところが、きみは函館から横浜へ移ったときに、結核に侵されていたため、夫妻はアメリカへ連れていくことを断念し、東京・麻布の鳥居坂教会の孤女院へ残していったのだった。きみが6歳のときであったという。

 その後、きみはその孤女院で闘病生活を送り、9歳のとき、つまり1911年の9月15日に、ひとり寂しく天国へ旅立つことになる。

 その痛ましい事実は、1973年の北海道新聞に掲載されたが、それは北海道テレビ記者が5年もの歳月をかけて実在することを突き止めた執念でもあった。

 事実を裏付けたのは、きみの義理の妹である岡そのさんという方の証言だった。

 彼女の話によれば、

 『この唄は、貴女のお姉さんのきみのことを、野口雨情という先生が書いてくれたものなんだよ。』

と、幼いころに母親かよが言ってきかせ、その「赤い靴」を唄ってくれたそうだ。

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 童謡「赤い靴」をテーマにした像は、ゆかりの地に建てられている。

 有名なものとしては、きみが生まれた静岡県清水市の日本平山頂の「母子像」横浜・山下公園にある「赤い靴の女の子像」、そして東京・麻布十番のパティオ十番にある「きみちゃん像」。

 特に「きみちゃん像」には、世界のめぐまれない子供たちへの募金が寄せられており、ユニセフへ寄付されている。

 また、毎年チャリティが有志で開催されていて、その収益もユニセフへ寄付されているとのこと。

 そのきみちゃんが天国へ旅立ってから、100年経過する3年後の2011年の9月15日は、おそらくは全国の注目を集めることになるだろう。

 でも、やっぱりもの悲しいのは、山下公園の像だと思う。

 僕の掲示板に書き込みをしてくださる新潟・長岡市在住のえこさんは、東京へ行くと、必ずその像に会うため横浜まで足をのばすという。

 彼女のやさしさが、なんだかわかるような気がする。

渡米することもできずに、そして、しあわせになることもできなかったきみちゃんが港を見つめるまなざしって、きっと、憂いを含んだ美しさなのだろう。

今度横浜へ行く機会があれば、えこさんのように、是非、足を運んでみたい。