ひとりおもふ
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シルエット・ロマンス

 休日の朝に目覚めて、ベランダのカーテンを開けると、夏よりも少しまぶしさが薄れた秋の日差しが、僕の眠気顔を触れにきた。

 今朝までの眠りから覚めつつある両目をこすりながら、遠くに広がる津軽海峡をおぼろげに見つめる。

 晴れているときは、その水平線までがキラキラ輝いているが、そうでないときは、どんよりしたねずみ色である。

 視力が裸眼で0.1なので、めがねをかけないとはっきり見ることができないが、ぼんやりと見える海の青さに、朝から晴れた気持ちになることができる。

 夏だと、パジャマ姿のまま6階のベランダへ出て、おいしい空気を吸い込みながら、心地よい潮風に吹かれることができるが、秋の今は非現実的であり、風邪を引いてしまうにちがいない。

 穏やかな青さの水面と、その向こうにはっきりと見える青森の下北半島の山並みとが、今日の過ごし方を教えてくれるような、そんな気がする。

 日々を、決して刹那的に生きているつもりはないが、遠くに広がる海を、もっと、もっと近くで観たいという欲求にかられたら、僕はためらうことなく海へ会いにクルマを走らせるだろう。

函館というマチは三方が海で囲まれているから、極端な言い方をすれば、北の方角以外へ進んで行けば、必ず海にぶつかる。

 別に山坂があるわけでもないので、クルマでなくたって散歩がてらの距離だから、近いところでも住んでいるところからおおよそ10分で到着するだろう。

 そういう話をすると、『いいよねえ。私もそこに住んでみたい。』と、人さし指をくわえるヒトがいるにちがいない。誰とは言わないが・・・。

★★★★★

 6階のベランダへ出て、木椅子に腰掛け、心地よい潮風に吹かれながら口ずさむメロディ。

 夏の日だと、サザンの「TSUNAMI」なんだが、秋の日はやっぱりトワ・エ・モワの「誰もいない海」。

  〜 今は もう秋 だれも いない海 〜

 その秋に眺める海って、どうしてこんなにもの悲しく思えるのだろう。

 夏との出会いを清算するのが秋という季節だからなのだろうか。

 それとも単純に、寒い冬に向かっていく季節が秋だからなのだろうか。

 落葉を眺めていたら、もの悲しくなるのは当然のことだろうが、秋に海を眺めているだけで、どうしてこんなに、もの悲しくなってしまうのだろう。

 やっぱり秋という季節が、イメージ的に良くないのだろうか。

 秋は、感傷的に浸る唯一の季節だから、どうしてもセンチメンタルになってしまうにちがいない。

 きっと。

 そう考えていたら、あの海の風景を眺めてみたくなった。

 僕だけの好きな場所。

 函館から南西の方角にある松前方向へ約30キロのところにある当別というマチ。

そこには、明治時代に建立された「トラピスト男子修道院」があり、そこの小高い丘から見える、彼方の津軽海峡と緑深い針葉樹との風景に、今度、会いに行こう。

 3年ぶりとなるあの風景に、僕の身体は自然と和むことができる。

 季節が夏であれば、その草原に寝転んで眺めることができるけれど、今はちょっと無理だろう。

 それでも、あの風景と会いたい。

 いろんな海の風景が、いろんな人たちのこころに刻まれているように、僕にとっても、あそこが一番好きな海の風景なのだから。

 20歳のときから眺めているから、もう30年以上になるのか・・・。