ひとりおもふ
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シルエット・ロマンス

 江戸時代の末期、アメリカ海軍のペリー提督率いる黒船艦隊がやってきて、日米和親条約が締結され、箱館(現「函館」)がアメリカとの貿易港として開港することとなった。

 このため、ペリー提督は、さっそく「箱館」へ航行する旨幕府側へ伝えた。
 
そのとき、幕府側の通訳が「はこだて」を地元の訛った発音のまま『HAKODADI』と伝えたため、ペリー提督をはじめとする黒船乗組員も、それ以降、全員「はこだでぃ」と訛ってしまったそうだ。

 このことは、ペリー提督の「日本遠征記」に、『HAKODADI』と記載されていることからも理解できる実話である。

また、もっとすごいことに、黒船艦隊が深浅測量により製作した箱館湾の海図の、そのタイトルにも『HAKODADI』と表記されている。

 このことは、市立函館図書館所蔵の「日本遠征記 第三巻の巻末」に見事に掲載されている。

 ペリー提督は、日本での用務を終えて本国アメリカへ戻ってからも、『HAKODADI』と訛っていたとのこと。

 ということは、アメリカでも『HAKODADI』で、とおっていたのだろう。

さらに、「ブラキストン・ライン」でおなじみのイギリス商人トーマス・ブラキストンまでもが、「はこだでぃ」と訛って発音していたとのことである。

 今思えば、大声で笑えない逸話であるが、日本の歴史を変えたペリー提督が「はこだでぃ」と平気で話していたことを想像すれば、思わず吹きだしそうになってしまう。

 その「箱館」が「函館」へ、明治初期に呼称変更するのだが、その変更した理由がいまだに謎ということである。

 当時は、「蝦夷(えぞ)」が「北海道」へ、「江戸」が「東京」へと呼称変更された時代なので、何の不思議も感じないようだが、函館人の僕からすれば、何故「箱」を「函」にしなければならなかったのか、今も疑問が残っている。

 おそらくは、江戸時代の一掃なのかもしれない、と僕は思う。

 というのも、「江戸」は「江戸時代」、「蝦夷」は榎本武揚率いる幕府軍が五稜郭を占領して樹立した「蝦夷共和国」、「箱館」は「箱館奉行所」と、それぞれ新政府のイメージにマイナスな要素の呼称であると判断した結果なのだろうか。

 郷土の歴史研究家ですら解明できないこの問題は、永遠の謎として、すでに140年になろうとしている。

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 『あんた、函館のひとでしょ。』

 今はあまり言われないが、苫小牧に住んでいた若いころによく言われた記憶がある。

 函館弁は「浜言葉」なので、独特の言い回しやアクセントがあり、北海道でも「異色キャラ」的存在だと思う。

 良く言えば「浜言葉」、悪く言えば「はこだて訛り」。

 訛りもあるし、アクセントも全然違うので、札幌を中心とした品の良い北海道人からすれば、できれば切り離したいといった欲求にかられる「盲腸」のようにも見えてくる。

 函館は、地形的に青森や秋田に近い位置にあるので、そこからの移住者が多いためということも要素としてあるのかもしれないが、それにしても標準語に近い「北海道弁」からすれば、ものすごく濁った「ズーズー弁」なのである。

 なるほど、そう考えれば、清々しくてさわやかなイメージの北海道にはふさわしくないのかもしれない。

 北海道で一番先に開けたのは、函館よりもっと南西に位置する「松前町」であり、これは古くは室町時代から歴史ある豪族が江戸時代に「松前藩」を名乗ることになる。

函館は、淡路島出身の豪商「高田屋嘉兵衛」が本格的に造ったマチであり、それまでは地元の豪族で、「箱館」という名前の基となった河野一族とアイヌが住んでいただけの小さなマチであり、「ウスケシ(宇須岸)」と呼ばれていた。

 1800年代初頭に、高田屋嘉兵衛が「北前船」航路の基点として「はこだでぃ」のマチづくりに着手することになるのだが、司馬遼太郎の「菜の花の沖」では、移住者のなかには、秋田・土崎港から船大工もいたと記述されており、これが「函館どっく」(造船所)の先駆者というわけである。

 また、それ以降、新天地を求めて日本全国から移住した人たち、明治初期からのニシン漁で北上してきた人たち、一攫千金を狙った次男坊たち、などなどいろんな人たちが「はこだでぃ」へやってくることになる。

 函館は、昭和初期までは東京以北最大のマチであり、それが歴史的建造物の宝庫として、観光都市の「財産」となっている理由でもある。

 そんな歴史があり、北海道では古いマチである函館という地名の由来も、北海道のほとんどの地名がそうであるアイヌ語からではないことも「北海道らしくない」要件となっているのかもしれない。

 でも、なんだかんだ言ってみても、北海道では唯一歴史あるマチとして、北海道民は認知しているし、敬意を表しているはずである。

 その歴史あるマチに、どっぷり住んでいる函館人が「はこだて訛り」を駆使して会話をしているのだから、周囲からすれば複雑な思いがあるのであろう。

 一方、函館人は、そんなことを一度も思ったことがなく、常に函館が一番であるという自負を抱きながら生きているのであり、訛りなんか全然気にしていない。

 『札幌? 開拓使が勝手に造った碁盤のマチだろ。リトル東京? ったく面白みのねえマチさ。』

 ひと昔、北海道庁に勤務するお役人が語ったことがある。これが、函館人を的確にとらえている表現だろうと思う。

 『函館の人たちって、札幌の方角を全然向いていないよね。津軽海峡を隔てた本州の方ばかり見ているんだよね。オレたちは札幌(道庁)の言うことなんか聞かねえって。ほんと、わがままなんだよねえ。』

 熱く、覚めやすく、旅人にはおせっかいなほど世話を焼きたがる・・・。

そんな三拍子を兼ね備えた「はこだでぃ人」の血が、僕の体内にもドクドクと流れている。

はこだでぃ人は、みんな、ここに生まれ育ったことを誇りに思っている。

どうだ!

夜景観て感動したか!

いが、うめかったか! (イカ、おいしかったか)

温泉、なまら、いがったべ! (すごくよかったでしょ)

これがはこだでぃのマチだ!

こんなマチだけど、みんな はこだでぃさ、また来てけれや。