ひとりおもふ
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シルエット・ロマンス

 所用があって、部下の運転で市内を走行した。

 西部地区の金森倉庫群近くの交差点で、赤信号のため停止。
 停止したクルマの前の横断歩道を、観光客と思われる若いカップルが手をつないで渡った。

『今のカップルって、よく手をつないで歩いているよね。』

『手をつないで歩くのに、昔ほど違和感はないと思いますよ。』

 助手席に座る20代後半の女性部下が、そう答えた。
 彼女は、つい最近結婚したばかりの新婚さん。

 『僕も、違和感なんて全然ないと思いますよ。今は、そういう時代になったんでしょうね。』

と、運転する20代後半の男性部下も、そう答えた。
 彼も、同時期に結婚したばかりの新婚さん。

 『僕は、恥ずかしくて、とても公然と手はつなげないなあ。』

 『今度、奥様と手をつないでみたらどうですか。』

 『そうですね。お年寄りのご夫婦が手をつないで歩いているのを、ときどき見ることがありますが、全然、気になりませんよ。』

 『ペアルックを着るより、まだましか。』

 『ペアルック・・・』

 2人の部下の声が車内にハモった。

  手をつなぐほど 若くないから
  あなたの ひじのあたりを
  つまんで 歩いていたの

 ユーミンの中期の名曲「ためらい」の一節にもあるとおり、「手をつなぐ」という行為は、僕の世代では既に考えられない年代なのかもしれない。

 では、どのくらいの年代に達したとき、再び僕は女房殿と手をつなぐことに違和感を覚えなくなるのだろうか。

 そんなことを考えながら、走り出したクルマの窓から、さきほどの手をつないだカップルの姿を見つめていた。

 結婚してから、幾度の季節がめぐりめぐって、そうして過ぎていった。

 女房殿と手をつないだ記憶を、そのなかで必死にたどっていた。

 娘が生まれて、ヨチヨチ歩きのころや、幼稚園に入るころまでは娘を真ん中にして、両側から手をつないだことはあった。

 おそらくは、娘に対する愛情というものが、そのつなぎ方に表れていたのだろうと思う。

 もっと、記憶をさかのぼってみた。

 が、ほとんど記憶にない。

 ということは、恋愛時代も含めて女房殿とは手をつないだことはないのだろうか。

 いいや、そんなことを話題にするのは愚問だろう。

 『今度、手をつないでみようかな。』

でも、なかなか実行に移せないだろうな。