函館から東京へ旅立つ前に、彼女がいつもノドを鍛えていたという大森浜から、はるか津軽の海を眺めてみたくなった。
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稚内から函館にもどり、潮風が心地よい初夏の街中を、クルマで走行しながら聴くCDは、もちろん「ジュディマリ」がジャストフィットしている。
「ジュディマリ」とは、「ジュディ・アンド・マリー」という2001年に惜しまれつつ解散したグループ。
そのボーカルは、今でもソロで活躍している「YUKI」。
20代後半から30代前半の若者たちのカリスマ的存在。
そのYUKIは、函館出身。
函館生まれのオヤジの胸をキューンとさせるかわいいマスクと声質、それに見事な歌唱力。
テレビCMにもときどき出てくるが、典型的な「はこだてハイカラ娘」という雰囲気が漂っている。
彼女は、「GLAY」とほぼ同じ時期に市内のライブハウスで活動し、シンガーとしての土台を築いてから上京した。
その後、冒頭で紹介した「ジュディ・アンド・マリー」のボーカルを担当し、大ブレイク、日本の音楽史上に名を残すこととなる。
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およそ6年前の東京ドーム公演を最後に、「ジュディマリ」はその音楽活動を停止したが、FMラジオでのリクエストやカラオケでの人気は依然衰えを見せていない。
彼らが残した数多くのメロディは、ファンの胸に深く深く刻まれているのだろう。
女性ボーカルのグループは、あの「レベッカ」や「シーナ&ザ・ロケッツ」から始まって、「プリンセス・プリンセス」「TRF」「GLOBE」と星の数ほど多いが、「ジュディマリ」ほど輝きのある個性的なグループはなかったと思う。
デビューのころは、どちらかというと、YUKIのかわいさだけを全面に出したようなセールスであり、ロック系グループとしてブレイクしたその転機は「そばかす」という曲だと言われているし、この曲で彼女の歌唱方法も変化したという。
初期の代表曲は「OVER DRIVE」「小さな頃から」、中期は「クラシック」や「くじら12号」、後期は「MOTTO」「ラバーソウル」などが上げられるが、このグループを語るうえでは、やはり「OVER DRIVE」と「クラシック」が重要な曲と言えるだろう。
「OVER DRIVE」
一番ブレイクした曲で、カラオケではいまだに歌われているという永遠の名曲。曲の展開が類を見ないような個性的であり、しかも、YUKIの独特な歌唱力が如何なく発揮されていて、特にサビ以降は文句なくすばらしい。
〜走る雲のかげを飛び越えるわ 夏のひざし追いかけて〜
〜ああ、夢はいつまでも覚めない 歌うカゼのように〜
プロモーションビデオ(DVD)では、全員がヘルメットにオーバーオールといういでたちで、特にお尻をフリフリする振付けは、もう、お見事というしか例えようがない。
「クラシック」
ジュディマリの音楽を方向付けたこれも名曲。
DVDでは、真っ赤なラメのドレス姿で熱唱するYUKIが大人っぽくて非常に良い仕上がりである。映像にかなりカネをかけているような凝り具合いと表現すべきか。
〜愛しいひと ふるえる想いをのせて いつまでも夢のなかにいて〜
それまでの彼女のファッションはどちらかというと、「いいとこのお嬢さん」という感じだったが、この曲で真っ赤なドレスを着て、あたかもクラブの専属歌手というような化粧とヘアースタイルは、完全にイメチェンを意識してのことだと思った。
そして、この曲からグループは安定期に入り、「くじら12号」「散歩道」などのヒット曲を世に送りだすことになる。
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彼女がいつもノドを鍛えていたという大森浜は、函館山側から見れば右側の海岸線一帯なので、そのどこで鍛えていたのかわからない。
でも、啄木小公園の砂浜をこうしてあてもなく彷徨っていると、小柄な彼女が海に向かって大声で歌っている幻を見ることができるかもしれない。
人間は、夢とか希望とかを抱くことができる。
その夢とか希望とかは、現実的に達成可能なものとそうでないものとがあると思う。
願いが叶えられるために、神様は公平にそのチャンスを与えてくれる。
そのチャンスを自分のものにして、願いを叶えることができる人たちは幸運であろう。
だが、そのためには、人一倍の努力も必要である。
それは、例えばYUKIのように大森浜でノドを鍛えていたとか、そういう努力を神様が天から見ておられて、そうして叶えさせてくれるにちがいない。
夢や希望に向かって努力して、そうしてビッグになった彼女を、同じ函館人である僕が誇りに思って応援しているのは、だからごく当然のことなのだと思う。