ひとりおもふ
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シルエット・ロマンス

 ZARDのボーカリスト坂井泉水が亡くなった。

 朝起きて、いつものようにパジャマ姿で新聞受けから朝刊を取り出し、そして、いつものように三面記事から目をとおした。

 「坂井泉水さん、転落死」

 この活字が目に飛び込んできたとき、僕は心臓を打ち抜かれるような激しいショックを感じ、そして、絶句した。

 1990年代、当時の若者たちから圧倒的な支持を得て一世を風靡した彼女も、すでに40歳になっていて、病いを苦に発作的に入院先の病院で自殺したのではないか・・・、とのことである。

 人間は老いていくのは当然のことであって、年月の経過とともにそれなりに成人病を患うケースが増えていくのもまた当然のことである。

 私に限って例外だとか別だとかと思う気持ちは痛いほどわかるが、やはり例外ではなかったという現実を自分で受入れたときの、そのあとの行動を冷静になってとることができるかどうか。

 冷静になれない場合の発作的自殺はあり得る。

 彼女の病いが「子宮頸ガン」だったということが、後日明るみになり、病院の非常階段を踏み外し、転落したのが死の原因だったということである。

 だが、入院患者が非常階段を利用する場合って、いったいどういう場合なのか・・・。

 また、その「子宮頸ガン」という病いがどういうものなのか僕にはわからないが、将来の自分に希望が持てない状況のなかで、人間はどれだけ冷静になって考えることができるというのだろうか。

 冷静に考えたって、結論は同じだろうと思う。

 ただ、それをどうやってプラスに転化させていくかの気持ちの持ち方で、その人のこれからがわかりそうな気もする。

 プライドは、人間が生きていくうえで何のプラスにもならない。

 だから、自分が勝手に築いたそのプライドという塀を自分で壊して、ゼロになってこれからを考えていくしかない。

 そういうことが、はたしてできるかどうか。

★★★★★

 彼女は、人前で歌うことがほとんどなく、いわば秘密のベールに包まれたままだったので、リスナーはプロモーションビデオやCDジャケット等でしか彼女の容姿を知る機会がなかった。

 その絶大な人気にかげりが出はじめてきたころに、人数限定の船上ライブを行ったことがあるが、人前にその容姿を現して、そして歌うのはおそらくはじめてではなかったろうか。

 いつまでも、その年齢が停止したような感覚に陥っているリスナーにしてみれば、20代後半の容姿が坂井泉水であり、40歳の自殺した坂井泉水は他人であると思いたいにちがいない。

 40歳の坂井泉水はいらない。

ZARDのリスナーは、20代後半のみずみずしく映し出されたあの長い髪をうしろに束ねたきれいな顔立ちと、そしてジーンズ姿が良く似合うスリムなスタイルをもつ坂井泉水しかイメージにない。

 と思うと、なんだか、すごく悔しくなってきてしまうし、とにかく残念で残念でしようがない。

 「永遠」という曲の歌詞をかみしめながら、僕はその夜、大切にしまっていたワインを空けた。