ひとりおもふ
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 「花の浮島病」が再発したのは、ゴールデンウィーク明けのことだった。

 稚内市役所の知人から宗谷管内のパンフレットをドサッといただき、そのなかの、「礼文島」という文字がひときわ大きく目立つパンフレットを目にしたとき、僕の脳裏を島の雄大な風景と可憐な花たちとがグルグルと総天然色でかけめぐった。

 『今年は暖冬だったから、花が咲くのは早いよ。アツモリソウは、5月下旬が見どころかもしれないね。』

と、顔見知りであるフェリー会社の支店長が教えてくださった。

 その言葉を耳にして、僕は鼻血が出そうになるくらいアタマがクラクラした。

〜 「花の浮島・礼文島」へ 〜

 それからというもの、僕のジムトレは、一気に花の浮島散策路を想定したアップダウン・モードへメニュー変更となった。

 ペース配分も考えずに無我夢中でかけめぐった昨年を反省して、イメージトレーニングをこころがけた。あそこに登りがあって、あそこで少し休んで写真を撮って・・・というぐあいに。

 もちろん、宝塚音楽学校のように、「清く正しく美しく」をモットーに、ネオン街などの「俗悪世間」にはわき目もふらない生活にもこころがけた。

 Xデーは、6月2日の土曜日と決めた・・・が。

 『その日はさあ、「最北フラワーマラソン」と「礼文花まつり」があるから、島は大混雑になるかもしれないよ。』

と、市役所の知人。

 天気予報では、週末は良い天気に恵まれるという。

迷いに迷った末、一日早い6月1日にした。

 が、その決断もかすんでしまうほどのカーペットフロアで脚も伸ばせない大混雑の、稚内発午前6時20分の礼文島・香深行きのフェリー。

 たまたま隣り合わせた60代から70代の「昔美女群」と会話がはずむ。

 『へえ〜、伊丹からですか。それじゃあ、関西のおかんですね。』

 花の浮島へは初めてで、一度来てみたかったという。

 どうやら北海道好きで、美瑛・富良野に小樽、函館へ何度も足を運んだというし、利尻・礼文島の次は、冬の旭山動物園を計画しているという。

 話題が阪神タイガースにまで及んだ楽しい1時間55分の船旅だった。

★★★★★

 フェリーが超満員だった反動で下船が遅くなり、「知床」行きのバスに乗り遅れた。

 仕方ないのでタクシーに乗った。

 『桃岩は花がきれいに咲いているけど、礼文林道はこれからだねえ。』

 『アツモリソウは、日曜に霜が降りたんで、茶色に変色して枯れちゃったよ。後咲きは今咲きはじめたけど、小ぶりだねえ。今年は不作だね。』

 気さくで話好きな運転手さんは、たどりつくまで一方的に話していた。

 その情報で、今回は元地灯台から桃岩展望台までを時間をかけてゆっくり歩こうと決める。

★★★★★

 僕が乗り遅れたバスに乗り込んだであろう10名ほどのパーティがガイドに引率されて、50メートル前を歩いていた。

 時計はまだ午前8時30分を過ぎたところで、お天気は良いものの、利尻富士は「もや」につつまれていた。

 心地良い風に運ばれた小鳥のさえずりが聴こえてくる。

 ジャンパーを脱いで、パーカ1枚になり、重装備のリュックを背負って歩きだす。

 首からケータイとデジカメと8ミリビデオカメラをぶらさげるが、これが妙に重たい。

 年代物の8ミリは、娘の高校卒業式以来の2年ぶりかあ、と思い出す。

 平坦だけど、だらだらした登りがつづく。

 道端には、エゾノキンポウゲやハクサンチドリ、それにおなじみのタンポポが咲き乱れていた。

 20分くらい登っただろうか、元地灯台がはるか向こうに見えてきた。

 前を行くパーティが幹線から左へ外れた。

 その延長線上に、白い花が咲き乱れている丘が見えた。

 何の花かと気になって、それで僕も左へ外れた。

 さすがはガイドだった。

 その白い花の群生に近づいていくと、それが「エゾノハクサンイチゲ」であることがわかったし、ガイドが「レブンコザクラ」や「サクラソウモドキ」の言葉を発しているのが聞こえた。

 パーティが去ったあとにその場所へ近づいてみると、「サクラソウモドキ」が可憐に咲いていた。

 意味もなく、僕は郷ひろみの「哀愁のカサブランカ」を口ずさんでいた。

 
『抱きしめると いつも きみは〜♪』

 さらにもう少し登ってみると、そこは断崖絶壁で、眼下に青い海がどこまでも続いていた。

 幹線にもどって、元地灯台を目指すことにした。

 分岐点で、20代後半の女性二人組とすれ違う。

 『サクラソウモドキがきれいに咲いていましたよ。』
 『そうですか、ありがとうございます。』

 傾斜が急になってきて、一歩一歩がスローモーションのようになっていく。

 元地灯台にたどり着き、リュックをおろして小休止する。

 穏やかな陽ざしを浴びながら、絶景の青い海がどこまでも広がり、右手に元地海岸が延びている風景を堪能する。

 汗ばんだパーカを乾かしてくれる、6月の清々しい風たち。

 礼文島でなければ味わえない、何十倍の癒しがここにある。

★★★★★

 尾根づたいの、片方を柵囲いされた小道をしばらく進むと、展望台があった。

 ここから「桃岩」と「猫岩」が見渡せるし、元地海岸のユースホステルや民宿などが航空写真のように小さく見えた。

  昨年は、この眼下の散策路平地まで足を延ばした。
 
この平地には、礼文の女王「クロユリ」が群生している。
 でも、今年は早いので、おそらく再会することは無理だろうとあきらめていた。

 下りの途中で、50代と20代の母娘とすれ違う。
 母親は、かなり疲労しているようだった。

 『もうすこしで、登りは終わりますよ。あとは下りるだけですから。』
 『そうなんですか、元気がつきました。ありがとうございます。』

 人に希望を与えることはいいことなのだと思った瞬間だった。

 1年ぶりに、クロユリが群生する場所に到着する。
 でも、そのクロユリは、まだつぼみ状態であった。

 写真撮影していると、20前後の女性から声をかけられた。

 『その先にクロユリが半分開いていましたよ。』
 『ええっ、ありがとう。じゃあ、情報交換で、灯台から下りた右手にサクラソウモドキが咲いていましたよ。』
 『楽しみです。ありがとうございます。』

 微笑んだノーメイクの日焼けした表情に、ああ、この女性は花が大好きなんだなあと、即座にそう思った。

 クロユリを眺めては写真に収め、リュックをおろしてひと息つけた。
 すると、さきほどの20代後半の女性二人組が追いついてきた。

 『さきほどはありがとうございます。サクラソウモドキ、きれいやったわ。』
 『大阪からいらしたんですか。』
 『なんで、わかります。』
 『アクセントが違いますよ。ネットでお友だちになった大阪の女性と同じアクセントですよ。』

 聞けば、今週の日曜に千歳空港へ降りて、そのまま稚内へ北上してきたという。今日は礼文泊まりで、明日は利尻と長丁場の旅行日程である。

 片方の女性は、つい2週間前にも函館へ行ったそうで、五稜郭公園のサクラを堪能したと言うので、今度は「藤棚」と「つつじの壁」を観るようにすすめた。大の北海道好きらしい。

 そういうたわいもない話をして、休憩した後、僕はまたクロユリを眺めるため、彼女らよりも先に出発したが、クロユリを撮影している間に追い抜かれた。

 「桃岩展望台」まで登り道となるが、昨年往復しているのでおおよその見当がつくので精神的に楽だった。

 だから、デジカメで風景を撮影し、歩きながら8ミリビデオを回すといった動作にも余裕があった。

 「花の浮島礼文島」には、島を南北に縦断する「8時間コース」と、「レブンウスユキソウ」が咲き乱れる「礼文林道コース」と、それに「桃岩展望台」から「知床」までの「元地灯台コース」の3本がある。

 そのどれもがすばらしいコースには間違いないが、多種の花にご対面したいのであれば一番最後の「元地灯台コース」がお勧めだと僕は思う。

 「桃岩展望台」は、観光バス利用のたくさんの観光客であふれていたし、大阪二人組もベンチに腰掛けて、はっきりと見える利尻富士を眺めながら疲れを癒していた。

 僕は、この展望台でもうボロボロ状態だった昨年の悪夢を回想していた。

 昼食用のビスケットを口にして、水分補給を行い、10分くらい心地良い風に吹かれて休んだ。時計は12時15分を指していた。

 大阪二人組は、ここから香深へ下山して、本日のお宿へ向かうとのことで、ここでさよならした。

 さて僕は、ここから「礼文林道」へ向かうことにした。

★★★★★

 「礼文林道」は、「桃岩展望台」の下から東海岸の「香深井(かふかい)」までの全長8キロくらいの山道であり、7月になると、エーデルワイスの仲間「レブンウスユキソウ」がきれいに群生する場所でもある。

 だが、僕の目的は、この林道から利尻富士を眺めたかったのである。

 「桃岩展望台」のような散策路ではない、盗掘パトロール車が行き来する山道をひたすら登る。

 パトロール車が通る山道のため、道幅もある程度あって傾斜が急なわけでもないので、登りやすいことは登りやすいのだが、林道とは名ばかりの太陽に照らされっぱなしの乾いた「砂利と土の道」である。

 でも、標高が高くなればなるほど、利尻富士をさえぎる障害物もなくなっていくので、礼文島と利尻島の間の青い海面と青い空と、そして残雪の利尻富士とがきれいに眺めることができる。

 「レブンウスユキソウ」が咲き乱れるという群生地を通過して、監視員詰め所のある地点へ向かう。

 その地点まではわずか2キロの行程であるが、だらだらした登り道なので、これがけっこう足腰に堪えてくる。おまけに太陽がギラギラしてきた。

 林道入り口から40分くらい登ったところに、その詰め所があり、そこで休んでから引き返すことにした。

 というのも、林道の終点である「香深井」まで行っても、そこからフェリーターミナルまでのバス時刻が合わないし、タクシーのアクセスもないし、残るは徒歩しかない。徒歩だと、ゆうに1時間以上はかかるので、フェリー出港時刻に間にあわないのである。

 詰め所までの行程で、観光客のランクル1台とパトロール車1台、60歳くらいの鼻歌の監視員1名、それに「香深井」から登ってきた7〜8名のパーティとすれ違った。

 中年男女がほとんどのパーティは、元気印の女性ガイドに引率されながら歩いていたが、かなり疲労困ぱいしているようであった。

 詰め所近くには、「ミヤマオダマキ」が咲きはじめていたし、そして、礼文岳、西海岸も見渡すことができた。

 でも、この林道から利尻富士が見えるから礼文島にいるという気持ちになれるが、曇り空などで見えなかったら、それはどこにでもありそうな単なる山道でしかない。

 そんなことを思いながら、詰め所に到着し、リュックをおろして水を飲んだ。

 桃岩よりも汗をかいていたので、少し長めの休憩とした。

 標高がかなり高くなっているためか、吹きぬける風が心地良かった。

 『今来た道を帰ろう。』

 そう思って、また歩きはじめたが、今度は下りなので、歩いている感覚がなんだかぎこちなかった。今までずっと登り続けていたから、足が戸惑っているのだろう、そう思った。

 登りながら、あんまり眺めることができなかった利尻富士が、今度は歩きながら眼下に見えている。

 不思議なことに、利尻富士を眺めながら歩いていると、鼻歌がでてくる。
 さっきすれ違った監視員の鼻歌はこれなのだと、苦笑した。

 そして、どういうわけか、その鼻歌は、サザンの「TSUNAMI」だった。

 林道の終点にさしかかると、10名くらいの登りのパーティとすれちがった。

 おそらく桃岩展望台のあとだろうと思うが、この時点でもうすでに疲れているような感じだった。

 林道から幹線道路へ移り、フェリーターミナルへ向かうが、アスファルト道路でつま先がかなり痛くなってきた。

 時計は午後2時30分を指していたので、かれこれもう6時間も歩いていることになる。

 桃岩展望台へこれから向かう、あるいは下りてくるバスと何度もすれ違う。

 下り坂で下半身がガタガタになってきたので、ペースをかなり遅くした。

 『明日は起きられるかなあ。起きられても、足が動くかなあ。温泉にでも行くかあ。』

 そう思って、腿をたたきながら歩いていた。あと少し。

★★★★★

 『観光バスのお客さんは、文句タラタラですよ。バスで桃岩へ行ったって、時間に追われているから、花の咲いているところには足を延ばせないんですもの。だから、ほんとうにかわいそう。』

 フェリーターミナル売店の「おかあさん」と井戸端会議をするはめとなった。

 『せっかく、礼文島へいらしてくださっても、花が見れないんじゃあ、文句のひとつもいいたくなるわよねえ。なんとかならないのかしら。』

 『ほんとうに花が好きなら、僕のように自分で日程を組んで来るしかないね。』

 『おにいさん、どこから来たの。』

 『稚内。』

 『それじゃあ、気楽よねえ。また来て、たっぷり楽しんでね。』

 昼過ぎの利尻島行きのフェリー2便に合計500名近くの観光客が乗船したので、僕が乗る稚内行きのフェリーはわずか50名程度との予約があるという。

 また、利尻島へ向かった500名は、そのまま利尻に投宿するか稚内へ戻るかのいずれかだという。

 午後4時20分発の稚内行きフェリーに乗船して、デッキから利尻富士をカメラに収めていると、

 『あのう、クロユリ、見ることできましたか。』

と、声をかけられ、振り向くと、あの桃岩コースでクロユリを教えてくれた女性だった。

 『いやあ、フェリーが一緒だったんですねえ。クロユリ、バッチリ見れました。ありがとう。』

 『私もサクラソウモドキを見ることができて良かったです。感激してしまいました。』

 『僕は稚内からですけど、どこから来られたんですか。』

 『東京です。出身は、長野の田舎ですけど。』

 フェリーが香深港を出港したので、ほとんど貸切り状態のカーペットフロアに戻った。

 ほとんどの客が横になって寝ている。

 僕も今日の疲れが一気に出てきたのか、カーペットフロアで横になりながら、その彼女とお話しているうちに、そのまま眠ってしまった。

 ノシャップあたりを通過するころに、目を覚ますと、窓から海を眺めている彼女の姿が目に映った。

 航海中、ずっと海を眺めていたそうだ。

 稚内港に到着すると、彼女は話していた市内の安い宿へと向かった。

 今日の礼文島は僕のホームページで見れますよと、とうとう言えずじまいだった。

 でも、それでいいのかもしれないと逆に思った。

 〜 一期一会 〜

 『彼女、クロユリだったのかもしれないなあ。』

 僕は、ふと、そう思った。

 「花の浮島病」の末期症状が表れはじめていた。






シルエット・ロマンス