ひとりおもふ
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シルエット・ロマンス

 稚内港の副港道路沿いに、新名所「稚内副港市場」が4月28日、華々しくオープンした。

 「利尻・礼文・サロベツ国立公園」の玄関口である稚内市には、土産品店・グルメ店等が入居する総合施設的ないわゆる「箱もの」が少なく、また、水産都市の名に恥じない市民や観光客向けの「魚市場」の設置も悲願だったようで、今回のこの「箱もの」は一身にその期待を背負って船出したわけである。

さらに、この「箱もの」には、今流行の「温泉」施設も併設するということで、着工当初から「巷の噂」となっていた。

 『来春 日本最北の街 稚内に新名所が誕生します』

 『稚内天然温泉 「港のゆ」 来春4月 北緯45度25分に開湯です』

 オープンが近づくにつれ、その全貌が次第に明らかとなった。

 魚市場で購入した新鮮な魚介類をその場で焼いて食べるコーナーがある。
 副港が賑わいを見せた古き良き時代を再現した横丁がある。
 札幌で大人気の「イタメシ屋」が入居する。
 脂肪が浮いた無調整の搾りたて牛乳が飲める。

 しかし、そのウラでは、温泉施設「港のゆ」の入浴料金の設定が最大の関心事となっていた。

 北海道の条例では、入浴施設を営業するに際して、当該施設の半径500メートル以内に既存の組合加盟の公衆浴場がある場合は、その公衆浴場料金(390円)の5倍を入浴料金としなければならない・・・ということらしい。

 つまり、「稚内副港市場」の半径500メートル以内には既に組合加盟の公衆浴場が存在していたので、「港のゆ」を開業する場合、その入浴料金は最低でも1,950円としなければならないということになったのである。

 要するに、利用者は2,000円を支払うということになるのだが、北海道は一部を除いて温泉の宝庫であり、2,000円を支払って入浴する温泉は、有名旅館やホテルの「日帰り入浴」でもあまり聞いたことがない高い料金設定なのである。

 ちなみに、僕が10年以上も前に利用した登別温泉の「第一滝本館」の「日帰り入浴」が1,200円だったから、それが今では2,000円くらいに仮になっていたとしても、あそこの温泉はそれなりに納得の行く施設であると思う。

 ということは、僕としては今回のその「港のゆ」が、かの登別の「第一滝本館」にひけをとらない温泉施設であるのかどうも疑問であったことは間違いなかった。

 要は、僕としては2,000円は高すぎる・・・という結論なのである。

 その「開湯」の日がだんだんと近づくにつれて、いろんな噂が飛び交った。

 『既存の銭湯が、営業を辞める引き換えに、1億円と息子の再就職のあっせんを条件に出したそうだ。』

 『最初は、3,000万円だったそうだけど、「入れ知恵」があって1億円に跳ね上がったらしい。それで、折り合いがつかなかったみたい。』

 『報道機関が開業前に案内されたようだけど、露天風呂の浴槽がものすごく狭いらしい。』

 『開業前なのに、タイルが既に剥がれていたそうだ。』

 とかなんとか、いろいろ言われた末に「稚内副港市場」は、突貫工事の連続で、ようやく開業にこぎつけた。

 オープンがゴールデンウィーク直前ということもあって、客の出足は好調で、かなりのそのにぎわいに関係者は安堵の笑みを浮かべていた。

 が、しかし、やっぱり、である。

 「目玉」的な温泉施設「港のゆ」に「待った!」がかかったのである。

 正規の入浴料金は、前述の理由から2,000円と設定されていたが、それでは高すぎるということで、1,100〜1,200円で入浴可能な「優待券」「割引券」と、1,000円で入浴可能な「株主優待券」とを事前に発行していたのである。

 新聞報道によれば、この「優待券」「割引券」は条例に違反すると稚内保健所から合計2回の排除勧告を受けていたとのこと。

 また、「株主優待券」も不特定多数に配布していたようなので、これも対象となり、結局、事前に配布していた「優待券」「割引券」と「株主優待券」は「無効」となってしまった。

 僕自身も知人からその「割引券」をいただいていたので、ゴールデンウィーク明けにでも行こうと思っていた矢先のことだった。

 『一度入浴したことがあるけど、2,000円じゃあねえ。1,000円が限界かなあ。』

 運営側は、保健所からの勧告に対して、新たな「割引」を考案した。

 2,000円で、入浴と900円のお食事ができるというクーポン券である。

 でも、これもやっぱり「割引」に変わらないはずで、その話を聞いた保健所が再度「指摘」したらしく、「夢の割引」となってしまった。

 そんないざこざがあって、目玉であるはずの温泉施設「港のゆ」には閑古鳥が鳴き出し、2,000円で入浴した人たちからは、土曜の夜で4〜5人程度しかいなかったという「現実」を聞いた。

 その影響をまともに受けたかたちで、「箱もの」内の土産店や魚屋は従業員の数が訪れる客数を上回っている散々な状況となっているらしい。

 「優待券」さわぎで、一気に客足が遠のいてしまったようだ。

 そういう僕は、オープンから1ケ月経った今でも、その「稚内副港市場」を一度ものぞいたことがない。もちろん「港のゆ」にも浸かっていない。

 ジムのサウナでの主婦2名の象徴的な会話を聞いて、僕はうつむいて思わず苦笑した。

 『奥さんは東京からダンナさんの転勤でいらしているのよねえ。』
 
 『はい。』

 『副港市場へ行かれましたか。』

 『ええ、この間、主人と行ってきました。』

 『あのレトロな横丁、良かったでしょ。』

 『ええ・・・、なんだかなつかしい気がしました。』

 『東京のほうでもレトロなものあるみたいだけど、ここのはいいわよ。』

 『・・・ええ、・・・こじんまりしていていいですねえ・・・。』

 『食べ物屋さんもいっぱいあっておいしいし、楽しみがひとつ増えましたよねえ。』

 『・・・ええ、・・・イタリアレストランはリーズナブルでおいしかったですよ・・・。』

 東京からの奥さんは慎重に言葉を選んで答えていたが、僕は噴出しそうになる笑いを懸命にこらえていた。

 東京と言わず、全国どこへ行ってもこれくらいの施設はいくらでもある。

 特に、レトロ系は映画「3丁目の夕日」が象徴するようにブームとなっていて、「稚内副港市場」は規模的には小さいほうではないだろうか。

 東京からやってきたこの奥さんは、腹の底ではたぶんこう思っていたのだろうと僕は思った。

 『何を言っているのよ。こんなミュージアムはいくらでもありますよ。造りは貧弱だし、温泉は高い値段だし、網焼きコーナーは午後8時で焼くものがなくなるし、お客さんもまばらだし、利用できるのは2階のイタメシくらいね。一度行ったら、もう行く気がしないわ。』

 この夏はまだ観光客でにぎわいを多少取り戻すかもしれないが、問題は秋から冬、そして春までであろう。

 目玉の「港のゆ」で集客できない前途多難な「箱もの」は、このままでは秋までもたないだろうと、僕は冷静に判断する。

 市の援助も取り付けて鳴り物入りで誕生した「稚内副港市場」は、見よう見まねで作った「箱もの」でしかなく、あとさきのことを考えないで、とりあえず造りましたという感じでしか受け止めることができない。

 結局、儲かったのは、工事を担当した土建業者だけではないのか。

 ある人は、せいぜい2年と予想していたが、ジムトレへ通うたびに眺めるあの寂しさは、「その日」への加速が一気にトップギアへ入ってしまったような感じがする。

 わずか4万人のマチなんだから、あんまり、背伸びしてほしくないと、僕は思ってしまった。