ひとりおもふ
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シルエット・ロマンス

 週末に通うスポーツジムのトレッドミル(ベルトコンベア)で走っていると、その前方ガラス越しに利尻・礼文島行きのフェリーが接岸しているのが見える。

 その窓ガラスと接岸場所との距離はおよそ30メートルくらいであろうか。
 たったいま到着したばかりのフェリー後方から、相当数のトラックや乗用車が顔を出し、勢いよく走りだしてくる。

 スポーツジムで汗を流しながら、離島航路のフェリーを目の当たりにできるのは、全国広しといえども稚内くらいだけではないだろうか。

 思えば、およそ2年前の夏に稚内へ転勤となり、ネットでこのスポーツジムの存在を知って安堵したことがつい最近のようだ。

 稚内へ来て、生活リズムが確立され、ジムへ通い出したのは8月初旬のこと。

ジムのそのガラス越しから離島航路のフェリーと大勢の乗客らを目撃したとき、

『ああ、この光景をこれから見つづけてベルトコンベアで走るんだなあ。』

と、さいはてへ来たことを痛切に感じ、そして、うなだれた。

 それから、夏、秋、冬、春と季節はひとめぐり。

 いつも走りながら見送っていたフェリーに、今度は僕が乗ることになった。

 6月、花の浮島、礼文島へ・・・。

★★★★★

利尻・礼文島へフェリーで行くことを、地元の人たちは「島へ渡る」と表現するが、逆に離島の方たちは何と表現するのだろう。

函館人が青森以南へ渡ることを「しょっぱい川(津軽海峡)を渡る」「本州へ行く」、あるいはご年配の方たちは「内地(ないち)さ行く」と言う。

また、札幌が現在のまだ中央区くらいの規模しかなかった昭和30年代は、現在の東区にある「美香保(みかほ)」に住んでいる人たちは、大通公園にある老舗デパートの「丸井今井」さんへ行くことを「札幌の丸井さんへ行く」と言っていたそうだ。

だからというわけではないが、離島の方たちは、「稚内へ行く」か「北海道へ渡る」というようなニュアンスの表現となるのではないだろうか。今度聞いてみよう。

稚内から利尻島まで1時間40分、礼文島まで1時間55分をそれぞれ費やすが、ひと寝入りしたり、イヤーフォンで好きな音楽を聴いたり、本を読んだり、あるいは隣り合わせとなった人と話をしたりすればあっというまに経過するくらいの時間だ。

 だが、稚内に住んでいる僕にとっては、利尻・礼文島へはこのフェリーのみの移動で苦にならないが、例えば、札幌からだとプラスJR特急の5時間30分、東京からだとプラス飛行機の1時間50分となる。

また、礼文島行き午前6時20分、利尻島行き午前6時30分のフェリーに乗船するためには、JRも飛行機も接続がないので、どうしても前泊せざるを得なく、その宿泊料金が余分にかかるし、帰路も札幌行きのJR特急(午後6時02分発)に乗車できなければ、もう一泊を組まなくてはならない。

JRに関しては夏季限定の運行であるものの、札幌を午後11時05分に出て、稚内へ午前5時46分に到着する特急「はなたび利尻」があり、その逆パターン・・・つまり、札幌と稚内をそれぞれ逆にしたもの(稚内発22:05→札幌着06:00)もあるが、なんせ7〜8時間近くもJRに乗車してそれからフェリーにゆられるので、利尻・礼文どころではないかもしれない。

 ただし、新千歳から利尻島へ飛行機が就航しており、50分で到着することから、お金に余裕のある方はこれを利用されれば札幌からは一泊の行程が組めるし、飛行機の接続時間によっては東京、あるいは中部、関空からも一泊の行程が可能かもしれない。

 また、体力に自信のある方は、札幌・稚内を結ぶ都市間バス(約6時間)も1日6往復しているので、それぞれ午後11時発の最終便を利用されれば前後二回のバス泊という強行計画も可能であるが・・・。

 ここで、ついでに言っておかねばならないことがある。
 それは、フェリーは悪天候などの自然現象によっては「欠航」という事態もあり得るということ。

 せっかく「さいはて」に来たけれど、フェリーが時化のため欠航となって「足止め」をくったり、島へ渡っての帰路が欠航となったりすることもあるので、余計な神経を使うとともに「待機」によって費用がかさんでしまう場面も想定しなければならない。

 いずれにせよ、僕はさいはてに住んでいるという現状特典を生かして、今年も「島へ渡る」計画を立てている。

 そう、あの「花の浮島病」が花粉症とともに、そろそろ発作してきたのだ(花粉症はありがたくないのだが。)。

★★★★★

 「島へ渡る」のは、今年は6月2日の土曜日と決めた。

 フェリー会社の方から、今年は去年よりも早めに花が咲きそうだと、5月下旬には「レブンアツモリソウ」が咲き出すだろうと連絡があったので、ベストは6月上旬までという予測を立てたことによる。

 稚内港を午前6時20分発のフェリーに乗船し、礼文島香深(かふか)港へ到着するのは1時間55分後の午前8時15分。

 今回は南端の「知床」までバスで行き、それから「元地灯台」を目指し、「桃岩展望台」へと去年と逆のコースを設定し、散策するためにゆっくりと時間をかけて歩こうと思う。

 そして、そのあとに2時間行程の「礼文林道コース」へ足を踏み入れてみようと思う。

 もちろん日帰りの「島へ渡る」旅だから、最終フェリーの午後5時25分発で稚内へ戻ることにしている。

 去年は、色白でふっくらした「レブンアツモリソウ」や海の青さがどこまでも続く「澄海(すかい)岬」に感動されっぱなしだったが、今回は「元地灯台」付近の風景をメインにしたいと考えている。

 そこから見える利尻富士は、きっと感動するくらいきれいな景観なんだろうなあ。そこはきっと、「花の浮島」の絶景なんだろうなあ。

 今年も晴れてくれればと願い、こころを入れ替え、宝塚音楽学校ではないが、明るく潔く正しい生活を送っているので、きっと色彩あざやかな風景と、まだ見たことのない可憐な花たちと対面できると信じている。

 そう言えば、去年は前夜に飲みすぎて二日酔いに近かったので、登山中に汗がガンガンと身体中を流れ落ちたから、今年はベストコンディションで望もう。

 ジーンズにパーカーはやめて、アルミスーツにしよう。
 重い登山靴はやめて、軽めのトレッキングシューズにしよう。

 そういうことを考えていると、今からついワクワクしてしまう。

 ほ〜ら、どうやら、花の浮島病の典型的な症状が出てきたようだ。

 『やっぱり、礼文は島だからいいんだよなあ〜。』

 これが陸続きの内陸だったらいつでも行けるという気持ちが災いして、結局は行けずじまいとなってしまうが、「島へ渡る」というロマンがそこにあるからこそ、こうして特別な気持ちとなって駆り立ててしまうのかもしれない。

 しかも、船で渡るということに意義があるのであって、それは例えば、伊豆大島などの離島へフェリーで渡る場合と飛行機で渡る場合との違いと同じであって、その感覚は当然のごとく違うものと思われる。

 時間に余裕があるのなら、絶対に船旅のほうがいいに決まっている。・・・船酔いという問題は別として。

 礼文島香深港に接岸してタラップを降りるときの、鳥肌が立ちそうなくらいざわめきだすあの感触を、あともうすこしで味わうことができる。

 それは、例えばプロ野球選手がスタジアムへ復帰したときに、ピッチャーであればマウンドにしゃがんで土に手を触れて感謝するように、僕もターミナルの地面に手を触れて感謝したいくらい感動的な第一歩なのだから。

 「桃岩展望台」に立ったら、浮島の新鮮な空気を思い切り吸い込んで、深呼吸をくりかえしてみたい。

 恥ずかしがりやの「クロユリ」に再会したら、『ただいま』と話しかけてみたい。

 あの野道を、一歩一歩、ゆっくりと踏みしめながら、生きているというその感触を楽しんでみたい・・・

 やっぱり、僕は、「花の浮島病」の重症患者に認定されているようだ。

 そして、やっかいなことに、この病いは、写真で触れただけでも感染するそうだ・・・。